第003話 『秘密の色と、終末の影』
夜風が、しずかに吹きはじめた。
その風にあおられて、少女の銀髪がふわりと揺れる。
彼女は──ただ、じっと俺を見ていた。
遠くのサイレンも、ドローンも、まるで関係ないみたいに。
ひとりだけ時間が止まった世界にいるような、不自然なくらいの静けさが、そこにはあった。
「…………色がないって、どういう意味だ?」
「見えるはずの色が、あなたにはどこにもなかったの。ただ、それだけ」
少女はまばたきもせず、静かにそう告げる。
「人には、色がある。赤、青、紫……その人が抱える秘密の色」
「秘密の………色、だぁ??」
つい、裏返った声が出た。
自分でもびっくりするくらいマヌケな声で。
でも彼女は、ぴくりとも表情を崩さない。
むしろ、その目には確信しかなかった。
嘘をついてる感じじゃない。
たぶん本気でそう信じてる。
この世界には秘密の色があって、それが視えるってことを。
………いや、待てよ。
まさか、これって、能力の話か?
ふざけてるように見えて、そうじゃない。
唐突に出てきた言葉たちが、頭の中でひとつに繋がっていく。
そうだ、俺にもある。
理由もわからないまま、ある日突然押しつけられた力が。
だったらこの子にもあるはずだ。
そして、その力が秘密の色とやらに関係してるのなら──
「それ、もしかしてお前の能力の話か?」
俺の問いに、少女はこくん、と小さく頷く。
「そう。わたしの眼は、真実の色を視るためにある。世界に満ちた秘密を、色で読み解く力………」
そう言って、彼女は右手を持ち上げた。
薬指と小指を折って、残りの三本で目元を隠す。
どっかで見たことあるような、妙なポーズ。
───そのまま、ほんのわずかに顎を引いた。
「真証ノ眼」
……厨二病すぎる。
なんかすごい技名が出てきたぞ。
でも、それ以上に驚いたのは、その言葉を口にしたときの彼女の顔だ。
めちゃくちゃ誇らしげ。
銀髪が夜風に揺れて、月がその輪郭をなぞって、やたらと絵になる。
ドヤ顔でポーズまでキメてるのに、ちゃんと絵になってんのが、なんか腹立つ。
そして、ようやく理解が追いついてきた。
この子は、人の中にある秘密を色として捉えている。
誰にも見えない、彼女にだけ視える、秘密の色。
だけど、俺には、それがなかった。
どんな色も、なにひとつ。
「あなたは……ずっと透明なままなの?」
「………質問が哲学的すぎるんだけど」
ツッコむしかなかった。
すると彼女は、小さく肩をすくめるように俯いた。
まるで、自分の中を探るように、小さく息を吸って──
風に紛れるほど、か細い声でつぶやいた。
「色は、…………と生まれる。だから、あなたは……」
言葉が、止まった。
何かに気づいたような、そんな顔だった。
ずっと探してたパズルの最後のピースが、いきなり手元に転がってきたような。
驚き、納得、そしてわずかな期待が混じった……あの表情。
彼女の瞳が、不思議な光を帯びていた。
まるで、世界の意味がほんの少しだけ見えたような目。
でも。
正直なところ、俺の脳内は別のことでいっぱいいっぱいだった。
「………お前、どっから来たんだ?」
「えっと、それは──」
少女が口を開こうとした、その瞬間だった。
ドローンの金属音が、夜の静寂を裂く。
頭上をなぞるように、サーチライトの光がこちらをかすめた。
「───ッ!」
反射的に見上げる。
続けざま、交差点の向こうから、もう一機。いや、二機。
鋭い軌道で滑り込んでくる。
─────包囲する気かよッ!
