生きている勇者を、死んだ葬列へ入れるな
二本の葬列は、ルシアの足元で同じ名前を取り合っていた。
王城側から伸びる黒い蝋の線。
北門側から伸びる青い石粉の線。
どちらも勇者像の前で止まり、その交差点に生きているルシアが立っている。
「右へ半歩」
広場へ来た女は、挨拶より先にルシアの立ち位置を直した。
黒い礼服。腰には巻き尺。右手には白と黒を交互に編んだ測量紐。
王都葬列監督官、エルマ・ヴェイル。
十四日前、現世界のルシアを棺台から墓所まで一度も迷わせなかった人物である。
当日の記録には、葬列の総歩数、棺台が止まった秒数、遺族同士の間隔まで彼女の字で残っている。
泣いた人数だけは空欄だった。
数えなかったのではない。
そこだけは、数にして提出しなかったのだとベルクから聞いている。
「もう半歩」
ルシアが横へ動く。
「止まって」
「合計一歩」
「葬列で距離を足し算しないでください」
エルマはルシアの顔をほとんど見なかった。
靴先と線の間隔だけを測り、測量紐を石畳へ張る。
人より先に物を見る俺と似ている。
似た職業病を持つ者同士が仲良くなれるとは限らない。棚の分類が同じでも、受取先まで同じとは限らないからだ。
「生者は黒線を踏まない。遺族は棺を追い越さない。死者は列を抜けない」
エルマが紐の端を石目へ合わせた。
「順番があるから、残された人は墓所まで迷わず歩けます」
「黒い葬列は、もう終わったはずです」
俺は言った。
「終わったから、変えてはいけません」
返答に迷いがない。
カイルが彼女を呼んだ理由が分かった。
王家、寺院、軍。黒い札を欲しがる三者のうち、どこにも属さず、三者全てから葬列の順番だけを預かる人間だ。
「青い札は未登録です」
エルマは青札の箱へ黒布を掛けた。
布の下から、青い石粉の線が伸びたままだった。
隠すことと、なくすことは違う。
彼女は黒布を二重にし、箱を裏返した。
線は消えない。
俺は左手で黒札の箱を、蝋線から指一本ぶん外した。
黒い線は箱を追わず、十四日前の車輪跡を通ったまま像へ伸びている。
一度受領された葬列の仕事は、札を見えなくしても、箱を動かしても止まらないらしい。
「保管庫へ入れても同じですね」
「だから保管するんです」
エルマは箱を元へ戻した。
「止められない仕事を、誰かが勝手に使えないようにする」
「向こうでは、六人が待ってる」
ルシアの声が短くなった。
「こちらの記録を守るために、あちらの葬列を消す?」
「消しません。順番を待たせます」
「何分」
「正式審査まで十二日」
「私の国は八日」
「承知しています」
「承知したまま待たせるんだ」
エルマの指が測量紐を強く押さえた。
返事の代わりに、白黒の編み目が一つ潰れる。
彼女にも数字は届いている。
それでも譲れない順番があるだけだ。
測量紐は黒線と青線の交差点をまたぎ、俺たちの足元へ伸びてくる。
エルマは顔を上げず、紐の端で俺の左靴を軽く遮った。
「十四日前、勇者ルシアの棺を見た遺族は三百十一人です」
エルマが言った。
「今日、生きている同じ顔の勇者が黒い列を歩けば、あの日に埋葬した人が誰だったのか、三百十一人へ説明し直すことになる」
「私は、あの人じゃない」
「知っています。だから黒い列へ入れません」
拒絶ではなく、区別するための禁止だった。
正しい部分がある。
正しい部分だけで、青旗側の六人を十二日待たせられない。
「試します」
俺は左手で青札の箱を開けた。
右腕の添え木は外さない。《返却》も使わない。
能力で動かす前に、何を動かす仕事なのかを見る。
「ルシア。青札を。左手」
「持って歩く?」
「二歩だけ。黒線を踏まない方向へ」
ルシアは青紐へ左手を差し入れた。
一歩。
青い石粉は北門から像へ伸びたまま、彼女を追わない。
二歩。
黒い蝋線も動かない。
ルシアが交差点を外れても、二本の線は像の足元で交わり続けていた。
箱の位置をずらしても、布で隠しても、線は札が預かった仕事の道を選んだままだ。
「私を取り合ってるんじゃない」
「はい。競合しているのは人ではなく、二枚の札が預かった仕事です」
黒札は、現世界の死者ルシアを棺台の先頭へ置いた仕事。
青札は、生きている青旗ルシアが六人の死者を先導する仕事。
同じ名前でも役割が違う。
それなのに二本の線は、同じ時刻、同じ像の前を受領先として選んだ。
俺は左手の炭筆の腹で、黒い蝋と青い石粉を別々の白布へ取った。
黒い蝋には、十四日前の白花の粉と棺台の鉄さびが混じっている。
青い粉には鐘楼六つの青石と、乾いていない北門の泥が残っていた。
物も、道も、世界も違う。
同じなのは札へ書かれた名前と、この像の場所だけだ。
「なら、青い方の道を変えればいい」
エルマが北側の石畳へ測量紐を移した。
「像の東を回り、黒線と交差しない経路を申請します」
「何歩増える」
「二百四十歩」
「六人を待たせるより短い」
ルシアは即答した。
話がまとまりかけた。
だから、まとまらなかった。
エルマが東へ紐を引くより早く、青い石粉が像の西側へ枝分かれした。
予定経路を変えたのではない。
細い一本が、広場の端に立つ俺たちの方へ伸びてくる。
「動かないで」
エルマが初めて、間隔ではなく俺の顔を見た。
青い線はミナの足元を避けた。
カイルの剣鞘も避けた。
俺の靴の三歩手前で止まる。
「青旗側の葬列参加者を確認します」
ミナが名簿を開いた。
青旗側の予定開始まで、二時間十八分。
魔王戦で死んだ六人の遺体は北門の仮安置所に残され、葬列が始まらなければ、崩落前の共同墓地へ移せない。
青旗王都に残された時間は八日。
こちらの審査を待つ十二日は、死者にも生者にも長すぎた。
「ルシアさん。六人のお名前を、一人ずつお願いします」
ルシアは青札を左手に持ったまま答えた。
「斥候のイーサ。盾兵のロド。水術師メイ。槍兵トーマ。伝令のフィン」
一人ごとに、青い石粉が指一本ぶん進む。
五人目で、線は俺の靴先へ届いた。
最後の名だけ、ルシアは具体化しなかった。
秒も、距離も、役職も付けない。
一拍、測量紐の端が石畳を擦る音だけが残った。
「ノア」
青い石粉が、俺の左靴を一周した。
つま先から踵まで。
葬列で人が立つ場所を示すように、足形の枠を作る。
「その人は生きています」
ミナが名簿を閉じた。
「見れば分かります」
エルマの完全だった声に、初めて余分な息が混じった。
「では、なぜ死者の位置へ入ったんです」
俺は答えず、青い粉へ左手の炭筆を近づけた。
触れていない。
《返却》も使っていない。
それでも線は、青旗で死んだノアと、この世界で生きている俺を、名前だけで同じ場所へ置こうとしている。
二人のルシアを分ける仕事だと思っていた。
その前に、俺を片方の死者から外す必要があった。




