第35話 刈安暁音
「どうやらこの本、あなたにとって特別な本のようね、石蕗沙生那さん」
沙生那が驚く様子がお気に召したのか、暁音は得意満面といった様子だ。
確かに、暁音が冒険の書を持っていたのは俺たちにとって予想外の出来事だ。
だが、そこはさすがに沙生那。
「だったらどうしたっていうの?」
一瞬の動転からすぐに立ち直って、真正面から暁音に言い返した。
「きっとこの本には重大な秘密があるということよ。そうなんでしょ? そこのあなた!」
そう言って暁音は、おもむろに俺に向かってビシッ! と人差し指を突きつけた。
「え……?」
いきなり暁音に指をさされて、どう反応すればいいか分からずに、俺は固まってしまった。
「嶺渡君は関係ないでしょ!」
いや、俺は関係者の筆頭だと思うんですけど、沙生那さん……
「古本屋さんに向かって真っ先に走り出したのは彼よ。つまりそれは、彼が何か重大なことを知っている何よりの証拠ということだわ」
「くっ……!」
暁音の推理に言葉を返せず、詳しそうに唇を噛む沙生那。
「それにしても、随分とムキになるのね、石蕗さん。さてはあなた、その、何とかという男子に特別な感情を持っていたりするのかしら?」
何とかという男子って……まあ、仕方ない。隣のクラスの女子からしたら陰キャの俺など……て、今特別な感情って言った?
「そ、そんなことないわよ!」
うんうん、沙生那としては当然の反応だろう。ちょっと寂しい気もするが……
「そんなこと言っていいのぉ、沙生那? それにちょっと口ごもったしぃ」
夕璃乃がいつもの調子で割って入ってきた。
「あら、あなたはそのへんの事情に詳しいのかしら、紅藤夕璃乃さん? それから蕗明日海さんも?」
暁音は夕璃乃と明日海のことも知っているようだ。
まあ、三人とも成績上位者だ。学年トップを狙う暁音にすれば意識するのも当然かもしれない。
「まあね。この陰キャ君は私たちにとって特別な存在だよ」
夕璃乃は存外真剣な声でそう言うと、俺の腕に手を回した。
「あ、あの……」
何か言わなきゃと思い、俺は横目で夕璃乃を見た。
ここ最近、このような状況は増えてきてはいる。多少は慣れてもきた。
だがそれは、あくまでもアルスガルドでのこと。
現実世界でとなると、やはりドギマギしてしまう。何を言えばいいか分からなくなる。
「そうだよ、私も嶺渡君のおかげで……」
「蕗さん!」
沙生那が明日海の言葉を遮った。
「何やら色々とありそうね、あなた達。面白いわ」
不敵な笑みを浮かべて沙生那を見る暁音。
「さあ、行きましょう、嶺渡君」
そんな暁音をスルーして、沙生那は俺の腕を取った。
「だねぇ、行こう行こう」
「うん」
夕璃乃と明日海も俺を促すように言った。
「ちょっと待ちなさいよ、まだ話は終わってないわよ!」
歩き始めた俺たちに駆け寄る暁音。
この、刈安暁音という女子、沙生那達からはあまり好かれてはなさそうだ。
だからといって、このままスルーしてよいものか?
何と言っても暁音は冒険の書を持っているのだ。
そもそも、例の古本屋に遭遇できるのはどのような者なのか。今も謎のままだ。
もしかしたら、何かしらの要件があるのかもしれない。
となれば、冒険の書を持っている暁音はその要件を満たしているということになる。
そして、今のところ新しいクエストは出てきていない。
ということは、暁音を新たに仲間に加える事が新クエスト発現イベントなのかもしれないではないか。
「あの、石蕗さん……」
おれは、夕璃乃と一緒に俺の腕を引く沙生那に呼びかけた。
「なに?」
横目で俺を見ながら答える沙生那。機嫌は良くなさそうだ。
「とりあえず、刈安さんと話をしてみては……」
沙生那の顔色を伺いながら俺は言った。
「なになに、陰キャ君、あの子を仲間にしようっていうの?」
隣で聞いていた夕璃乃が眉をしかめている。
「それはまだ……でも、冒険の書を持ってるし、新しいクエストが発現するかももしれまけんので」
と言っても、俺も自信があるわけではない。あくまでも推測だ。
沙生那は何も言わずに歩いている。
もしかしたら沙生那を怒らせてしまったのだろうか?
