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第005話 『銀髪に名を与える夜』

 玄関扉が閉まる。

 カチッと鳴った金属音が、やけに大きく聞こえた。


 六畳ひと間。

 ベッドと机、それに古びた本棚。


「……狭いけど、好きにしてくれ」


 そう言った俺の前で、銀髪の少女は部屋の敷居を見つめて立ち止まる。

 なぜか真顔で息を吸い込んだ。


「了解。では、この〈主の拠点〉へ進入する」


 ……なんだその儀式。

 ちょっとした覚悟の儀式でもしてるつもりか?

 こっちは歓迎の儀式なんてモンはないぞ。


 そろり、そろりと部屋の中に足を踏み入れる。

 その姿は、まるで水たまりを避ける猫みたいだった。


「そこ、ベッド。座っていいぞ」


 俺が促すと、彼女はピタリと立ち止まり、手を胸に当てた。


「………ならば、〈月見の玉座〉を拝借しよう」


 わけわからないこと言いながらも、ちゃんと腰を下ろすあたりは素直というべきか。


 ただ、その腰の下ろし方が、初めて膝に乗る猫みたいに妙にぎこちない。


 背筋はピンと伸びてて、脚はくっつけたまま。

 玉座というにはあまりに窮屈そうに、安物のベッドの端っこに収まっていた。


 別に警戒してるわけじゃない。

 怯えてるふうでもない。

 ただ、こういう状況に慣れてないってだけなんだろう。


 まあ、俺だって人を部屋に入れたのは相当久しぶりだ。

 女子に至っては……えーっと、初めて?

