第6話 強敵には勝てるのに雑兵には負ける
値段を付けられた。
「別世界の勇者。聖剣なし。加護なし。状態は並。金貨八十枚」
銀縁眼鏡の男が、ルシアを上から下まで見た。
「遺品係。戦闘力なし。固有能力は希少。生け捕りなら金貨二百枚」
「俺のほうが高い」
「そこ、喜ぶところ?」
ルシアが小声で聞いた。
「値付けが雑なので保留です」
「なら、あとで本人へ抗議して」
本人は、河岸倉庫の二階に立っている。
名はマルク。
戦災品の買い取りを表向きの仕事にし、持ち主が死んだと決めつけた品を集める収集者だ。
今朝の朝箱には、真鍮の預かり札が一枚入っていた。
河岸第六倉庫、棚四番。
来てみれば棚四番に朝箱はなく、代わりにマルクと、棍棒を持った男が三人いた。
ベルクとカイルの隊は、倉庫の二つの出口を押さえている。俺たち三人が箱を確認し、合図で踏み込む手順だった。
中へ入った途端、防火扉が落ちて合図の鐘まで切られた。
罠としては分かりやすい。
分かりやすくても、朝箱を持ち去られている以上は帰れない。
「こちらの査定も伝えましょうか」
俺は男の装備を見る。
「眼鏡は度が合っていない。外套は肩幅が違う。右靴だけ踵が減っていない。腰帯は穴を二つ増やしている。全部、あなたの物ではありませんね」
マルクは笑った。
「由来を読む目は、噂以上だ。金貨二百二十枚へ上方修正しよう」
「勝手に売らないで」
「値が付くのは幸福なことだ、勇者殿。値のない品から捨てられる」
彼は何を見ても価格へ置き換える。
持ち主の不在を、所有権が空いたのだと思っている。
「その箱を返してください」
倉庫奥の机に、六つ目の朝箱があった。
封は切られていない。
灰色の糸も残っている。
「未開封。出所不明。箱単体なら銀貨十枚」
「中身を見ていないのに?」
ミナが顔をしかめる。
「中身が分からないから、夢の値段が乗る」
「人の名前を知らないから高く売れるのと同じですか?」
マルクの笑みが少し薄くなった。
ミナは品より先に、その向こうの人を見る。
この男とは最も相性が悪い。
「交渉は終了だ。商品番号二百二十、確保」
マルクが指を鳴らした。
右靴の金具が青く光る。
身体が床を滑った。
速い。
ルシアが俺を突き飛ばす。
マルクの拳を、借りた訓練剣で受けた。
剣がしなる。
「あと何回?」
彼女が聞く。
「何がです」
「この剣。今ので一回。次で折れる?」
「三十七番は三十六番より背が厚い。たぶん三回」
「たぶんは何割?」
「七割」
「二回で捨てる」
戦闘中に武器の廃棄予定を決める勇者は、英雄画には描きづらいだろう。
マルクが二撃目を出す。
今度は左腕の小盾が光った。
ルシアの剣が触れる前に、見えない衝撃が返る。
彼女の身体が木箱へ飛んだ。
「勇者、損傷あり。金貨六十枚へ下方修正」
「ノア。右靴から」
ルシアは倒れたまま、敵の速さの出所を指定した。
俺にも見えている。
右靴だけ、川砂が縫い目まで入り込んでいる。甲へ三本線の船印。河岸の渡し守が使う、水上歩行の靴だ。
今朝、倉庫前で片足を引いていた老人を思い出す。
左足だけ、同じ印の靴を履いていた。
「右靴を、対岸渡しのハル老人へ。《返却》」
靴が消えた。
マルクの右足が裸になる。
次の踏み込みは床を滑らず、そのまま前へつんのめった。
ルシアが立つ。
訓練剣の腹で、男の眼鏡を打ち上げた。
「眼鏡、銀貨二枚!」
「まだ値段を付けるんですか」
マルクは転がりながら小盾を向ける。
表面に、寺院の白い鐘が刻まれていた。縁には内側から押し広げた跡。彼の腕には小さすぎる。
「ミナ!」
「白鐘寺院のエダさん! 先月、巡礼路で襲われた人です。左腕に古傷があって、盾の革を広げてました!」
名前と人が届けば、あとは品を見る。
ルシアがわざと剣を振った。
盾の衝撃が返る直前、俺は縁へ触れる。
「この盾を、白鐘寺院のエダへ。《返却》」
二度目。
小盾が消える。
返るはずだった衝撃だけが行き場を失い、倉庫の窓を割った。
右腕の感覚が、手首まで薄くなる。
マルクの顔から笑みが消えた。
「返却能力、実演済み。金貨三百――」
「値上げは結構です」
「ならば、ここで壊して価値を落とす」
腰帯の赤い石が光った。
男の身体が一回り大きくなる。
床板が沈み、拳が訓練剣を正面から砕いた。
ルシアは柄を捨てる。
「二回。予定どおり」
「武器がなくなりましたよ」
「予定どおりじゃない」
そこは違うらしい。
マルクがルシアの首へ手を伸ばす。
彼女は倉庫の鎖を取り、腕へ巻きつけた。力では負ける。だが拳の向きだけを変え、柱へ打たせる。
「ノア、石!」
赤い石は、荷運び人が使う力帯の留め具だ。
表面に大きな傷が二つ。裏には子供の字で『父へ』。
盗難届で見た。
戦場から戻った荷運び人へ、娘が贈った品。
「力帯の留め石を、南河岸の荷運び人ダンへ。《返却》」
三度目。
赤い石が消えた。
同時に、右肩から先の感覚も消える。
マルクの膨らんだ身体が元へ戻った。
ルシアは鎖を引く。
男が一回転し、朝箱の横へ落ちた。
強敵は、倒れた。
盗んだ速さ、盗んだ盾、盗んだ力。
全部、持ち主へ返した。
「返すな!」
マルクが叫んだ。
初めて、値段のない言葉だった。
「それは俺のものだ!」
「今の台詞だけ査定します」
俺は動かない右腕を押さえた。
「銅貨一枚です」
背後で、風が鳴った。
振り返る。
棍棒。
マルクの手下が一人、まだ残っていた。
煤けた上着。震える膝。両手で持った棍棒には、削り跡と本人の汗が染み込んでいる。
盗品ではない。
たぶん自分で切った木だ。
つまり、俺には何もできない。
「その棍棒を返――」
「俺のだ!」
「ですよね」
頭へ星が散った。
強敵には勝てた。
その部下には、一撃で負けた。
◆
目を開けると、俺は倉庫の床に寝かされていた。
後頭部の下には、ルシアの青い外套が畳んである。
「何秒、気絶してました」
「百八十七秒」
「細かいですね」
「途中で息をしてるか三回見た」
手下はカイルの部下に縛られている。自前の棍棒も、証拠品として横に置かれていた。
マルクは眼鏡を失った顔で、朝箱を見ている。
ベルクが箱を確保し、ミナが机の帳簿をめくっていた。
室長が六つ目の朝箱の封を切る。
中身は空だった。
ただし底板には九つの小穴があり、一本ずつ違う結び目の灰色糸が通されていた。荷物ではなく、この倉庫まで俺たちを引くための目印だったらしい。
「ノア、これ」
帳簿には、灰色の糸が九本、挟まれている。
色は同じ。
結び目は、すべて違った。
「誰から買ったんです?」
俺が聞くと、マルクは笑おうとして失敗した。
「買っていない。向こうから値を付けに来た」
「差出人は誰です」
「一人だと思っていたのか?」
彼は九本の糸を見た。
「箱を送っているのは、一人じゃない」




