【第百九十一話】拷問卿対恩師
「《身体強化〈攻撃3〉》《身体強化〈速度6〉》」
私は冒険者時代以来ほとんど使っていない身体強化の魔法を使ってみた。
久しぶりに使うものだから魔力のコントーロールが不安定で、速度を6も上げているから魔力の消費が激しい。
しかし、エシルを相手にする以上、これでも遅いぐらいだ。
速度6なら通常の動きの6倍速くなるものと考えれば、これにすら対応できるエシルのすばしっこさは、本当に気持ちが悪い。
「アタシに本気を出してくれるなんて、うれしいわ!」
「嫌でもこうしなければ死にますから」
少しでも気を抜いたら、魔力の急激な消費によって意識が持っていかれそうだ。
持って7分、3分でも持てば御の字だ。
もとより短期決戦に持っていくつもりだった。問題はさほど無い。
「料理用ナイフは痛いわよ?」
「あなたの拷問よりかはマシです」
「ふふ、そうね」
エシルがナイフを構えた。
心なしか体がふらついているように見える。怪我の度合いが見た目以上に大きいのだろう。
私の勝利の確率は一応あるらしい。
「簡単に終わらないで頂戴?」
「それは無理です、あなたを簡単に終わらせてみせますから」
私がそう言うと、エシルはそっと微笑んだあと──走った。
私の方へとまっすぐ突っ込んでくる。
機敏に動かれたら不味い、多少なりとも魔法で牽制しよう。
私はそう思って、彼女の進路の左右の道に炎をあげて、動きを少しだけ鈍らせることができた。
これで彼女は私にまっすぐ突っ込むしか無くなったはずだ。
しかし、杖がないため炎の勢いは随分と小さいものだし、魔力の消費は大きい。
あまり多用はできない。
「片手でどれぐらい対応できますかね……」
私はそう呟いて、身長差によって見上げるまでに私の目の前に近づいてきたエシルに向かって、短剣の先を向ける。
エシルがナイフの切っ先を私の右目へと向ける。
私は目先まで近づいてきたナイフを避けて、彼女の後ろへと回り込み、エシルの背中を斬りつける。
しかし、エシルはその攻撃を高く跳躍する事で難なく避けて、私の背後をいとも容易く取った。
少しぐらいは私にも攻撃のチャンスを与えてほしいものだ。
私は風を起こして咄嗟に自分の体を前方に押し出した。
私が風で飛ぶ直前、彼女のナイフが私の髪をばっさりと切って、私のポニーテールの髪がショートになる。
首元が涼しくなったと喜ぶべきか、死ぬところだったと焦るべきか。
「あら、可愛くなったわね」
「ありがとうございます。……死んでください」
私はそう言って、彼女の方を振り返り、今度は私から攻勢を仕掛けることにする。
私はエシルのすぐ側まで近づき、腹に向けて短剣を突き立てようとする。しかしそれはエシルには当たらず、カウンターが来た。
彼女のナイフが頬を掠めた。右足を切りつけた。
鋭い痛みが走る。
しかし、前よりエシルの動きが鈍い。やはり私の起こした爆発が効いている。
おそらく彼女が万全の状態だったなら、私の足は切断され、頬に掠めるどころか、口が裂けていただろう。
まだ、まだいける。
私は風の魔法を駆使して、俊敏に動き回るように心がける。
身体強化の魔法だけでは彼女の反撃に対応しきれない。
私が彼女の右横腹に短剣を入れ込もうとしたら、彼女はそれをナイフで上手い具合に弾き、その流れで私の首筋に向かってナイフで空中に線を描く。
それを死にものぐるいで私は避けて、次に来る攻撃を予測して私はしゃがみ込み、彼女の次撃をまた避け、己の体を上空に飛ばす。
エシルは風の魔法で跳躍した私の着地際を狩ろうとするので、私の着地地点に事前に即興に岩を作り落とし、彼女による着地狩りを阻止する。
速度を6も上げ、風の魔法を駆使して、やっと彼女の3撃の内に1撃を入れ込むことが出来ている状況。
やはり異常だ。エシルも怪我をしているというのに。
私の動きもそれほど悪いわけではない。
少なくとも、エシルの動きにほんの少しだけ対応できているのがその証拠だ。
もっとも、彼女が負傷している状態で、色々と有利な条件なこちらにあって、やっと対応しきれているだけだが。
「右腕が無いのに、よく安定して着地できるわね?
