第7話 無法者たちの憂鬱
夕暮れが、街並みを茜色に染めていた。
店先に灯された電灯が、淡く揺れる。
開いたばかりの酒場の中は、まだ客もまばらで、いつもの喧騒にはほど遠い。
そんな静かな時間に――
カミーアはひとり、カウンター席に腰を下ろしていた。
目の前には、琥珀色の酒が入ったグラス。
だが、彼女の手は伸びない。
カミーアは、グラスの向こうにある何かを見つめるように、じっと目を細めていた。
時折、ふと視線を落とし、自分の手元を見る。
そして、ほんの少しだけ笑う。
その横顔を、マスターは何も言わずに見守っていた。
――しばらくして。
カミーア:「なあ、マスター」
ぽつりと落ちた声が、カウンターに染み込んだ。
マスター:「なんだい?」
マスターは磨いていたグラスを置き、ゆっくりとカミーアの前へ歩み寄る。
カミーアはグラスの中の酒を見つめたまま、少しだけ俯いていた。
カミーア:「昨夜、シャルと会ったよ」
マスター:「それはよかったね」
マスターは、にこりと口元を緩めた。
マスター:「元気だったかな、シャルクス君は」
二人の再会を素直に喜ぶような、穏やかな声だった。
だがカミーアは、ちらりと横目でマスターを見る。
カミーア:「わざとらしいなぁ」
そして、少し拗ねたように続けた。
カミーア:「ここにも来たんだろ? 情報を聞きに」
その指摘に、マスターは一瞬だけ目を丸くし――すぐに、にやりと笑った。
マスター:「ああ、来たよ」
あっさりと認める。
それを聞いた途端、カミーアは視線をグラスへ落とした。
頬に、わずかな赤みが差す。
カミーア:「それでぇ……あのぉ、そのぉ……」
声が、だんだん小さくなっていく。
カミーア:「あたいのこと、なにか……言ってなかったかな?」
最後の方は、酒場の静けさに紛れてしまいそうなほど小さかった。
マスターは少しだけ考えるように目を上げる。
マスター:「君のことは……特に何も言ってなかったな」
カミーア:「……あ、そう」
カミーアの肩から、ふっと力が抜けた。
それから彼女は、小さく息を吐く。
気を取り直すように顔を上げると、グラスの縁を指先で軽くつついた。
カミーア:「じゃあさ」
少しだけ上目遣いになる。
カミーア:「シャルが何をやってるのか……教えてくれたりは、しないよね?」
マスターは申し訳なさそうに笑った。
マスター:「そうだね。悪いけど」
カミーア:「だよね」
それでもカミーアは、怒らなかった。
ただ小さく微笑み、ふっと視線を落とす。
しばらく、二人の間に静かな時間が流れた。
やがて、マスターが何気ない調子で尋ねる。
マスター:「シャルクス君は、一緒に行こうって言わなかったのかい?」
カミーアは俯いたまま、グラスを持ち上げた。
琥珀色の酒を、ひと口だけ含む。
カミーア:「……言ってくれたよ。でも……」
そこで、言葉が止まった。
行きたくなかったわけじゃない。
むしろ、行きたかった。
あの背中を追って、一緒に歩きたかった。
けれど――足が動かなかった。
どうしてなのか。
その理由は、カミーア自身にもまだ分からない。
グラスを置いたまま黙り込むカミーアを、マスターは静かに見つめていた。
やがて、穏やかな声が落ちる。
マスター:「理由なんて、後から付けりゃいいんだよ」
カミーアは、はっと顔を上げた。
マスターは静かに笑っている。
マスター:「あの時も、そうだったろう?」
――あの時。
初めてシャルクスと出会った、あの夜。
酒場の片隅に座っていた、場違いなほど静かな青年。
苛立つように声をかけたはずなのに、いつの間にか話し込んでいた。
そして気づけば、手を差し出していた。
カミーア:「……そうだね」
カミーアは、小さく笑った。
