第46話:報告と質問攻め
バルが目覚めた翌朝。
アルトは昨夜ほとんど眠れなかった。バルがまた沈黙してしまうのではないかと不安で、何度もバッグの表面に触れて温もりを確認していたのだ。膝の上に乗せたまま、指先で生地の脈動を感じ取っては安堵して、うとうとしてはまた目が覚めてを繰り返した。
だが、朝日が昇り、焚き火の残り火が白い灰になった頃——バルの口が、ゆっくりと開いた。
『…………ンああ……。クソ……全身が、重ぃ……』
「バル! 起きた!」
アルトが跳ね起きた。眠気が一瞬で吹き飛ぶ。
『うるせぇ……朝から騒ぐな、ノロマ……頭ン中がグワングワンしてんだ……。二日酔いより酷ぇ。いや、二日酔いになったことねぇけど』
声はまだ弱々しいが、昨夜の途切れ途切れよりはずっとマシだった。少なくとも文章として成立しているし、くだらない文句を付け足す余裕もある。
「よかった……本当に、よかった……」
『泣くなっつってんだろ。お前は本当にメソメソするのが好きだな。久々に会ってもそこだけはブレねぇのな。むしろ、もっと泣き虫になってんじゃねぇのか? 前はもうちょっと我慢してた気がするぞ』
「だって……二年も目を覚さないから」
『二年も経ってやがるのか。寝てた割にはやたら長かった気がしたはずだな。体の中の魔力がスッカスカなのは分かる。こんな空腹は初めてだぜ。……で? 何があった』
アルトは深呼吸をして、この二年間の出来事をバルに報告し始めた。
* * *
あの日の戦いのこと。ディアルに蹂躙されたこと。ユートが胸を貫かれたこと。ユートがそれでもディアルの腕を掴んで魔力を爆発させたこと。その爆風でアルトとミラが崖の向こうに吹き飛ばされたこと。激流に落ちて目覚めたら一人だったこと。バルが沈黙してしまったこと。
辺境の老剣士ゲイルに拾われて剣術を学んだこと。独学で魔法剣を習得したこと。ユートとミラの手がかりを求めて各地を回ったが何も見つからなかったこと。
バルは黙って聞いていた。いつものように茶々を入れることもなく、珍しく最後まで口を挟まなかった。
バルが最後まで黙って聞くなんて、アルトの知る限り初めてのことだった。
『…………で、お前は二年間一人でずっと旅してたってことか』
「……うん」
『毎晩俺に話しかけてたのも?』
アルトが一瞬黙った。バルに話しかける時間は、アルトにとって一日の中で一番大事な時間だった。でもそれは、傍から見れば独り言を繰り返す変な奴にしか見えない。
「……聞こえてたの?」
『全部は聞こえてねぇ。でも、なんか遠くの方でモゴモゴ言ってるのは感じてた。内容まではわかんなかったけどよ。水の底に沈んでるみたいな感覚だった。体が動かなくて、声も出せなくて、でもどっか遠くで誰かが呼んでる声だけ聞こえて……。うるさくて寝にくかったぜ』
バルの声が、ほんの僅かに柔らかくなっていた。
「うるさくて寝にくかった」という言い方が、バルなりの「聞こえていたよ」なのだと、アルトには分かった。
「……ごめんね」
『謝んな、気持ち悪ぃ。……で、あのガキは誰だ?』
バルの口がリアラの方を向いた。
リアラは少し離れた場所で、焚き火の灰を片付ける手を止めて、警戒半分・好奇心半分の表情でバルを見つめていた。目が輝いている。
「あ……えっと。リアラ。途中で出会って、一緒に旅をすることになって——」
「は、初めまして。リアラ、です。あの……本当に喋るんだね、このカバン。アルトから聞いてたけど、実際に聞くとすごい不思議」
『カバンじゃねぇ! 俺様の名はバルだ。世界最強の魔道具様だ。間違えるなよ、小娘! 見りゃ分かんだろうが、ただのカバンがこんなに美しいフォルムしてるわけねぇだろ!』
「こ、小娘!? ……美しい?」
『おいノロマ。なんだこのガキ。どこで拾ってきた。俺に一言もなしに仲間増やしやがるたぁいい度胸だな。まぁ寝てた俺も悪いが、それはそれだ』
「拾ったんじゃなくて——」
『てかお前、二年間で一人も仲間見つけられなかったのに、女は見つけてくるのかよ。最ッ低だな、お前の探索能力。ユートとトマト女の捜索は諦めて、女を口説く旅にでも出たのか?』