それに、着地際の衝撃緩和も間に合ってないわ。両足だってズタボロのはずよ」
「はぁ、右腕が、無くて、着地できるのは、あなたと戦ってれば、自然と身につきます……」
すぅっと私は深呼吸をする。
彼女の言っていることは間違ってない。
着地の衝撃緩和にするための風魔法の発動が、エシルによる着地狩りの対策によって間に合っていないのだ。
私はおよそ7〜8m程度の高さから、何の衝撃緩和の処置も取れずに着地する。
そのため、彼女の言う通り私の足には着地の度に激しい痛みが走るのだ。
着地する度に私の足の骨にヒビが入り、エシルに切りつけられてできた箇所から血が溢れ出てくる。
激しく動いていて、魔力の消費も顕著だからか、呼吸も苦しい。
「随分と、平気そうですね……」
肺が締め付けられているような感覚がある中、私はそう話しかける。
エシルは見かけ疲れていないように見える。
口元に笑みを浮かべて、楽しそうな表情すらしているのだ。
私のこの、呼吸もうまく出来ずに苦しんでいる顔とは大違いだ。
「あらそう? これでも疲れているのよ? こんなに戦える相手はそう多くなくて、つい熱くなってるわ!」
キャッキャとエシルは不快な高音を出して騒ぐ。
私はそっと呼吸を整えて、体内魔力の残量がもう少ないことを体感する。
全身に空腹のような、そんな感覚が走っていることが、体内魔力が枯渇していることを示している。
そろそろ決着をつけたいのに、つけれそうにない。
私はもう一度、後方に巻き起こした強風を私の背中にぶつけ、エシルの目の前まで一瞬で移動する。
ドロップキックを私は繰り出して、エシルの腹を狙うが、やはり当たらない。
私はドロップキックが当たらずエシルを通り過ぎた瞬間、短剣を地面に突き立てて減速する。
勢いづいた私の体はしばらく低空を飛行していて、私の足が地面に引きずられた。
私の体が停止する頃には、私の足は泥だらけになっていた。
「あらあら、足が汚れちゃったわね。洗い落としてもいいのよ?」
「余計なお世話です」
私はそう言って立ち上がる。
立ち上がる瞬間に、ふと違和感を感じた。
足の感覚が少しずつ消えていっている。
痛覚に対する脳のキャパシティを今ので超えたのか、はたまた足の機能が停止し始めているのか。
どちらにせよ、悪い状態だ。
「あら?」
エシルがそう呟いた瞬間、彼女の首元に水槍が掠めた。
「暇なんだ、俺とも付き合え……」
ミロルドが私の杖を構えて、そう言った。
エシルは彼の方を見て、ことさら興味がなさそうに言う。
「あら? 愛の告白? 悪いけど、あなたは好みじゃないの」
「へへ、俺もあんたみたいなババアは御免だ」
「失礼ね、アタシはお姉さんよ」
彼がそう言うと、エシルはほっぺたを膨らませて怒ったようにそう言う。
意外だ、こいつにも年齢を触れられて怒るような感性があったとは。
「再開しましょう」
「そうね」
ミロルドがエシルに土の弾丸を飛ばした。
彼女がミロルドの攻撃を避けた瞬間に、私は彼女の目の前まで近づいて短剣で斬りつける。
当たった。
彼女の頬に、小さなものだけれど傷を与えることができた。
私はエシルの反撃が右から飛んできていることを察知して、後ろに下がる。
直後、ミロルドの水槍がエシルの足に飛んできて、太ももを少しえぐった。
「あら痛い」
本当に痛みを感じているのか怪しいほどに彼女の声は淡々としている。
そういえば、確か彼女は痛覚が生まれつき鈍かったはずだ。
となると、痛みを与えての消耗戦は彼女にはあまり意味をなさないだろう。
なら、体を動かせないようにボロボロにさせればいいのだが、彼女の機敏な動きがある以上、そう簡単には行かない。
だが、ミロルドの攻撃で、多少なりともエシルの動きは遅くなったはずだ。
「さっさと死んでくださいよ」
「嫌だわ♪」
エシルが私に向かってナイフで切りつけてくる。
私はその攻撃を避けると、エシルの2撃目に対応するのが難しくなることを直感して、短剣でその攻撃を受け止めた。
ナイフと短剣が交わって、鋭く短い音が響く。
その瞬間にミロルドの魔法の支援が飛んできた。
エシルの右肩で小さな爆破が起きる。
私は前方からくる熱風を無視して、彼女の頭上に岩を創り出して、落とし込む。