俺の心が揺れた。
沙生那は、俺が高校に入ってから初めてまともに話をしてくれた人だ。
近頃では友達と呼ばせてもらえる関係になれたかもしれない、と思い始めている。
中学生の頃からずっと陰キャボッチだった俺にとって初めての友達、それが沙生那なのだ。
そんな、俺にとってこの上なく大切な存在の沙生那を怒らせてしまうのは、悲しく辛いことだ。
「石蕗さんが反対なら……」
「いいわよ別に」
沙生那が俺の言葉を遮った。
「いいんですか……?」
俺は恐る恐る沙生那に訊き返した。沙生那は頷いて応えてくれた。
「まあ、リーダーは陰キャ君だからねぇ」
と、夕璃乃。明日海も俺を見て頷いている。
俺は溜めていた息を小さく吐いた。そして立ち止まって後ろを振り返った。
「どうやら、決まったようね」
後ろからついてきた暁音がしたり顔で言った。
「……はい、とりあえずお話しだけでも」
俺は暁音にそう答えてから、チラリと沙生那に視線を送った。
沙生那は既に先を歩き始めていた。
◇ ◇ ◇
「なるほど、ここがあなた達のアジトというわけね」
部屋を見回す暁音は、なぜか不敵な笑いを浮かべている。あたかも怪しい結社の秘密基地に潜入した囮捜査官ようだ。
ていうか、アジトとか言わないでください、暁音さん。ただの陰キャ男子高校生の部屋ですから。
そう、暁音がアジトと呼んだのは言うまでもない、俺の部屋だ。
というのも、暁音と話をすると決めて歩き始めたのはいいが、じゃあ場所はどうするの? という話になった。
「バーガーショップでも……」
と、俺が言いかけると、三女史がじっと俺を見た。無言の圧が苦しい。
それで結局いつも通り俺の部屋でということになったのだった。
それにしても6畳間に5人が入るとさすがに狭い。
どうやって座ろうかと俺が悩んでいると、
「じゃあ、私と陰キャ君はここね!」
と言って夕璃乃が、俺の腕を掴んでベッドに座った。
「沙生那も陰キャ君の隣に座ればぁ?」
沙生那は椅子に座ろうとしていた。
あんな事があった後だ。果たして沙生那は俺の横になど座ってくれるだろうか?
「まあ、夕璃乃がそう言うなら」
そう言って沙生那は夕璃乃と反対側の俺の隣に座った。
まさか、沙生那が隣に座ってくれるなんて思ってもみなかった。
俺は素直に嬉しかった。
「嬉しそうじゃん、陰キャ君」
夕璃乃が俺の耳元で囁いた。
「え……あ、あの……その」
完全に意表を突かれた。嬉しさが顔に出てしまったようだ。
「なるほどなるほど。何とか君もとい嶺渡君にとって石蕗さんは、隣に座ると顔を赤らめてしまう存在だということなのね」
暁音はそう言ってふむふむと頷いている。
「別に、普通の友達よ、嶺渡君は」
オロオロアワアワしている俺とは大違いで、沙生那は至極落ち着いた様子で答えた。
さすが、沙生那さん!
ていうか今、友達って言ってくれた? 俺の聞き間違いじゃないよね?
「私も友達だよぉ、護衛役も兼ねてるけどぉ」
「うん、私も……」
夕璃乃さんと明日海さんも! 嬉しすぎて涙が出そうなんですけど!
というか、護衛役というのはこっちの世界では関係ないのでは?
「ますます興味が出てきたわ、何とか君もとい嶺渡君! 早速私も仲間に加えなさい!」
て、その呼び方、長ったらしくて面倒くさくないですか、暁音さん?
こうして、俺と沙生那、夕璃乃がベッドに。明日海と暁音が床の座布団に座って話が始まった。
俺は冒険の書について、大まかな説明を暁音にした。
「異世界で探索ですって? それはゲーム? VRなのかしら?」
というのが暁音の反応だった。まあ、当然そうなるだろう。
ここは論より証拠だ。
「1ページ目に……」
「確か『冒険を始めますか?』って出てたわね」
俺の言葉を遮って、カバンから冒険の書を取り出しながら暁音が言った。
「「「え?」」」
俺と沙生那、夕璃乃の声がシンクロした。
沙生那も夕璃乃も、冒険の書を手に入れた時は何も書かれていなかった。
それを不審に思い、俺に相談を持ちかけた。そして、この部屋で開いて初めて『冒険を始めますか?』の文字が出てきたのだ。
「どうかしたのかしら?」
俺たちの反応に不思議そうな顔をする暁音。
「あの……その文字は最初から、出てましたか?」
「ええ、出ていたわよ。それがどうかして?」
俺の問いに答えて不思議そうな顔の暁音。
俺を挟んで沙生那と夕璃乃が顔を見合わせている。
「実は……」
俺は、冒険の書を使って異世界に転移できること、沙生那と夕璃乃の冒険の書が最初は空白ページしかなかったことを話した。
それを聞いた暁音は目を輝かせて立ち上がった。
「なんということなの! 私は『選ばれし者』だったということなのね!」
セリフもその仕草もまさに舞台のヒロイン気取りである。
ちょうどその時ドアにノックがあり、母親が飲み物と菓子を持ってきた。
「今日は演劇の稽古なのかい?」
部屋を出るときに母親が俺に耳打ちした。
暁音の声が部屋の外まで聞こえていたようである。
「あまり派手にやるんじゃないよ、ご近所に迷惑だからね」
この時ばかりは、俺も母親に全面的に賛成だった。