「違うって……! というか口説くとか一切してないし……」
リアラがくすくす笑い始めた。
「ねえアルト。このカバン、本当に口が悪いね。聞いてた通りだ。むしろ想像の三倍くらい酷い」
『だからカバンじゃねぇっつってんだろ!! おい、お前もだぞ小娘! 俺様をただのカバンと一緒にすんな! 俺様は——ゲホッ、ゴホッ……っ!』
「バル! だから無理するなって!」
バルが激しく咳き込んだ。復活したとはいえ、まだ体力——いや、魔力が全然戻っていないのだ。怒鳴るだけで魔力を消耗している。
* * *
バルが落ち着いた後、リアラの質問攻めが始まった。
好奇心旺盛なリアラにとって、喋る魔道具は最高の取材対象らしく、次々と質問が飛んでくる。
「ねえバル、魔物を食べるって本当? どんな味がするの?」
『味? 不味いに決まってんだろ。特にゴブリンは最悪だ。酸っぱくて苦くて、なんの栄養にもなんねぇ。あんな安酒みたいな魔力を飲ますな。……たまにいいのがいるけどな。あれだ、あの鎧みたいな熊。あいつは食いごたえがあった。魔力が濃くて、こう、腹の底からズシッとくる』
「鉄甲熊のこと? アルトが一撃で倒したやつ?」
『はぁ? あのノロマが一撃? マジかよ。お前それ、本当にアルトか? 顔は似てるけど中身入れ替わってんじゃねぇのか? 俺が知ってるアルトは、ゴブリン三匹に囲まれただけで泣きそうな顔してたぞ』
「入れ替わってないよ……。それに泣きそうにはなってなかった。たぶん」
「じゃあ武器を作るのは? やっぱりバッグの中から出すの?」
『当然だ。俺様が魔物の魔力を喰って、そこから武器を錬成して——って、今はダメだな。魔力が空っぽだ。腹が減りすぎて何も出てこねぇ。出せても爪楊枝くらいだ。このまま行くと餓死すんぞ、俺』
「魔道具って餓死するの……?」
『するかよ。例えだ例え。……ったく、最高に情けねぇ状態だぜ。口だけは動くのに、肝心の武器が出せねぇなんてよ。口先魔道具とか言われたらマジでキレるぞ』
バルが自嘲気味に呟いた。
「大丈夫だよ」
アルトが静かに言った。
「武器は僕の剣がある。バルは今はゆっくり回復してくれればいい。……二年間、バルなしで戦ってきたんだ。もう少しくらい、大丈夫」
『…………』
バルはしばらく黙っていた。
いつもならすぐに毒舌が返ってくるのに、今だけは沈黙が長かった。
そして、ぼそりと呟いた。
『……生意気なこと言うようになったな、ノロマ』
「バルがいなかった二年間のせいです」
『俺のせいにすんな。……まぁいい。で、ユートとトマト女はどうなった? お前の話だと、手がかりがないんだろ? 俺も一緒に探してやる。口だけなら出せるからな。情報収集は俺の方が得意だ。冒険者ギルドに入れなくても、目と耳は使えるぜ……動かねぇけど』
「トマト女って……ミラさんのこと?」
『他に誰がいんだよ。あの赤いの。名前忘れた』
「忘れてないでしょ。二年寝てた割に口は達者だね」
『うるせぇ。……で、まぁ、あれだ。しばらくは厄介になるぜ、ノロマ。文句は受け付けねぇからな』
アルトは小さく笑った。
「……文句なんかないよ。おかえり、バル」
『ただいまなんて言ってねぇだろうが。……勝手に同行宣言してやっただけだ。感謝しろよ、ノロマ』
リアラが二人のやりとりを見て、柔らかく微笑んでいた。
バルの毒舌に対するアルトの返しが、二年前より軽やかになっている。でも、バルを見つめる目の中にある安心感は、きっとあの頃と同じだ。
「ねえアルト。……バルが戻ってきてから、アルトの顔、ずっとあの『いい顔』してるよ」
「……そうですか」
『何の話だよ。おい小娘、こいつの「いい顔」ってなんだ? 俺が知ってる限り、こいつの顔面にいいとこなんか一つもねぇぞ。強いて言えば目だけだ。目だけは昔っからギョロギョロ動いてて不気味だが、まぁ使えねぇことはない』
「……褒めてるのか貶してるのか分からない」
『褒めてねぇよ。事実を述べただけだ』
三人——いや、二人と一つの旅が、ようやく動き始めた。




