第16話 蕗明日海
「ねぇ、陰キャ君、昨日沙生那となんかあったりしたぁ? 隠し立てはだめだよ、正直に言いなよぉ」
次の日学校に行くと、朝一番で俺は夕璃乃に問い詰められた。
そのことについては、俺よりも沙生那に聞いてほしいのだが。そもそも昨日あの後、沙生那と夕璃乃は会っているだろうし。
「なんかさぁ、沙生那に聞いてもはっきりしないんだよぉ」
側にいる沙生那はしれっとした顔ですましている。
別に何か特別なことがあったわけではない。せいぜいが、靴は本人と一緒に転移しないことが分かったくらいだ。
そう、何もなかった。別れ際に沙生那と手を振りあったなんてことは、特別でも何でもない。と思う……
「ふうん、まあいいけどねぇ」
そう言って夕璃乃は横目で沙生那を見た。夕璃乃はあまり納得しているようには見えない。だが、とりあえずは追及はしないことに決めたようだ。
ゴールデンウイークが終わってからは、このような事が日常になりつつあった。
このような事とは、俺が沙生那と夕璃乃の三人で友達のように話しをするという事だ。
少し前の俺なら到底考えられなかったことだ。こんなところを他の生徒に見られて、また因縁をつけられなければいいのだが……
その日の授業が終わり、俺は帰り支度をしながら沙生那と夕璃乃の様子を見た。
二人は他の女子達と話をしている。あそこに割り込んで帰りの挨拶をする度胸は俺にはない。俺はさっさとカバンを手に教室を出た。
校舎の玄関口で靴を履き替えたようとして、俺は忘れ物に気がついた。
昨日貸したサンダルを沙生那が今日返してくれたのだ。それを教室のロッカーに忘れてきてしまった。
多少迷ったが、仕方ないと思い俺は教室に戻ることにした。
自分の教室がある二階に上がろうとしたところ、少し前をゆっくりと登っている女子がいた。
踊り場でその女子の横顔が見えた。同じクラスの蕗明日海だった。
明日海は大人しくて控えめな女子生徒だ。クラスの他の女子とも積極的に交流しているようには見えない。
クラス委員長の沙生那はそんな明日海にも声をかけるようにしているようだ。だがそんな時も、明日海が話す声は小さい。
遠目にしか見たことがない俺などは、殆ど明日海の声を聞いたことはない。
そんな彼女は今、両手で資料を持っている。女子が一人で持つには厳しい量だ。
そういえば、さっき担任が「日直は放課後に資料を取りに来るように」と言っていたのを思い出した。
俺はどうしようか躊躇した。勿論ここは手伝うべきだが、俺なんかに手伝われたら彼女としても嫌なのではないか?
だが俺はその考えを振り払った。嫌がられたらその時はその時だ。
そう心を決めて、俺は階段を登る歩みを速めて明日海に声をかけようとした。
すると、階段の上のほうから数人の男子の騒ぐ声が聞こえてきた。
そして階段の上から飛び降りるようにして踊り場に来た男子が明日海とぶつかった。
「あ……」
明日海が小さい声を上げ、手にしていた資料を床に落としてしまった。
「そんなとこで、うろうろしてんじゃねえよ」
ぶつかった男子が苛立たしそうに言った。例のヤンチャ三人組の一人だ。
そして後から来た二人が、
「地味だから目に入んねえんだよ」
「さっさと道空けろよ」
と、ぬかしやがった。
いやいや、いくらなんでもそれないだろう。
明日海は声も上げられずに立ちすくんでいる。
俺はすぐに踊り場に駆け上がった。そして床に散らばってしまった資料を拾い始めた。
「おいおい、陰キャ野郎、何してんだよ、てめえ!」
「余計なことすんじゃねえよ!」
「俺達が拾ってやろうとしてたところなんだよ!」
いや、絶対に違うだろう。無関係の俺が資料を拾いに来たから、バツが悪くなったに違いない。
「でも……」
と俺が言いかけると、