 べ、べつに動揺してるわけじゃねぇけど。


 俺は、いつも通り机の前にある椅子を引いて腰を下ろす。

 ベッドとは適度な距離。正面は向かないが、視界には入る角度。


 間合いを取っておかないと、こっちのペースまで引っ掻き回される気がしたから。


「そういえば、まだ名前も聞いてなかったな」


 ごく当たり前の確認。

 人と一緒にいるなら、まずそこからだろ。


 けれど──


「生まれた時からずっと施設だったから、名前はなかった」


 さらっと、「今日の夕飯はカレー」とでも告げるくらいの軽さで言いやがった。


「呼ばれてたのは、三(・)十(・)四(・)番(・)。それが、わたしに与えられた符号」


 符号。

 名前じゃなくて、番号。


 重く語るでもなく、悲しげに俯くでもなく。

 それが当たり前だって顔で、淡々としてる。


 ───なのに、胸の前で無意識に手を握っていた。


 欲しかったんだろ、何かを。

 自分でも気づかないまま、空っぽの名札を探すみたいに。


 ………知らねぇよ。

 俺にそんなもん、どうしろってんだ。


 でも───


「三十八番、ね……。冗談じゃねぇな」


 気づけば、口から出ていた。


 名前がないってのは、きっと、まともじゃない世界で育った証だ。

 それだけで流すには、どうにも引っかかる。


 べつに正したいわけじゃない。

 ただ、もしこの先、こいつがまた誰かに「三十八番でした」なんて自己紹介をするところを想像したら──……いや、無理だ。


 椅子を回転させて向きを変えた。

 目の前の銀髪の少女と、正面から目を合わせる。


「じゃあさ、今ここで名前、決めようぜ」


 押しつけがましいのはわかってる。

 けど、『三十八番』なんて呼び続けるよりは、よっぽどマシだと思った。


 うーん……三十八番から安直に取るのもなぁ。

 でも、銀髪の柔らかさはあってほしいよな。あと、夜っぽいイメージもあるし──


「紗夜(さや)って名前はどうだ?」


 思考の途中で、口からこぼれた。

 言ってしまってから少しだけ気恥ずかしい気もしたが、取り消す気にはなれなかった。


 そして、少女の目が、まんまると見開かれる。


「………さや?」

「ああ。糸へんに、少ないって書いて『紗』。柔らかい絹って意味で、おまえの銀髪のイメージ」

「はぇ~………」


 興味深げに呟いたあと、彼女は自分の髪を指先でつまんで、ふわふわさせてる。

 ……真面目に聞いてるのかどうか、いまいち判断できない。


「で、『夜』は……まあ、出会った時間だな。なんか、夜っぽい雰囲気してるし」


 雑な説明だなと、自分でも思う。

 けど、そんなもんでいいだろ。


「紗夜……」


 彼女は胸元に手を当て、小さく何度かその名を呟いたあと──


「……気に入った。なるほど、在処なき時の帳……」

「いや別に、そういう詩的なアレじゃねえけどな」


 勝手に厨二解釈された。

 まあ、そっちのほうが気に入ってくれそうだから、これ以上訂正する気も起きない。


 しばらく考え込むように黙っていた彼女は──かすかに口元をゆるめた。


「………うん。じゃあ今日からわたしは、紗夜」


 その声は、不思議と耳に残った。

 小さくて軽いのに、どこか世界に名前を刻みつけるような響きだった。


 たったそれだけのことなのに──

 なぜだか、ほんの少しだけ救えたような気がする


 『三十八番』なんて無機質な符号を背負っていた少女が、確かに『紗夜』という名前を得たのだから。


「俺は、白井照。呼ぶときは、好きに呼んでくれ」


 すると、彼女は一拍の間のあと、やわらかく微笑んで言った。


「わかった、……テル」


 ──呼び捨て、即決。


 その金色の瞳で、真っ直ぐに言われると、なぜか反論する気が失せた。

 いや、別に拒否する理由もないけどさ。

 それでももう少し、段階ってもんがあってもいいんじゃないか。


「……あ、そうだ。なあ、さっき言ってた『色を借りた』って、どういうことだ?」


 軽く水を向けると、紗夜はぱちくりと瞬きをして、小首をかしげた。


「そのままの意味だよ。わたし、いま二(・)界(・)だから」


 さらりとした口調。

 でも、その声色の奥に、わずかな影が混じっていた。


 ──能力の深化。


 それは、誰だって学校で一度は教えられる、能力の段階分け。

 秘密が限界を超えたとき、力は一段階『深化』する。


 〈一界(いっかい)〉は、最初に芽生える力。

 自分の秘密が力となり、世界に対して形を持ち始める段階。


 〈二界(にかい)〉は、その秘密と正面から向き合い、且つ依存し、受け入れたときに訪れる進化。

 能力は精度も出力も飛躍的に高まり、世界に干渉する力が桁違いになる。

 日本でも、いま二界に至ってるやつは百人程度。


 そして──〈三界(さんかい)〉。

 それは秘密の『真名』とやらを受け入れた者だけが辿り着く、完全解放領域。

 三界に至った人間は、歴史に名を刻むわずかな存在だけ。

 もはや伝説の領域だ。


 だから俺も、教科書で知識としては覚えていても、実際に「二界だ」と名乗るやつに会うのは、これが初めてだった。


「やっぱり、能力が深化してたのか……」


 ただの興味本位でも憧れでもない。

 誰かが本当に深化していたという現実に、俺は無意識のうちに、息を飲んでいた。


 能力の深化は、己の本質に踏み込む領域だと聞く。

 それは必ずしも前向きな覚悟じゃない。

 依存や執着、逃げ場のない選択が引き金になることもあるらしい。


 だから一界で止まるやつが大多数。

 その先へ進む人間は、ごくわずかだ。


 それを、まるで当たり前のことのように口にする少女が、目の前にいる。


「わたしの場合はね、人のまわりに漂う色に……触れられるようになったの」


 そう言って、紗夜は胸に手を当てる。


「触れて、借りるの。色を、ね」


 彼女は指先で見えない何かをなぞるように、ゆっくりと空を撫でた。

 そして、静かに目を閉じる。


「ただし、同時に二つは持てない。新しい色を借りたら、前の色は上書きされる。枠はひとつきり──」


 ひと呼吸置いて、すっと立ち上がった。

 背筋を伸ばし、金色の瞳を見開く。


 わざとらしいほどの間を取って──


「永久孤枠(エターナル・シングルスロット)……っ!」


 ポーズまでつけて言い切った。

 そして満足げにうなずくと、何事もなかったように再びちょこんと腰を下ろす。


 ………いや、かっこいいと思ってんだろうけどな。


「つまり、制限ありってわけか」


 俺が冷静にまとめてやると、紗夜は「そう、それ!」と嬉しそうに笑った。

 枠がひとつって話、そんなノリノリで話す内容じゃないと思うんだが。


「じゃあ……あの時、屋上から飛び降りたり、足音もなく速く走ったりできたのも?」

「うん。逃げてる途中でね、風の色を持つ人を見つけたの。塀を越えて、ビルを渡るには、それしかなかったから」


 言葉に合わせるように、紗夜の銀髪がふわりと揺れる。

 同時に、部屋の空気が少し動いた。


 風の色とやらが、本当にこの空間をなでていったかのように。


「本当に、自分の力みたいに扱えるのかよ……」


 俺が思わずそう呟くと、紗夜はうんうんと真剣に頷いた。


「その瞬間だけは、わたしと風が共鳴するの。風精霊が、わたしの血管を流れてる感じ」


 何その設定盛り盛りの詠唱みたいな説明。


「………おまえがそれで納得してるなら、それでいい」


 少し沈黙が流れた。

 最初はベッドの端に背筋を伸ばして座っていた紗夜が、気づけば、膝を抱えるようにじわじわと姿勢を小さくしていく。


 背中は丸まり、銀の髪が肩からすべり落ちる。

 やがて、自分の中に閉じ込められていくみたいに、すっかりコンパクトに収まっていた。


 眠いのか、疲れたのか、それとも単にエネルギー切れか。


 そして次の瞬間──

 ぐう、と静かに鳴るお腹の音。


「ま、腹減ってるだろ」


 俺は少し無理やりに笑って、台所に向かい、戸棚のカップ麺に手を伸ばした。


「ここに神の食糧、カレー味とシーフード味とチーズ味があるが、神託に従うならどれだ?」

「じゃあ、チョコの味がするやつを」

「そんなもんはない」


 俺が即座に却下すると、紗夜はほんの一瞬だけ、本気で落ち込んだ顔をした。


 ……いや、なんでそこでダメージ受けてんだ。

 この厨二病少女は。


 でもその表情はすぐに消えて、また何事もなかったように戻っていた。

 切り替えが早いのか、何も考えてないのか……たぶん両方だな。


 俺はポットに水を入れ、スイッチを押す。

 ちりちりとした沸騰前の音が、部屋の沈黙をゆっくりほぐしていく。


 会話は止まり、動きもない。

 それでも、不思議と居心地は悪くなかった。


 さっきまでと同じ部屋。

 ──なのに、少しだけ空気があたたかく感じた。


 いや、気のせいだ。

 たぶん、ポットの蒸気が湿度を変えただけ。

 それだけの話だ。


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