第2話 ただ者でない女達
――その時だった。
すぐ脇を通り過ぎようとしていた冒険者パーティの戦士が、不意に足を止めた。
「……?」
リーアが視線を向けるより早く、男はぐるりと身体を反転させた。
次の瞬間。
何の前触れもなく、拳がリーアの顔面めがけて振り抜かれる。
ブンッ!
リーア:「……なんだ」
驚きはなかった。
リーアは片手をすっと上げる。
がしっ。
振り抜かれた拳は、彼女の掌の中でぴたりと止まっていた。
あまりにも自然な動きだった。
まるで、そうなることが最初から分かっていたかのように。
リーア:「……」
リーアの目が、男を射抜く。
次の瞬間、戦士の顔色が変わった。
戦士:「ひっ……!」
声にならない悲鳴が漏れる。
ただ見られただけ。
それだけで、男の背筋に冷たいものが走った。
だが――その隙を狙うように。
ミアラの背後から、もう一人の戦士が飛びかかってきた。
リーア:「ミアラ!」
リーアが鋭く叫ぶ。
しかし。
ミアラ:「……」
ミアラは振り向きもしなかった。
小さな身体が、すっと横へ流れる。
伸びてきた腕を掴み、軽く引き込む。
くるり。
次の瞬間。
ドンッ!
男の身体が宙を舞い、石畳へ叩きつけられた。
ミアラ:「……なに?」
ぽつりと呟く。
その声が落ちた直後。
ざわ……。
通りを行き交っていた冒険者たちが、町人たちが、ぴたりと足を止めた。
一人。
また一人。
ゆっくりと、こちらへ顔を向ける。
その目には、何も宿っていなかった。
リーア:「……おいおい」
次の瞬間。
人々が、いっせいにリーアたちへ襲いかかってきた。
リーア:「どうなってんだよ、まったく……!」
悪態をつきながらも、リーアの動きは速かった。
飛び込んできた男の懐へ踏み込み――
ドゴッ!
腹へ蹴りを叩き込む。
男の身体が吹き飛び、後ろの数人を巻き込んで転がった。
ミアラもまた、小さな身体をひらひらと動かしながら、次々と襲いかかる相手を投げ飛ばしていく。
掴む。
流す。
転がす。
その動きに、無駄はまるでなかった。
通りは、たちまち乱戦へと変わっていく。
その光景を――少し離れた場所から、シャルクスは見ていた。
シャルクス:「……操られているのか」
人々は、まるで糸で吊られた人形のように襲いかかっている。
そこに怒りも恐怖もない。
ただ、命じられた通りに動いているだけ。
異様な光景だった。
シャルクスはすぐに視線を走らせる。
そして――通りの向こう側に、ひとりの女を見つけた。
黒い服をまとった女。
シャルクス:(……あの女だな)
根拠はない。
だが、確信に近かった。
この騒ぎの中心にいるのは、あいつだ。
メディル:「……」
女――メディルと、目が合う。
その瞬間。
彼女は妖しく、にやりと笑った。
そして。
くるりと踵を返し、走り出す。
シャルクス:(誘ってきやがるか……)
罠かもしれない。
いや、ほぼ間違いなく罠だ。
それでも――
シャルクス:(……行くしかねぇか)
シャルクスは通りを横切り、メディルの後を追って駆け出した。
リーア:「待て!」
リーアの声が飛ぶ。
襲いかかってくる人間を蹴散らしながら、リーアもすぐに追おうとする。
だが、次から次へと人が押し寄せてくる。
邪魔だ。
あまりにも邪魔だった。
リーア:「ちっ……!」
舌打ちし、目の前の男を投げ飛ばす。
その一瞬の間に、シャルクスは曲がり角へ飛び込んだ。
リーアも遅れて角を曲がる。
だが――
そこに、シャルクスの姿はもうなかった。
リーア:「……逃げられたか」
ぽつりと呟く。
気がつけば、通りには静けさが戻りつつあった。
つい先ほどまで襲いかかってきていた人々は、糸が切れたようにその場にへたり込んでいる。
騒ぎの跡だけが、石畳の上に残っていた。
リーアは、シャルクスが消えた通りの奥をじっと睨む。
その背後から。
ミアラ:「もう」
頬をぷくっと膨らませたミアラが歩いてきた。
ミアラ:「リーアちゃんがサボろうとしたのが、いけないんだからね」
リーア:「……悪かったよ」
力なく答える。
それでも、リーアの視線は通りの奥から離れなかった。
まるで、その先に残った気配を探るように――。
