八秒後に盗まれる荷物が、七秒早く届いた
十五個目の朝箱を開けた瞬間、中身はなかった。
釘は十二本。封蝋は無傷。底板だけが、浅いくぼみを八つ見せていた。
俺は左手で白布を敷く。右腕は添え木の中へ入れたままにする。世界を越えて青札を返した一回分は、まだ肩から抜けていない。指を動かそうとしても、右手は他人の手袋みたいに黙っていた。
「中身なし、で記録します?」
ミナが箱を横からのぞく。
「八秒待て」
ベルク室長が言った。蓋の裏へ、細い炭でそう書いてあったからだ。
八秒。
ルシアが口を開くより先に、一番奥のくぼみが鳴った。
からん。
青いガラス玉が、何もない底から落ちる。音は箱の外からではない。くぼみそのものが、品を受けた。
「一」
ルシアが秒を切り出す。
二つ目は、より短い。
カチ。
子ども用の靴の留め金。片側に、小さな歯形が二つ。くぼみの縁が、先より深く沈んだように見えた。
「二」
三つ目は、落ちる前に針が震えた。
折れた方位針。北ではなく、北東で止まっている。
「三」
ルシアの声が、一拍分だけ速くなる。
四つ目は銅貨だった。穴が開いている。底板で一度跳ね、くぼみへ戻った。封蝋は動かない。釘も鳴らない。外から投げ込まれた音は、どこにもない。
「四」
五つ目の前で、返却室の扉が三度鳴った。間隔は揃っていない。
「開けるな。ミナ、鐘の間隔を記録しろ」
室長が止めると、ミナの手にはすぐ炭筆と受領票が渡された。怖がる暇を仕事で埋めるやり方は、今日も変わらない。
「五」
白い薬瓶の栓が、音より先に匂いを置いた。
「六」
赤い革紐。くぼみへ落ちる音が、五つ目の残りと重なる。
「七」
欠けた銀の匙。ルシアの「七」は、もう数えではなく止めだった。
八つ目のくぼみだけが空で、縁だけが一度、小さく鳴った。品は来ない。音だけが待っている。
扉の向こうから、女の声がした。
「あなたは蓋を閉じた」
まだ閉じていない。俺の左手は、蓋の縁に触れてさえいなかった。
「誰です」
「その質問は遅かった。勇者は扉の右へ立った。室長は杖を横へ置いた。補助係は、匙を人の食事へ結びつけた」
ルシアはすでに扉の右へ移っている。室長の杖は、取っ手を塞ぐ高さへ上がっていた。ミナの視線だけが、欠けた匙と俺の顔を往復する。
「北水路のティナさんの匙に似てます。でも欠け方が逆です」
女は答えなかった。
代わりに、扉の下から黒い札が差し込まれる。王国軍の固有能力者登録札。本物なら縁へ登録所の銀粉が残る。俺は左手で、白布越しに寄せた。銀粉は擦れていない。
『アデル・フォーン。危険品回収補助』
有効期限は、戦争終結の三日前。
「期限切れです」
「あなたはそう言った」
「では、今から言い直します。帰ってください」
「もっと遅かった」
八秒先を知っている。
そう考えた瞬間、箱の蓋が内側から一度跳ねた。八つ目のくぼみに、灰色の糸巻きが現れる。糸ではない。二枚の葬列札から抜いた繊維より太く、芯は黒いガラスだった。側面に、小さな欠けがある。
反射で左手を伸ばしかける。
ルシアの指が、俺の手首をつかんだ。力は二歩分だけだった。
「触るだけ」
「今のノアは、触った後に返そうとする」
「職務上の偏見です」
「過去十四日分の記録」
反論するには、証拠が強い。
右腕は添え木の中で冷えたまま。左手で能力は使えても、糸巻きの持ち主を判別できる材料がない。名前だけで返せば、青い葬列札の時より危険だった。
俺は手を引き、白布の端だけを持ち上げる。糸巻きは布の上で半回転した。芯の底に黒い粉が付いている。返却室の炭粉ではない。ガラスを何度も革帯へ差し込んだ摩耗だ。誰かが長く腰へ下げていた品だった。
