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勇者の遺品係ですが、死んだはずの本人から毎朝荷物が届きます  作者: sakumaaa
第一部 死者から届く朝便

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死んだ俺の名前を、生きている俺から外せ

青い石粉が、俺の左靴を囲んだまま動かない。


「三歩、後ろへ」


 エルマが測量紐を張る。言われたとおり、左足から下がった。


 一歩。


 青い足形が石畳に残る。


 二歩。


 粉は俺を追わない。


 三歩。


 さっきまで俺が立っていた場所を、青い線が囲み続けている。


「本人を追っていませんね」


「喜んでいい?」


 ミナが聞いた。


「俺が死者ではないことは、今朝までに何度も確認しています」


「では別の喜び方を探します」


 生存祝いは後回しになった。


 エルマは空の足形へ測量紐を当てる。つま先から踵まで、俺の靴より指一本ぶん長い。


「この位置が求めているのは、あなた自身ではありません」


「青旗で死んだノアの場所です」


「なのに、近くにいた同じ名前で空席を埋めた」


 カイルが言った。


 名簿に書かれた名と、広場にいる同名の人間をつないだだけだ。


「名簿を」


 ミナが開いた。


 斥候イーサ。盾兵ロド。水術師メイ。槍兵トーマ。伝令フィン。


 五人には役目が書かれている。最後だけ、名前しかなかった。


『ノア』


「役目の欄が空です」


「あの人は兵士じゃなかった」


 ルシアが青札を握ったまま答えた。


「返却室の回収役。軍の名簿に職名がなかった」


「だから名前しか残らなかった?」


「私が書かせなかった」


 ルシアの返事が止まる。秒数も歩数も続かない。


「戦いが終わったら、本人に書かせるつもりだった」


 書く本人は帰らなかった。空欄だけが、十四日後の葬列まで残った。


「名前以外の根拠を足します」


 俺は受領票を一枚出した。左手で『ノア』と書く。右腕は添え木の中に置いたまま。《返却》も使わない。


 新しい受領票を青い足形へ置く。


 石粉は動かなかった。


「今書いた名前では足りない」


 カイルが言う。


 ミナが受領票の下へ白布を敷いた。


「こっちのノアさんだって分かる物なら、返却室の鍵と、右手の傷と、昨日までの受領票が百枚くらいあります」


「俺の生存を証明する品は多いですね」


「死んだ人の場所から外すのに、生きてる人の証明が役に立たないの、少し変です」


 変ではある。だが葬列が探しているのは、生者でない証拠ではない。六人目として弔う、青旗ノア本人の痕跡だ。


「現在の彼を細かく指定しても、空席の持ち主は決まりません」


 エルマが言った。測量紐の黒い節を、空欄の名簿へ合わせる。


「葬列で必要なのは、列から追い出す人の記録ではなく、列へ迎える死者の記録です」


「その記録を、軍は名前しか残さなかった」


 カイルの声が硬くなる。


「こちらの軍なら、所属不明の協力者として番号を振る」


「番号なら分けられる?」


「分けられる。だが本人が生きた名は残らない」


 正確な管理と、正しい弔いは同じではない。番号で線を分けても、ルシアが呼ぶ死者の名まで消える。


「なら、既にその人と仕事をした品です」


 ルシアを見た。彼女は理由を聞かなかった。半焼けの外套の内側へ手を入れ、三つ折りの封筒を出す。


 七日目に届いた、青旗ノアの手紙。宛名は『ルシアへ』。裏は『ノア』。


 俺の受領票と並べる。左手で端を押さえ、右下の炭汚れと左下の汚れを交互に見る。こちらの炭汚れは左下。手紙は右下。こちらの返却室印は縁の右が欠け、向こうの印は左が欠けている。


 俺は紙を棚幅に合わせて三つ折りにする。向こうのノアは、一度半分にしてから、端だけ折り返していた。折り目の角が、わずかに違う。


 似た仕事をして、似た道具を持ち、違う順番で紙を扱った二人。名だけを抜けば重なる。手順まで残せば、重ならない。


「置ける?」


 ルシアが聞いた。


「俺ではなく、あなたが置いてください」


 手紙は彼女への品だ。受取人の選択まで、俺の仕事にしてはいけない。


 ルシアは空の足形の前へしゃがんだ。だが、封筒を下ろす指が止まる。


「置いたら、終わる?」


「何がです」


「あの人を、死者の列へ入れること」


 答えを急ぐ場面ではなかった。青旗の葬列開始まで二時間十二分。それでも、ここだけは秒にしないほうがいい。


「終わらせるための列です」


 エルマが言った。


 ルシアが顔を上げる。


「忘れるためではありません。死者を、生者の立つ場所から移すために歩きます」


 測量紐を握る手は緩んでいない。


「私は、あの人を置いてきた」


 ルシアが言う。


「三十二で離せと言われた。離せなかった。最後は向こうから手を離した」


 封筒の角が、石畳へ触れる。


「青旗返却室の回収役、ノア。右下を炭で汚す人。私の名前だけ、最後の線を短く書く人」


 青い石粉が一粒、動いた。


「帰路は受領した、と言って、私だけ帰した人」


 俺に同じ台詞を求めた夜があった。今のルシアは、俺へ言わせなかった。


「この人を、六人目の死者として受け取って」


 封筒が足形の中央へ置かれた。


 粉が持ち上がる。俺の靴跡を囲んでいた輪がほどけ、手紙の右下へ集まった。黒い指紋がある場所だ。


 青旗ノアは炭筆を持ち替える時、紙の右下を汚した。俺は左下を汚す。同じ名前でも、同じ紙の汚し方はしない。


 青い粉は封筒の右下から細く伸び、空の足形を半歩だけ北へ移した。つま先の向きも変わる。北門ではなく、ルシアの背中を見る位置。


 エルマが新しい足形を測る。


「先ほどより一指長い。右足の外側が減っています」


「あの人、右の踵を引きずってた」


 ルシアが答えた。


「最後の三日だけ。退路を掘った時に痛めた」


 数字は戻った。ただし、俺の傷ではなく、死んだ人の傷を説明するために使われている。青い線は、その違いを受け取った。


「外れました」


 ミナが俺と足形を交互に見る。


 俺が左へ一歩動く。粉は追わない。


 もう一歩。石畳の継ぎ目を越えても、動かない。


 三歩目で足を止める。粉は手紙の右下に留まったまま、俺の靴を見ない。


「今度こそ喜んでいい?」


「控えめに」


「ノアさんが葬列から外れました」


 広場で祝う内容としては、かなり地味だった。それでも息が少し軽くなる。死んだ別の俺から、名前を一つ返してもらった気がした。


 ルシアは封筒から手を離さない。俺は白布を一枚、彼女の左手の横へ置いた。触れない。代わりに、戻す場所だけ作る。


「次です」


 エルマが測量紐を引いた。声はいつもの長さに戻っている。


 青い線は、死者ノアの足形をルシアの後ろへ置いた。黒い線は、現世界で死んだルシアの棺台を像の前へ置こうとしている。そして青い札は、生きているルシアを六人の先頭へ求めていた。


 黒い蝋が、彼女の右靴へ巻き付く。青い石粉が、左靴の外側へ沿う。


 一人のルシアを、二つの仕事が左右から引いた。


「動かないで」


 エルマが言う。


「今度は本当に、裂けます」

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