女を追って辿り着いた先は、街外れにある小さな公園だった。
昼間だというのに、人影はない。
風に揺れる木々の葉擦れだけが、やけに静かに耳へ届いていた。
シャルクス:(……さて、どうするかな)
数歩先に立つ女の背中を睨みながら、シャルクスは慎重に足を止めた。
先ほどの異様な騒ぎ。
人々を操り、リーアたちを足止めしたのは、間違いなくこの女だ。
結果的に助けられた形にはなった。
だが――それと信用できるかどうかは、まったく別の話だ。
女は、ゆっくりと振り返った。
メディル:「そんなに構えなくてもいいわよ」
ふっと、口元が緩む。
メディル:「別に取って食おうってわけじゃないんだから」
甘く、柔らかな声。
けれどその笑みには、どこか底の見えない危うさがあった。
油断すれば、魂ごと飲み込まれそうな――そんな笑みだ。
シャルクス:「人を魔法で操ってこき使うような奴を、信用できるかよ」
シャルクスの声は低かった。
シャルクス:「何者だ、貴様」
警戒は解かない。
むしろ、目の前の女が笑えば笑うほど、シャルクスの指先には力がこもっていった。
女は肩をすくめる。
メディル:「私はメディル」
名乗りは、あまりにもあっさりしていた。
そして、続ける。
メディル:「私も――バルデンの黄金を探しているの」
その言葉を聞いた瞬間。
シャルクスの目が鋭く細まった。
シャルクス:「バルデンの黄金を……?」
次の瞬間、声に刃が混じる。
シャルクス:「まさか貴様……ガスパーの手下か!」
メディルは一瞬だけ黙った。
それから――ふっ、と鼻で笑う。
メディル:「そうとも言えるわね」
あっさりと認めた。
だが、その瞳には怯えも動揺もない。
むしろ、シャルクスの反応を楽しんでいるように細められていた。
メディル:「でも安心して。私は――」
その瞳が、一瞬だけ妖しく赤く輝いた。
メディル:「あなたの味方にもなれるわよ」
シャルクス:「味方だと……?」
身構えたまま、シャルクスは眉をひそめる。
馬鹿げた話だ。
だが、その言葉を無視できない自分がいることにも気づいていた。
メディルはゆっくりと近づいてくる。
一歩。
また一歩。
シャルクスとの距離を、わざと焦らすように詰めながら。
メディル:「黄金を手に入れて、ガスパー卿の元へ持っていけば――」
そこで、メディルは囁くように言った。
メディル:「彼に直接会えるわ」
その一言が、静かにシャルクスの胸を突いた。
ガスパー。
ラスパル家を破滅へ追い込んだ男。
そして、シャルクスが長年追い続けてきた相手。
だがガスパーは、極めて用心深い。
多くの人間から恨みを買っていることを、誰よりも本人が理解している。
だからこそ、人前に姿を現すことはほとんどない。
シャルクスは何度も追った。
何度も手がかりを探した。
だが、一度たりとも、その姿を捉えられなかった。
メディル:「その手引きをしてあげる」
メディルは、にこりと笑った。
メディル:「悪い話じゃないでしょ?」
確かに。
悪くない。
いや――シャルクスにとっては、願ってもない話だった。
だが。
シャルクス:「そんなことをして……」
鋭い視線を、メディルへ向ける。
シャルクス:「お前に何の得がある」
核心を突く問い。
しかしメディルは、からからと楽しそうに笑った。
メディル:「そんなの、あなたには関係ないことよ」
そのまま、すっと顔を近づける。
メディル:「そんなくだらないことで悩んで――」
赤い瞳が、シャルクスを覗き込んだ。
メディル:「絶好のチャンスを逃すつもり?」
シャルクスは黙った。
これまで、何度も復讐の機会を探ってきた。
だが、ガスパーに近づくどころか、その所在すら掴めなかった。
この女を信用する理由などない。
むしろ、疑う理由ならいくらでもある。
それでも――。
こんな機会は、二度と来ないかもしれない。
長い沈黙のあと。
シャルクスは、小さく息を吐いた。
シャルクス:「……わかったよ」
その声には、諦めにも似た響きがあった。
シャルクス:「どうすればいい」
その言葉を聞いた瞬間。
メディルの唇が、ゆっくりと吊り上がった。
それはまるで――
深淵へ誘う悪魔の囁きのような、妖しい笑みだった。




