第70話:復活
光が収まった時——そこに、一人の女性が立っていた。
長い銀色の髪が風もないのに揺れている。
尖った耳。妖精族の外見。だがその身に纏う魔力は——禍々しく、巨大で、この世のものとは思えなかった。空間そのものが歪み、床の石が粉々に砕けて宙に浮いている。
広間に満ちていた赤黒い光が、この女性の体に吸い込まれるように収束していく。世界の力そのものが、彼女の元に集まっている。
魔王。
——ルーナ。
緑色の瞳が、ゆっくりと開いた。
深い、底知れない色。千年の時間を封じ込めたような目。
「——ここ、は」
ルーナの声が、微かに震えた。
一瞬——ほんの一瞬だけ、その目には困惑があった。まるでどこにいるのかわからない迷子のような。長い眠りから覚めたばかりの、頼りなさ。
だがすぐに、赤黒い光が瞳を覆い隠した。
ディアルの憎しみが、ルーナの意識を塗り潰す。バルの中に封印されていた力が、ディアルの手で歪められ、ルーナの自我を侵食している。
「————」
空気が変わった。
温度が下がる。地面が軋む。魔法陣が砕ける。
比喩ではなく、世界の法則が書き換わっていくような感覚。アルトの魔法剣がひとりでに輝き、ミラの杖が暴れ馬のように魔力を噴き出す。
ルーナの体から放たれた魔力が衝撃波となり、黒の祭壇を崩壊させ始めた。黒い石壁が砕け、天井が崩れ落ちる。柱が次々に折れ、広間全体が地鳴りのような音を立てて崩壊していく。
その衝撃波の余波で——遠く離れた空の色が、一瞬赤黒く変わった。世界中の魔力が揺れたかのような、不気味な震動。ミラの杖が暴走し、制御していない魔力が火花のように散った。
「っ——何? 今、杖が勝手に——魔力の流れがおかしい?」
空間の魔力が乱れ始めている。魔王の復活がもたらした異変の最初の兆候だった。
* * *
崩壊する祭壇の中で、アルトは見た。
ルーナが——リアラの元へ歩いていく。崩れ落ちる天井の破片が、ルーナの周囲だけを避けるように落ちていく。まるで世界そのものが道を開けているように。
光の鎖から解放されたリアラは地面に崩れ落ちていた。意識があるのかわからない。魔力を搾り取られた体が、小さく震えている。
ルーナの手がリアラに伸びた。
リアラの体がルーナの魔力に包まれる。
「やめろ——! リアラに触るな——!!」
アルトが駆け出した。だが魔力の壁に弾かれる。全身を殴られたような衝撃で、吹き飛ばされて石壁に叩きつけられた。起き上がろうとしたが、体が動かない。
ルーナの手がリアラを抱き上げた。
不思議なことに——ルーナの手つきは、乱暴ではなかった。まるで壊れ物を扱うように、慎重に。赤ん坊を抱くような、そんな優しさがあった。ディアルの命令で動いているはずなのに——この手つきだけが、命令とは違う何かに従っている。
リアラが薄い意識の中で、ルーナの顔を見た。銀色の髪が頬にかかる。冷たいはずの魔王の手が——なぜか温かかった。
「……あなた……泣いてるの……?」
ルーナの紅い瞳の奥で——確かに、光が揺れていた。涙のように。千年封じられていた誰かの記憶が、リアラの温かい魔力に触れて——一瞬だけ、浮かび上がったのかもしれない。
だがその揺らぎは一瞬で消え、ルーナの体が魔力に包まれた。
リアラが最後の力で呟いた。
「——大丈夫。……大丈夫だから」
その声が誰に向けたものだったのか——アルトに、自分自身に、それとも——目の前で泣いている、この女性に。
光が膨れ上がり——
ルーナとリアラの姿が——
消えた。
* * *
後に残ったのは——崩壊する祭壇と。
冷たくなったユートと。
空っぽになったバルと。
左腕を負傷したミラと。
そして——何もできなかったアルト。
全てを失った。
ユートは死に、リアラは魔王に連れ去られ、バルは空っぽになり、ディアルは笑いながら消えた。
四日間の準備、四日間の強行軍。二年間の成長も。何一つ——届かなかった。
アルトは膝をついた。
「リアラ……」
手を伸ばしても、もう何も掴めなかった。