「──なぁ」
「……うん」
「これ、マジでやばいやつだよな?」
「たぶん、すごくヤバい」
「大雑把すぎんだろッ!」
俺はもうツッコみながら走り出してた。
少女の手をつかんで、反射的に脇道へ飛び込む。
ビルとビルの間の、狭くて暗い抜け道。
とりあえず、光は遮れる。
少しでも、少しでも時間を稼げれば。
壁にもたれて肩で息をつく。
心臓はバクバクで、全神経が張りつめてるけど、気を抜く暇なんてない。
ドローンの動きが変わった。
浮遊していたはずの軌道が、鋭く、重く。
まるで獲物にロックオンした猛禽類みたいに。
白いサーチライトが地面をなぞる。
その光が、俺たちの足元をじわじわと囲っていく。
確実に、逃げ場を塞ぎに来ていた。
「………もう、逃げ場ないかも」
少女が、かすれた声で呟いた。
怯えてる感じではない。
むしろ……なんつーか、分かってたって顔。
最初から、ここが終点だってことを。
俺は背中を壁に預けたまま、視線だけをそっと動かす。
交差点の上。
電柱の影。
ビルの縁。
屋上の端。
……全部、いる。
沈黙をたたえた光学レンズ。
鋭く光をなぞるサーチライト。
───すべての目が、こちらに向いていた。
「マジかよ……いつの間に囲まれて………!」
喉の奥がカラカラに乾いて、声もまともに出ない。
さっきまで滲んでいた汗も、今はぴたりと止まってた。
隣を見る。少女は動かない。
動じてすらいない。
包囲されてることなんて最初から知ってた、そんな風にさえ見えた。
ただ、瞳だけは俺を見てる。
まっすぐに。まるで、俺の反応を確かめるように。
だから俺も、動けなかった。
「……なあ、教えてくれ」
正直、逃げたかった。
この場から、全力で。
でも、それ以上に、知りたかった。
なんで、こんな夜に。
なんで、こんな場所に。
なんで、この子が──俺の目の前に現れたのか。
「この状況、どう見てもお前が狙われてるってことで……合ってるよな?」
「………うん。わたしのこと、探してる」
そのひと言で、空気が一段階濃くなった。
ただの嫌な予感だったものが、輪郭を持って、目の前に立ち上がる。
「警察じゃねえよな。なんかこう、公的なモンとかじゃなくて」
「ちがう。ああいうのじゃない。……もっと、ややこしくて、意味不明なとこ」
「………名前は?」
一拍、間が空いた。
そして──
「終末教団」
時が、止まった。
その名前。
今朝、あのピンク頭──宵町が言ってたやつ。
最近、特区の隣にできた宗教施設。
まさか、こんなところで繋がるなんて───
「……お前、終末教団から逃げてきたのか」
「逃げた。まだ──追いかけられてる」
その言葉を受け取った瞬間、脳内で警報が鳴り響いた。
ここにいたら、確実に巻き込まれる。
この子は、ただの被害者なんかじゃない。
中心だ。
渦の核。
爆心地そのもの。
関わっちゃダメだ。
今すぐ離れろ。
見なかったことにして、背を向けて走れ──
「………………ッ!!」
無理だった。
走ろうとしたのに、地面に縫いとめられたみたいに動けなかった。
助かる方法なんて、分かってるのに。
俺は関係ないって、分かってるのに。
だけど。
…………だけどさ。
金色の瞳。
その目が、俺を引き留めた。
恐怖じゃない。
助けを乞う光でもない。
そこにあったのは、ひどく静かな、諦めだった。
───この子、きっと、見捨てられるのに慣れてる。
そんなの、ありえねえだろ。
見放されることが当たり前みたいな顔をして。
期待を抱かないように、最初から線を引いてるみたいで。
そして、それを俺に向けてくるのが──どうしようもなく、むかついた。
「……おい」
「…………」
「このままじゃまずい。今すぐここを離れる。いいな?」
「…………うん」
小さく頷いた彼女の声に、微かに揺らぎがあった。
声じゃない。表情でもない。
気配の、ゆらめき。
「お前、走れそうか? 足……ケガしてるだろ」
「走れる。たぶん。あ、ちがう。全然余裕っ………たぶん、余裕」
苦笑が、思わずこぼれた。
緊張に張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ、ほどけた気がした。
「じゃあ、……全力で逃げるぞ」
そう言いながら、手に持ってたレジ袋を静かに地面へ置く。
さすがに、持って走れる状況じゃない。
「ついてこい。うち、寮だから狭いけど……とりあえず身を隠せる」
自分で言って、ちょっと驚いた。
思ったより真っ直ぐな声が出た。
不思議と、迷いも後悔も、今はもうどこにもなかった。
背後で、彼女の気配がすっと近づく。
俺の背中に、ぴたりと重なる。
不思議だ。
さっきまで、空から落ちてきた謎の少女だったのに。
───今はもう、守らなきゃって思っていた。