ルシアが扉を開けた。
一歩。
廊下に立っていた細身の女が、体を左へずらす。灰色の髪を短く切り、腰の革帯へ黒いガラス札を八枚下げている。
二歩。
ルシアの左手が、女の肩へ届く直前。
「あなたは右足を止めた」
アデルが床へ銅貨を落とした。踏めば滑る位置だった。ルシアは右足を止め、半歩短く着く。全盛期の距離で伸ばした指が、アデルの外套を一寸だけ逃した。三歩目には入らない。ルシアは追撃より、扉を塞ぐ方を選んだ。
「ノア、箱」
俺は蓋を閉じた。女の予告どおりに。
だが閉じる直前、八つ目のくぼみから灰色の糸巻きが消えた。アデルの右手にある。《返却》ではない。移動の光も冷えもなかった。箱が出した品を、現れた瞬間につかんだだけだ。
「八秒後に盗むつもりでしたか」
「盗まなかった。あれは私へ返った」
糸巻きの黒い芯には、彼女の登録札と同じ欠けがあった。元からアデルの品なら、俺が《返却》しても彼女の手へ届く。能力を使える状態でも、結果は変わらない。
「何のために箱へ入れた」
ルシアが問う。
「あなたたちは八つ数えた。遺品係は七つを調べた。最後の一つだけを守ろうとした」
アデルは、これから起きることを済んだ仕事のように話す。正しさを、先に終わらせた口調だった。
「明日も同じだった」
「明日のことは、まだ過去形になりません」
「なった」
室長の杖が廊下を塞ぐ。アデルは前へ逃げなかった。ルシアの背後、返却室の中へ銅貨をもう一枚転がす。ミナの足元へ向かっていた。
ルシアが振り返る。
室長が杖を引く。
八秒後の二人を、先に動かした。その隙間をアデルは歩いて抜けた。走らない。角を曲がる前に一度だけ、右手の糸巻きを掲げる。
「次の箱で、遺品係は失敗した」
足音が消えた。
俺は扉を閉め、錠を二度確かめる。
「追跡は」
ルシアが聞く。
「しない」
室長が即答した。
「八秒先を知る相手へ、曲がり角の多い地下で若いのを走らせるな。ミナ、警備詰所へ期限切れ札の写し。ルシアは銅貨を拾わず位置を囲め。ノアは七品だ」
止められた全員へ、別の仕事が渡る。
俺は追わずに済んだ。その安堵は受領票へ書かない。左手で白布の端を揃え、残った七品を間へ置く。
青い玉。靴の留め金。方位針。穴銭。薬瓶の栓。赤紐。銀匙。
出身は一つではない。
青い玉には、青旗世界の第二城壁で使う石粉が詰まっている。靴の留め金は現世界の子ども靴と同じ寸法だが、歯形の幅がマルタの呼子より狭い。方位針は北東で止まり、穴銭の王冠は左右が逆だった。薬瓶の栓だけは、北水路救護院で煮沸した白い薬草の匂いがする。
七品は、同じ世界の一つの事故から集められたのではない。それぞれ別の場所で使われ、別の持ち主へ返るはずの小物を、誰かが一箱へ選んだ。
すべての穴へ、髪より細い灰色の繊維が一本ずつ残っている。昨日の葬列札と同じ、右側だけ欠けた穴だった。
底のくぼみには、一から八まで小さな数字が刻まれていた。
だが、品は数字の順には届いていない。
三と刻まれた場所へ、二つ目の留め金が落ちた。二と刻まれた場所へは、三つ目の方位針が来た。
アデルが扉の向こうで話していた時、床を擦る音が一度だけ止まった。二つ目のくぼみへ手を伸ばす準備をしていたのだ。実際に品が来たのは、三つ目だった。
「八秒先が見えるなら、間違えないはずです」
ミナが言う。
「この部屋の八秒先は見えた」
俺は、番号どおりでない七品を白布へ並べ直す。傷、摩耗、穴、匂い。返る先が違う品を、到着した順ではなく、くぼみの数字の順へ戻す。
「箱の向こうまでは、見えていない」
八秒後に盗まれた品は、七秒早く世界の外から届いた。
その一秒だけ、アデルの手は予告より遅れた。