命中。
エシルの体は少しよろめいて、私の短剣からナイフが離れた。
その隙に私は短剣を逆手に持ち、勢いをつけて彼女の太ももにそれを刺し込んだ。
命中。私の短剣が彼女の太ももにうまく突き刺さって、彼女は顔を微妙に歪ませた。
これで腱でも切れてくれればとも思ったけれど、現実はそう甘くないらしい。
エシルは急いで私の短剣を抜いて私から離れ、多量に出血している太ももを抑えた。
「連携を取られると厄介ね」
エシルの頭から少量の血が流れている。
先程彼女の頭上に落とした岩が効いているのだろう。
「行かせませんよ」
私はミロルドの前方に立って、エシルが彼の方へ向かうのを防ぐ。
彼は私が目の前に立つと、すぐに治癒魔法の詠唱を始めた。
彼の近くには息が絶え絶えになっている黒焦げの肉体がある。
それを生贄にするのだろう。
「前回のときもこんなふうに連携が取れていたら……ねぇ?」
「うるさい」
きっと、私がこいつと初めて出会ったときの話をしているのだろう。
あの時、私が上手い具合に危険を察知していれば、戦友を……モディファを失うことはなかった。
私はエシルの元に走り込み、逆手に持った短剣を彼女の腹へ突き出した。
当然、エシルはその攻撃を避けて、私へ反撃してくる。
おそらく彼女のナイフの動きから私の肩を──。
「うぐッ!」
私は今の間に2度腹を蹴られて、後ずさる。
フェイント……彼女を倒すことに集中していて、そこを考えるのを忘れていた……。
「駄目よ、ちゃんと全体を見なきゃ。それとも右目しか無いから局所的にしか見れないの?」
咳き込んでいる私を見てケラケラと彼女は笑い、そして愉悦のこもった表情に変わった。
「その顔……唆るわ……ああもう駄目、またあの苦しみの声と涙と鼻水で汚れた顔が見たい」
吐きそうだ。
腹を蹴られたせいもあるが、彼女のどうしようもないその気色悪さに、吐きそう。
「やっぱり、あなたは殺しておくべき存在です……」
「──よ、この者を癒やし給え」
どうやらミロルドの治癒魔法の詠唱が終わったようで、私の足に感覚が舞い戻ってきた。
出血も止まっていて、骨にヒビが入っている感覚も消えた。
これである程度は最初の頃の速さで戦える。
私は息を深く吸い込み、脳に酸素を送り込む。
落ち着け、私はまだ負けていない。
勝てる可能性だってある。油断さえしなければ、多少なりとも勝率はあるはずだ。
……よし。
今度はフェイントにも、不意打ちにも気をつけなければ。
「力を抜いて戦っていると、そのうち死にますよ」
私はエシルにそう言う。
彼女は未だに興奮した表情をしていて、私の方を見ている。
「あら、本気で戦っているつもりよ?」
嘘だ。
いくら消耗しているとはいえ、これが彼女の全力なはずがない。
これが全力ならば、あの時、私は戦友を守ることができていただろう。
私はたった数分で彼女の目の前で臥すこともなかったし、私の右腕と左目が失われることはなかった。
「嘘つく余裕があるんですね」
「本当なのに」
彼女は信じてほしいとでも言いたげな顔をしている。
私の体内魔力の残量的に、多分あと1分半も持たないだろう。
1分半も経てば、私の動きは今の6分の1に落ち込み、打撃力も下がり、魔法もろくに使えなくなる。
最悪、魔力枯渇で気を失って、この世からサヨナラだ。
正直、次の手を考えている時間でさえもったいない。
「……死んでください」
私はそう言って、最後の力を振り絞り、自分の体を彼女の目の前へ飛ばす。
横から蹴りが来て、上からナイフが降りてくる。
器用に攻撃を繰り出すものだ。
私は蹴りを無視して、ナイフを短剣で弾き、その勢いで彼女の目元に斬撃を流し込む。
蹴りが私に当たる前に、私の短剣でこいつの目を壊したい。
間に合え。間に合ってくれ。
だが、その斬撃はエシルに当たらない。
私の短剣が彼女の右目に届く直前、彼女の蹴りが私の腹に直撃したのだ。
「ぐッ……あああぁぁぁ!!」
私は力いっぱいに叫んで、蹴りを繰り出してきた彼女の右足に、左腕だけでしがみついた。
こんなことなら筋力もあげておくべきだったと後悔しながら、私は彼女の腹に噛み付く。
顎を無理やり閉じて、血の味を感じながら、力いっぱいに右足にしがみつく。
