同じ勇者を、二つの葬列へ返せない
葬列の順番札には、死者と生者の区別が書かれていなかった。
書かれているのは名前と、歩く場所だけだ。
『勇者ルシア 葬列先頭』
黒い札にも。
青い札にも。
「どちらが私の?」
ルシアが聞いた。
「質問が二つほど足りません」
「どの私の、どの葬列?」
「正解です」
正解に賞品はない。
あるのは、同じ名前を持つ二枚の札と、箱の底に残った灰だけだった。
俺は右腕を動かさず、左手で黒い札を白布へ移す。サージの添え木は昨夜より軽くなっていたが、軽いことと使っていいことは別である。
黒い札は薄い樫板。角が四つとも丸い。
表の文字に雨染みはなく、裏だけに蝋と白い花粉が残っている。上辺の穴へ通された黒紐は、引かれた傷がほとんどなかった。
左手の炭筆で、裏の蝋を示した。
「これは持って歩いた札じゃありません」
「平らな物へ固定されていた。棺か、棺を載せた台です」
ルシアは秒数にも距離にも言い換えなかった。
黒い札を見たまま、左手で自分の右手首をつかんでいる。
「死んだ方の私」
現世界の勇者ルシアが葬られた日、俺は戦没者広場の端で靴ばかり見ていた。棺の上に何が載っていたかは覚えていない。
英雄の葬儀は、本人が見られないところほど立派になる。
「ミナ」
「はい。黒い札は棺台の正面です」
記録棚から顔を上げるより先に答えが返った。
「運んだのは北門第三小隊の四人。右前がエド、左前がハンス。エドさんは泣きながら二度転びそうになって、ハンスさんに腰帯をつかまれていました」
「札ではなく人で覚えていますね」
「札は黙ってましたから」
その記憶力が、今日はありがたい。
黒い札は現世界の品で、現世界の死者の葬列に使われた。
次は青い札。
同じ樫板に見えたが、木目が細く、縁へ青い塗料が二度塗られている。裏に蝋はない。上辺の二つの穴から青紐が通され、左側だけ手を差し込める長さが残してあった。
左手で紐の余長を軽く引く。穴の縁は削れていない。
「こちらは未使用です。ただし、左手で持って歩く作りになっている」
俺が言うと、ルシアの指が右手首から離れた。
「青旗の葬列では、先頭が札を持つ」
「誰の葬列ですか」
「北門で死んだ六人」
返事は速かった。
その後で、ほんの少し遅れて続いた。
「ノアも含む」
俺ではない。
彼女の世界で、撤退路を三十二秒支えて死んだノアだ。
「葬列は、いつの予定でした」
「魔王戦の十四日後。夜明けの鐘から三時間後。北門から戦没者広場まで千八百歩」
今日は、魔王戦から十四日目。
この世界の夜明けの鐘は、さっき鳴り終わった。
「予定どおりなら、あと二時間四十七分」
ルシアが青い札を見た。
「向こうの私は、これを持って歩くはずだった」
「本人は、こちらにいます」
「だから届いた?」
「まだ断定できません」
箱の差出人は、俺たちが困る順番をよく知っている。
片方は、死んだルシアを先頭へ載せる札。
もう片方は、生きているルシアが死んだノアたちを先導する札。
同じ文面でも、仕事が逆だった。
片方を偽物にするには、どちらも作りと来歴が正しすぎる。
「《返却》は使うな」
室長のベルクが、杖の音と一緒に入ってきた。
「まだ何もしていません」
「やる前の顔をしていた」
「顔で本人確認するのは危険です」
「お前に限っては、棚の角をそろえ始めたら同じ意味だ」
見ると、空いた左手で朝箱の蓋を壁と平行に直していた。
無意識は、受領票へ書けない場所で仕事をする。
ベルクは俺の右腕を一度見てから、二枚の札の間へ木枠を置いた。
「能力の代わりに、広場の使用記録を照合しろ。歩けるな」
「はい」
「ルシア殿は」
「千八百歩なら歩ける。三歩目で転ぶ走り方はしない」
「では護衛を。ミナは葬列参加者の名簿。札は別々の箱へ入れろ」
禁止だけで手を空にしない。
反論しにくい上司のやり方だった。
◆
戦没者広場には、傷のないルシアが立っていた。
石像である。
泥も血もなく、剣は刃こぼれ一つない。本人より背が二倍ほど高く、本人より胸を張り、本人より剣を壊さなそうだった。
「持ち方が違う」
像を見上げたルシアが言った。
「そこですか」
「左手なら、柄頭を二指ぶん下げる。あれでは三撃目に手首が浮く」
「石像は三撃目を振りません」
「だから直されない」
英雄像にも実地訓練が必要らしい。
広場の石畳には、二週間前の葬儀で使った黒い蝋の跡が残っていた。正門から像へ一直線。棺台の車輪幅とも合う。
俺は黒い札を入れた箱を、その線の端へ置いた。
青い札の箱は三歩離す。
ルシアは広場の北側へ回り、石畳の継ぎ目を数え始めた。
「北門からなら、あちらが最短」
彼女が指したのは、黒い蝋跡と逆向きの道だった。
青旗の葬列は北門から広場へ入り、像の前を通って王城へ抜ける。
現世界の葬列は王城側から入り、像の前で止まった。
二つは、像の足元で正面からぶつかる。
「時刻は」
背後からカイルの声がした。
彼は二枚の書類を持っていた。感情が強いと、彼の手元では紙が増える。
「青旗側の予定まで、二時間三十一分です」
「この広場の使用記録は、今日から三日間空いている。黒い葬列は十四日前の同時刻に終了。次の国葬は十一日後」
「なら、道だけなら空いています」
「道だけではない」
カイルは一枚目を俺へ渡した。
北門臨時救護班。登録残り三日。
「世界の異なる公有物を、この王国で一時的に受領できる組織は現在そこだけだ。登録が切れれば、青い札は受取人不明へ戻る」
「延長は」
「正式審査には最短十二日。青旗王都の崩落までは残り八日」
数字だけで、待てないことが分かった。
「三日以内に、この札の受領先を決めろということですか」
「二枚ともだ」
カイルは二枚目をルシアへ渡さなかった。
黒い札の保管命令だった。
現世界の勇者遺品として、王家、寺院、軍の三者が受取権を主張している。
「葬列まで終わった札を、今さら誰が欲しがるんです」
「勇者がもう一人いると知ったからだ」
カイルの声が平らになった。
「死者の記録を、生者へ渡さないためだと言っている」
「それは正しいですか」
「正しい部分がある。だから厄介だ」
ルシアは黒い札の箱を見た。
立ち位置が、像の影から半歩だけ外へずれた。
「私へは返らない」
「分かっています」
「でも、私の名前」
名前が同じでも、返却先は同じではない。
俺たちは、もう何度も確かめた。
それでも自分の名前を付けた葬具を、ただの他人物として見ろというのは、手順書に書けるほど簡単ではない。
俺は黒い箱へ手を伸ばしかけた。
右腕の添え木が鳴る。
触れる前に、石畳の下から鐘が響いた。
一度。
青い札の箱が、北門側へ指一本ぶん滑った。
二度。
黒い札の箱が、王城側へ同じだけ滑る。
三度目で、二つの箱は同時に止まった。
像の足元へ、二本の線が浮かんでいた。
黒い蝋の線。
青い石粉の線。
別々の道から来た二つの葬列は、同じ石畳を同じ時刻に通ろうとしている。
そして交差する場所には、ルシアが立っていた。




