【第百八十八話】勇者の元へ
これ以上日記を読む気なんて僕にはさらさら起こらなかった。
最後のページに塗りたくられている色は間違いなく赤色が混じっていて、普通のインクのように黒ではない。
妙にべたつくし、少し茶色みがかっている。
アディメさんは全く持って悪くない。
彼女をこんな目に合わせた、彼女以外の何もかもが悪いんだ。
「……行きましょう」
「どこへでしょうか……?」
僕の言葉を聞いた魔術師が僕の言葉に疑問を持って、そんなふうに言ってきた。
どこへ行けばいいのだっけ。
そうだ勇者だ。勇者の近くに行けばいい。
「勇者の近くです。
そこにアディメさんがいるはずです」
僕以外のこの場にいる全員の顔が曇ったのがわかった。
勇者を相手取ると言ったようなものだ。そんな反応になるのもおかしくない。
ある程度覚悟していたであろうスクリも、さすがにちょっと嫌そうな顔をしている。
マジで行くんですか……? みたいな顔だな。
「しかし勇者は……」
「わかってます。だけど、そこに行かなくちゃ駄目なんです」
「少しぐらいは計画を練りましょうよ……?」
スクリが僕を気が狂った人間を見るような目で僕にそう言った。
奇しくも、僕が先程に発した言葉と同じ言葉だ。
「早く行かなきゃ駄目な気がする」
「気でも狂ったんですか!?」
「最初から狂ってたさ! じゃなきゃこんな無謀ともいえる救出作戦に参加してなかったからね!」
僕はそう言って、部屋を出た。
右手にはアディメさんの書いた日記を持って、ハッセル達がまだいる本堂へと向かう。
背後からは詳しく説明を求める魔術師達の声と、僕を引き留めようとするスクリの声が響いてきた。
僕達が教会の本堂に戻ると、ハッセルはもうすっかり落ち着いた様子で椅子に座っていた。
……いや嘘だ。落ち着いていると言うより、諦めているような、どこか魂でも抜け落ちていそうな雰囲気だ。
「あの……大丈夫ですか……?」
僕は腕で目元を隠して休んでいるハッセルにそう訊いてみる。
すると、彼は明らかに元気が無いような声で「あぁ……」と答えた。それと同時に彼は腕を力なく落とし、脱力した。
まずいな、枯れてる……。
「もう好きにしてくれ……」
枯れるどころか自暴自棄になってんなこれ。
ここでうだうだはしてる暇はないんだが……。
「起きてくださーい。勇者に喧嘩売りに行きますよー」
僕はそう言ってハッセルの正面に立って、彼の頬を優しく叩いた。
これで起きてくれたらいいん──。
「はぁ!?」「ぶげっ!」
……痛ぇ。
勢いよくハッセルが顔を上げたもんだから、僕の顔面にハッセルのおでこが直撃してしまった。
石頭がよぉ……。
「おまっ……馬鹿か?」
不意打ち後のナチュラル馬鹿呼ばわりはさすがに僕も傷つく。
わかるけど、勇者と戦うのは確かに馬鹿だけど……。
「決めたんです」
僕は鼻から赤いインクのようなものが流れているのを感じながら、キメ顔でそう言う。
僕の異世界人生史上、最も情けない場面だ。
「俺たち全員が連携を取り合っても戦えるか怪しいぞ……?」
もはや勝ち負け以前に、戦えるかすらもわからないらしい。
それほどまでに勇者の力は洗練されているということでもあり、ちょっとやそっとでは手も足も出ないことを証明している。
帝国近衛騎士団の団員がこのように言うのだから、やはり勇者は規格外だ。
「勇者も戦闘に参加しているなら、多少の疲弊はしているでしょう。
それに、僕達の目的はアディメさんの救出ですから。アディメさんが勇者に同行していた場合、アディメさんを救出した時点で戦いは放棄します」
「敵前逃亡か……あまり好まないが、この際仕方がない……」
失礼な……敵前逃亡ではなく、転進と言ってほしい。
もっとも、勇者を相手に転進なんて所業は難しいと思うが。
「作戦はあるのか?」
「ありません」
「やはり馬鹿だな!?」
ナチュラル馬鹿呼ばわり反対!
確かに計画しないなんて馬鹿だけど、馬鹿だけど!
「……ヒットアンドアウェイを心がけましょう」
「適当すぎるだろう」
「攻撃を与えたらすぐに離れる。戦闘の基本でしょ?」
「それはそうだが……しかし、それは相手の練度が自分以下の奴に通用する手であって……」
それを言い出したら勇者相手にはどの戦法も効果がないことになる。
「細かいことは置いときましょう」
「置くなよ……」
ハッセルの言うことは無視しておこう。
どうせ死ぬかもしれない命だ。最悪僕1人だけでも勇者の元に向かう。
「強制はしません、来ないのなら来なくても、僕は責めませんから」
僕がそう言うと、ハッセルは顔を歪ませながら、何かを考え始めた。
僕に同行するかしないか、決めあぐねているのだろう。
リミラスからアディメ・へラーラを助け出せという命令を受けている以上、僕に付いていったほうがいいというのを理解しているんだろうが、危険度が高いから行こうか迷っている。そもそも、本当に勇者の元に彼女はいるのだろうか。そんなふうに考えていそうだ。
スクリが一歩前に出て、淡々とした口調で発した。
「私は行きますよ。
どのみち私はリーバルトさんがいないと駄目ですから」
「スクリ……!」
「リーバルトさんがいなきゃ上級の依頼を受けれなくて収入が減るのは地味に痛いんです」
「スクリ……」
最後の言葉がなければ素直に君を良い子として見れてたんだけどなぁ……。
しかし、彼女はこういうところがあるから安心すると言うか。
ギャンブルは辞めてほしいものだが。
「私達も同行します」
そう言って、ハッセル以外の帝国近衛騎士団の面々も一歩前に出た。
意外だ。
彼らと僕とのつながりはほとんど無いというのに。
「皇帝陛下のアディメ・ヘラーラ氏を救い出せという命令を、私達は遂行しなければなりません」
なるほど。
リミラスの命令は絶対厳守。
奉公精神ここに極まれり、だ。
リミラスも部下にここまで慕われて、さぞや嬉しいことだろう。
「…………わかった。俺も行く」
他の帝国近衛騎士団の面々を見て、ハッセルも覚悟を決めたようで、彼も最終的に一歩前へと前進した。
「決まりですね」
そうと決まれば早く勇者の元へ……。
「待て馬鹿おい。作戦は立てるぞ作戦は」
僕はローブの裾を掴まれて、早急に勇者の元へ向かうことはできなくなった。