カミーア:「ありがとう」
そう言って、ゆっくりと席を立つ。
マスター:「頑張れよ」
背中越しにかけられた声に、カミーアは振り向かず、軽く手を振った。
そして視線の先――
ブルトスとジャンが酒を飲んでいるテーブルへ向かって、歩き出した。
カミーアは、ブルトスとジャンが陣取るテーブルへ向かって歩き出した。
だが、その足が途中で止まる。
ぴたり、と。
そこに――見覚えのある男がいた。
カミーア:「ワッツ……」
低く、その名をこぼす。
視線の先。
下卑た笑い声を上げながら、豪快にジョッキをあおっている男。
ワッツだった。
カミーアは何も言わず、その男を鋭く睨みつける。
ワッツ:「おう、カミーアじゃねぇか。久しぶりだな」
その視線に気づいたワッツは、ジョッキをテーブルへ置いた。
口の端をにやりと吊り上げる。
カミーア:「……」
カミーアは答えない。
ふいっと顔を背け、そのまま押し黙った。
ワッツ:「何をしてた」
にやけた笑みを浮かべたまま、ワッツはカミーアを射抜くように見据える。
カミーア:「……何してたっていいだろ」
低く、吐き捨てるような声だった。
ワッツ:「こいつらを使って、俺の周りを嗅ぎ回ってただろ」
ワッツは両隣に座るブルトスとジャンへ、順に視線を向けた。
ジャンの顔には、わずかな不安が浮かんでいる。
一方のブルトスは、相変わらず涼しい顔で酒を口に運んでいた。
カミーア:「何もやってねぇよ。関係ねぇだろ、そいつらは」
ようやくカミーアは顔を上げた。
ワッツの視線を、真正面から受け止める。
ワッツ:「まあ、さしずめ仇を討つ機会でも伺ってたってところだろうがよ」
ワッツは椅子からゆっくりと立ち上がる。
ワッツ:「だけどな――」
一歩。
また一歩。
カミーアとの距離を詰めていく。
だが、カミーアも退かない。
一歩たりとも下がらず、真っ向から睨み返す。
次の瞬間――
ワッツは両腕を大きく広げ、店中に響く声で吼えた。
ワッツ:「俺は逃げも隠れもしねぇんだ! コソコソやってねぇで、とっととかかってきやがれ!!」
怒号が、酒場の隅々まで叩きつけられる。
ざわめいていた客たちが、一斉にこちらを振り向いた。
ワッツ:「負け犬が」
その一言で――
店内のざわめきが、すっと消えた。
誰も口を開かない。
誰も動かない。
カミーアは、低く呟いた。
カミーア:「……そのうちな」
それだけ言うと、くるりと踵を返す。
立ち去ろうとした――その時だった。
背後から、静かな声が落ちる。
ワッツ:「シャルクスに会ったんだってな」
その一言で。
カミーアの足が止まった。
振り向かないまま、短く返す。
カミーア:「……だから?」
ワッツは、小さく息を吐いた。
ワッツ:「明日からファーミストに遠征だ。おめぇも来い」
カミーアはゆっくりと振り返る。
眉が、きつく吊り上がっていた。
カミーア:「はぁ? なんであたいも行かなきゃなんねぇんだよ」
ワッツは、ぐっと視線を据えた。
そして、言い放つ。
ワッツ:「シャルクスのことを知りたきゃ――来るんだな」
それだけだった。
ワッツはもう何も言わず、カミーアに背を向ける。
そのまま、静かに酒場の出口へ歩いていった。
カミーア:「……」
カミーアは言葉を失い、ただその背中を見つめていた。
やがて、ブルトスとジャンが近づいてくる。
ブルトス:「どうするつもりだ?」
問いかけられても、カミーアはすぐには答えなかった。
シャルクスのこと。
ワッツの狙い。
ファーミストという行き先。
胸の奥で、いくつもの思いが絡み合う。
しばしの沈黙。
やがてカミーアは、静かに顔を上げた。
カミーア:「行こう。ファーミストに」
その瞳には、もう迷いはなかった。




