第51話:それぞれの二年間
ミラが落ち着くまで、かなりの時間がかかった。
焼け跡から少し離れた丘の木陰に場所を移し、リアラが手際よく焚き火を熾してスープを温めた。いつもの野草と干し肉のスープだが、今日はリアラが途中で見つけた山菜も入れてある。ミラはそれを受け取り、震える手で口に運んだ。
「……温かい。久しぶりにまともなもの食べた……」
ミラの声は掠れていた。泣きすぎて、喉が枯れている。
「まともなものって……ミラさん、ちゃんと食べてたんですか」
「干し肉と水。たまにギルドで依頼こなして宿に泊まるくらい。料理する気力なんてなかったし……一人で焚き火起こして飯を作るのって、虚しいのよ。誰も食べてくれないし、誰も美味しいとも言ってくれないし」
アルトは眉をひそめた。ミラの体つきを見れば、それが嘘ではないことはわかる。二年前の健康的で余裕のあるお姉さんの面影が、今のミラにはほとんどない。頬はこけ、手首の骨が浮いて見える。マントで隠しているが、あちこちに治りかけの傷がある。
アルトも一人旅の間は似たようなものだった。干し肉を齧って水を飲んで、それで終わり。リアラが来るまでは——。
「……で、あんたがリアラ?」
ミラがスープを飲みながら、少し離れて座っているリアラに目を向けた。
「は、はい。リアラです。アルトに途中から同行してます」
「ふーん……」
ミラの目が鋭くリアラを観察した。上から下まで、冒険者が敵を見定めるような視線で。体格、手のひらのタコの有無、立ち姿の重心、目の動き。一瞬でリアラを査定している。
リアラが少し身構える。
「……まぁ、いい子そうね。よろしく」
あっさりとした一言だった。リアラがほっと胸を撫で下ろす。
ミラは観察した上で、リアラに害がないと判断したのだ。さすが二年間一人で戦場を生き抜いてきた人間の判断力だった。
『おい、トマト女。俺った——いや、ミラとか言ったっけ。で、お前はこの二年間何やってたんだ? 一人で魔族の拠点を焼いて回ってたって聞いたけどよ。正気の沙汰じゃねぇぞ、いくらなんでも』
「……バル。あんたに名前覚えてもらえるなんて、奇跡じゃない」
『うるせぇ。今は覚えてやってんだ。感謝しろ。で、どうなんだ? 二年間の話を聞かせろよ』
ミラは深く息を吐き、語り始めた。
* * *
あの日——崖から吹き飛ばされた後のこと。
「ユートが魔力を爆発させた衝撃で、私は森の中に飛ばされた。木にぶつかりまくって、全身ボロボロで動けなくて、三日くらいその場を動けなかった。動けるようになってから、まずアルトを探した」
「……」
「何日も森と河原を歩き回った。声が枯れるまで呼び続けた。崖の上にも戻ろうとした。でも……何も見つからなかった。アルトも、ユートも」
ミラの声が低くなった。焚き火の光が、その横顔に深い影を落としている。
「それから半年くらいは、ほとんど記憶がない。町から町へ彷徨って、ギルドの簡単な依頼をこなして食いつないで……何のために生きてるのかわからなかった。生きてる理由が見つからなくて、でも死ぬ勇気もなくて、ただ歩いてた」
リアラが静かにミラを見つめていた。その目に、深い共感の色がある。
「変わったのは、あるとき道端で魔族の小隊に襲われてた村を見た時。……ユートならどうする、って瞬間的に考えたのよね。あの人は絶対に見捨てない。考える前に体が動いてた。気づいたら魔族を焼き払ってた」
「それで、戦い始めた?」
「ええ。最初はただの怒りよ。ユートを奪ったあいつらへの。ディアルへの。何もできなかった自分への。むしゃくしゃして、どうしようもなくて、目の前の魔族を焼けば少しだけ楽になった。……最低よね。八つ当たりみたいなもんだもの」
誰もそれを否定しなかった。
「でもそのうち、情報を集めるようになった。魔族の動き、ディアルの手下の配置、拠点の位置。叩けるものは片っ端から叩いた。そうすれば、いつかディアルに辿り着けると思って」
ミラが左手で杖を握り直した。指が白くなるほど強く。
「魔法の腕は……まぁ、嫌でも上がるわよ。毎日死にそうな戦いをしてれば。魔道具の使い方も、以前とは比べ物にならないくらい多彩になった。一人で戦うしかなかったから、万能でいるしかなかったの。攻撃も、防御も、回復も、情報収集も、全部一人」
アルトはその言葉に、自分自身の二年間を重ねた。
独学の剣。独学の魔法剣。孤独な修行。一人で戦い続ける日々。
ミラも同じだったのだ。同じ孤独の中で、同じように歯を食いしばって生き延びていた。
「……ミラさん。よく生きてましたね」
「あんたもね。……正直、死んだと思ってたわよ。あの爆風で飛ばされて、しかもバルも動かないんじゃ……十三歳の子供が一人で生き延びられるわけないって、何度も思った」
「僕もミラさんが死んだかもしれないって、何度も考えました。でも——」
「信じてた? 私が生きてるって?」
「……はい」
ミラが少しだけ笑った。初めて、二年前のあの余裕のある笑みの片鱗が見えた。
「馬鹿ね。……でも、ありがと」
* * *
夕食後。ミラとリアラが二人きりになる時間があった。
アルトが見張りのために少し離れた丘の上に登った隙に、ミラがリアラに声をかけた。焚き火の光が二人の顔を照らしている。
「ねえ、リアラ。一つ聞いていい?」
「はい」
「あの子……あなたと一緒にいる時、どんな顔してる?」
リアラは少し考えてから答えた。
「普段は……冷たい顔。閉じてるっていうか、誰も入れないっていうか。戦ってる時は平気そうなのに、それ以外がずっと息を止めてるみたい。でも、仲間のことを話す時だけ、すごくいい顔になるの」
「……そう」
「バルが戻ってきてからは、少しずつ柔らかくなってきた。でもまだ……どこか怖がってる感じがする。また失うのが怖いんじゃないかなって」
ミラは黙ってリアラの言葉を噛みしめていた。焚き火の炎が揺れるたびに、ミラの目の中にも揺れる光が映っている。
「……あの子、変わったわね。二年前は怯えてばかりのガキだったのに。ゴブリン見ただけで腰抜かして、私が怒鳴るたびにビクビクして。それが今は……Bランクの魔物を一人で倒して、魔法剣なんて使いこなして。強くなって、冷たくなって……でも、根っこのところは変わってない」
「うん。私もそう思う」
「リアラ。あんた、あの子のそばにいてくれてありがとう」
リアラは少し驚いたように目を瞬いた。
「あの子はね、放っておくと一人で全部背負い込むのよ。それで壊れかけてても気づかない。『大丈夫です』って言いながら限界を超えるタイプ。……ユートもそうだった。そういう人たちの傍には、強引にでもそばにいてやる人間が必要なの」
ミラの声が、微かに震えた。ユートの名前を口にした時だけ。それ以外は平静を保っているのに、その名前だけが——ミラの壁に穴を開ける。
「……約束する。私、アルトのそばにいるよ」
「よろしくね。……まったく、相変わらず面倒な子を拾っちゃって。昔から拾い癖があるのよ、あの子。バルも拾ったようなもんだし」
『おい聞こえてんぞ。俺は拾われてねぇ。むしろ俺が拾ってやったんだ。あのノロマを』
「起きてたの……」
ミラは空を見上げて、小さく笑った。
星が、二年前と同じように輝いていた。




