第1話 真夜中の侵入者
ロールブレア王国の王都オーディビル――
アーポット商会の商館。
夜も更け、街の灯りが一つ、また一つと落ちていく頃。
商館の奥深くにある保管室は、音一つない闇に沈んでいた。
その静寂の中――
ふわり。
夜霧が形を得たかのように、一人の男が姿を現した。
シャルクス:(……ここに、本当にあるんだろうな)
黒装束に身を包んだ男――シャルクスは、天井を仰ぎながら小さく息を吐く。
シャルクス:(いや、ある。あってくれ。頼むぞ、神様)
祈るように、そっと両手を合わせる。
だが、次の瞬間にはもう、その目つきは変わっていた。
甘さも迷いも消え失せる。
闇の中で鋭く光るその瞳は、まぎれもなく盗賊のものだった。
室内には、いくつもの棚がずらりと並んでいる。
そこに収められているのは、大小さまざまな魔法アイテム。
魔力を帯びた剣。
宝石をはめ込んだ杖。
見ただけでは用途も分からない、奇妙な護符。
どれもこれも、裏市場に流せば一財産になる代物ばかりだ。
普通の盗賊なら、間違いなく目移りしただろう。
あるいは、欲に負けて余計なものに手を伸ばしていたかもしれない。
だが――シャルクスは違った。
シャルクス:(悪いが、今夜の目的は一つだけだ)
気配を殺し、足音すら闇に溶かすようにして、棚の間を進んでいく。
そして――
ぴたり、と足が止まった。
保管室の中央。
そこに据えられた、重厚な金庫。
他の魔法アイテムとは明らかに違う。
金庫の奥から、じわりと滲み出るような魔力の波動があった。
シャルクス:(……こいつか)
低く呟き、金庫の前にしゃがみ込む。
指先でそっと表面をなぞり、鍵穴の位置を確かめる。
息を殺し、周囲に仕掛けられた罠や魔法封印の気配を探った。
――反応はない。
シャルクス:(助かった……)
口元が、わずかに緩む。
ポケットから取り出したのは、細く磨き上げられた精巧なピックだった。
鍵穴へ差し込み、指先に伝わるかすかな感触だけを頼りに、内部を探っていく。
カリ……。
カリ……。
静まり返った保管室に、金属が擦れる小さな音だけが響いた。
焦るな。
力を入れすぎるな。
ほんの少しの違和感を逃すな。
シャルクスは呼吸すら浅くしながら、慎重にピックを動かし続ける。
そして――
カチリ。
小気味いい音とともに、錠が外れた。
シャルクス:「よっしゃ……!」
思わず、小さく拳を握る。
口元に浮かんだのは、盗賊らしい不敵な笑みだった。
そっと金庫の扉を開き、中を覗き込む。
いくつかの品が収められた中から、シャルクスは迷わず一つの箱を取り出した。
古びた箱だった。
けれど、そこから漂う気配は、他の品とはまるで違う。
シャルクス:「……こいつが、手がかりか」
小さく呟いた、その時だった。
クリストファー:「誰だ。――そこで何をしている」
背後から、氷の刃のような声が突き刺さった。
シャルクス:(まずい……見つかったか)
背筋を、冷たい汗が伝う。
シャルクスはゆっくりと振り返った。
保管室の入口付近に、ぼんやりと人影が立っている。
まだ顔までは見えない。
距離もある。
ならば――逃げ切れる。
シャルクスは、一瞬でそう判断した。
シャルクス:《闇よ、我を隠せ!》
低く呟いた瞬間、黒い霧のような闇がシャルクスの全身を包み込む。
輪郭がぼやける。
気配が薄れる。
黒装束の身体が、保管室の闇へと溶けていく。
シャルクスはそのまま息を殺し、窓際へと滑るように移動した。
――だが。
クリストファー:「フッ……それで隠れたつもりか?」
余裕に満ちた声が、背中を撫でた。
ゆっくりとした足音が近づいてくる。
迷いのない歩みだった。
まるで、この暗闇の中でも、シャルクスの居場所など最初から見えているかのように。
シャルクス:(なに……?)
クリストファー:《光よ、闇を暴け》
詠唱が終わった瞬間――
バッ!!
眩い光が、保管室を一瞬で満たした。
シャルクスを包んでいた闇の魔法が、紙のように裂け散る。
影に溶けかけていた身体が、白日の下へ引きずり出された。
シャルクス:「くそっ……!」
思わず舌打ちが漏れる。
その光の中に、男の姿が浮かび上がった。
整った身なり。
冷静な眼差し。
そして、場違いなほど落ち着いた立ち姿。
クリストファーだった。
クリストファー:「狙いは、バルデンの黄金か」
クリストファーは、開け放たれた金庫へちらりと視線を向ける。
その一瞬。
シャルクスが動いた。
シャルクス:《闇の剣よ――行け!》
彼の周囲で、黒い魔力が渦を巻く。
次の瞬間、そこから生み出されたのは無数の漆黒の剣だった。
闇そのもので鍛え上げたような刃が、意志を持つ獣の群れのようにクリストファーへ殺到する。
ヒュンッ!
ヒュンヒュンヒュンッ!!
黒剣が空気を裂き、一直線に突き進む。
だが――
クリストファーは、微動だにしなかった。
避ける素振りすら見せない。
それどころか、その口元には、かすかな笑みさえ浮かんでいた。
クリストファー:《爆発しろ》
キュイィィン――。
甲高い音が、保管室に響き渡る。
二人の間の空間が、ぐにゃりと歪んだ。
迫っていた漆黒の剣が、その歪みに捕らえられる。
刃は進むことも戻ることもできず、空中でねじ曲げられ、引き寄せられ、圧縮されていく。
シャルクス:(まずい――!)
直感が警鐘を鳴らした。
クリストファー:「そう簡単に手に入ると思うなよ。シャルクス」
シャルクス:「……っ!?」
名前を呼ばれた。
その事実に、シャルクスの思考が一瞬だけ止まる。
そして――その一瞬が、命取りだった。
ヴォゴゴゴゴォォン!!
圧縮された空気が、一気に爆ぜた。
凄まじい爆風が保管室を蹂躙する。
棚が砕ける。
魔法アイテムが宙を舞う。
木片、金属片、硝子片が嵐のように吹き荒れた。
シャルクス:「うああああっ!!」
爆風に呑み込まれたシャルクスの身体が、紙切れのように吹き飛ばされる。
踏ん張る暇もない。
受け身を取る余裕もない。
瓦礫と破片をまとったまま、彼の身体は窓へ叩きつけられた。
ガシャァァン!!
硝子が砕け散る。
シャルクスはそのまま窓を突き破り――
夜の闇へと、放り出された。