我ながらこんな小さい体によくこんな力があったものだ。
私はエシルの右足にしがみつきながら、短剣を彼女の右足に食い込ませる。切断させる勢いで、私はぐりぐりと彼女の足に短剣の刃先を押し付けた。
「いいわいいわいいわ!!!」
私の背中にエシルのナイフが突き刺さる。
痛い……が、そんなことは言ってられない。
「あら!!?」
私は水属性の魔法の要領で、エシルのナイフが刺さっている箇所から彼女の肘までを凍りつかせる。
エシルは私がしがみついている足を下ろすと、同時に私の体に刺さっているナイフに彼女の右腕が引っ張られ、彼女は体勢を崩した。
「うおぉぁぁぁぁ!!」
私は言葉を忘れたかのように叫び、しがみついていた彼女の右足を離れて、彼女の体を力いっぱいに突き刺していく。
右足、腰、横腹、脇腹、腹、胸、私はざくざくと短剣で彼女の体に穴を作る。
まだ氷は私の背中とナイフを持ったエシルの腕を固定しており、離れる様子はない。
「その調子よ! いいわ! いいわ!」
エシルは狂気的にそう叫び、私の頭を左手で殴りつけている。
頭蓋が割れんばかりの衝撃が走り、背中には氷の冷たさと、ナイフが徐々に体内へと食い込んでいる感覚がある。
ミロルドもこのチャンスを逃したくないのか、私に当たらないようにうまく調整しながら、土の弾をエシルの頭部に撃ち込んでいる。
死んでもいいはずなのに、彼女は中々死なない。
「素晴らしい! 素晴らしいわフーリアちゃぁん!!!」
アハハと笑い、私の名前を叫んでいる女は、頭から多量に血を流しており、真っ赤に染まったその顔はもはや化け物に等しい。
泥沼のような戦闘に、私の体は疲れ果てている。
体内魔力的にあと10秒で私は駄目になるだろう。
そうすれば、魔力で強度を高めている氷はいとも簡単に砕かれ、私の首に料理用ナイフが突き刺さる。
──死ぬ。
それだけは嫌だ。
まだ生きたい。
エリカさんやダイアーさんの約束を守りたい。
リーバくんを見つけだしたい。
絶対に負けられない。
「うぁぁぁぉぉぉぉ!」
私は叫んで、彼女の首に短剣を投げた。
風の魔法に乗せ、まっすぐと切っ先を彼女の喉元に向け、投げた。
それは投擲と言うより、射出と言っていい。
命中。
しかしそれは喉元ではなかった。
直前でエシルは短剣を避けて、致命傷を避けたのだ。
だが、短剣は喉元に当たらずとも、彼女の右頬に突き刺さり、左頬まで貫通した。
……その直後、私の魔力は枯渇して、身体強化の魔法が解け、私の背中と彼女の腕を固定していた氷が溶けた。
私は魔力を必死に練り上げ、魔法を発動しようとするが、ただただ腕からほんの少量の魔力がにじみ出て、霧散するだけだ。
私はもうこれ以上、魔法を使えない。
「……素晴らしかったわ」
エシルは右頬に刺さっていた短剣を抜いて、微笑みながらそう言った。
彼女の口元からは血がだらだらと流れているが、彼女は苦痛すらなさそうだ。
彼女は咳き込んで、口の中にたまっていた血液をぼろぼろの私の体に塗布する。
意識が徐々に薄らいでいっている。
死への意識が濃くなっていく。
死んでしまう。
このままでは、死んでしまう。
「ありがとう、フーリアちゃん。アタシはあなたを一生忘れないわ」
ミロルドの方も魔力が枯渇してしまったのだろう。
彼はぐったりとしていて、彼が今も放っている魔法は、エシルに当たること無く、途中で崩壊している。
「エシル・グレー……ズ」
何も考えずに出た言葉が、宿敵の名前とは、情けない。
あぁ、死ぬんだ。
私はここで。
誰とも再会することが出来ずに、このまま死に行くんだ。
情けない。
本当に、情けない。
その瞬間だった。
「よく持ちこたえてくれた」
──エシルの頸が刎ね跳んだ。
呆気なく彼女の頭部は地面に落ち、彼女の残った胴体が、血を大量に流してばたりと倒れた。
「動けるか?」
私はそう訊いてきた男を見上げて、顔を見る。
その男は、特にこれといった防具は身に着けず、白く清潔な服を身にまとっているだけだ。
ただ首元に提げられている名札だけが、その存在が何かを克明に指し示していた。
『勇者教団・第三勇者 伏木 勇介』
私の意識はそれを認識してすぐに、途切れた。