「うるせえ! ムカつくんだよ、てめえはよぉ!」
と、リーダー格が俺の脇腹に蹴りを入れた。
普通なら息が詰まり激痛に襲われる一撃だ。
「……!」
明日海が声にならない小さな悲鳴をあげるのが聞こえた。
だが俺は、やはり痛くも苦しくもなかった。そんな俺に、以前の校門での一件同様苛立ったのだろう。ほかの二人も加わって俺に蹴りを入れてきた。
さあ、どうしよう。俺はこの前の時の状況を思い出した。
反撃しようと思えばできる。軽く体当たりをかませばいいのだ。
だが、ここで三人組に反撃したらどうなるか。
この前は広い場所だった。なので相手が多少吹っ飛んでも、大事にはならずに済んだ。
今回は階段の踊り場だ。非常に狭い。
上手く加減ができないと、壁に激突させてしまったり、下手をすると階段を転げ落としてしまう事態にもなりかねない。
などと、三人組に蹴りを入れられながら、俺が悩んでいると、
「何をやっているの、あなた達!」
上の方から聞き慣れた女子の声が聞こえてきた。
顔を上げて見ると、階段の中ほどに沙生那が仁王立ちしていた。
「なになに、イジメぇ? 超ダッサいんだけどぉ」
沙生那のすぐ後ろから夕璃乃も顔を出した。
「あ、沙生那ちゃん、これは、えっと……」
リーダー格がしどろもどろになって言った。
「気安く下の名前で呼ぶな!」
そう言って階段を一足飛びに降りてくると、沙生那はリーダー格にローキックを食らわせた。
「ぐぇ!」
リーダー格が屈み込んで沙生那に蹴られた脚を押さえた。
マジで痛いんだよなぁ、あのローキック。
「明日海ちゃん、大丈夫ぅ?」
夕璃乃も階段を降りてきて心配そうに明日海に声をかけた。
「い、いや、夕璃乃ちゃん、俺達も悪かったと思って……」
「そ、そうだよ夕璃乃ちゃん、俺達もすぐに拾うつもりで……」
残りの2人が必死に弁明しようとすると、
「馴れ馴れしく呼ばないでほしいんだけどぉ!」
そう言うと、夕璃乃も二人にローキックを炸裂させた。
「「ぐへぇ!」」
二人は変な声を上げて蹴られた脚を抑えた。
夕璃乃のローキックもかなり様になっている。できれば食らいたくないものだ。
三人は痛む足を引きずりながらそそくさと退散した。
「蕗さん、ごめんね。先生の話を聞いて私も手伝おうと思ってたのに、教室出るのが遅れちゃって」
沙生那が明日海に謝って資料を拾い始めた。そこはやはりクラス委員長だ。
「ううん、そんなこと……」
明日海は小さな声で答えると、資料を拾い始めた。
「またなんかあいつらに嫌なことされたら言ってねぇ。ぶっ飛ばしてやるからぁ」
そう言ってニカッと笑うと、夕璃乃も資料拾いに加わった。
「うん、ありがとう……」
明日海は小さく答えた。前髪が長く、うつむき加減なので表情はよく見えない。だが口元は緩んでいる。きっと笑みを浮かべているのだろう。
皆で手分けして教室まで資料を持って行くと、俺は早々に退散した。
沙生那と夕璃乃が明日海と一緒に帰ろうと話していたからだ。
まさかあのヤンチャ共が何かしてくるとは思えないが、この二人の護衛があれば安心だ。
◇ ◇ ◇
次の日、ヤンチャ三人組はすっかり大人しくなっていた。
それはそうだろう。クラス委員長の沙生那とカーストトップギャルの夕璃乃に睨まれてしまったのだから。
昨日のことがあったからか、沙生那と夕璃乃は明日海のことを気にかけるようになったようだ。
元々沙生那は、自身のクラス委員長という役目を真摯に捉えている。
なので、クラスの皆に気を配るように心がけているのが見ていて分かる。
一方の夕璃乃は、人付き合いはいいが気紛れなところがある。なのでその時時で仲良くする相手が変わったりする。
たが、夕璃乃は見かけによらず面倒見がいいところがありそうだ。沙生那とは違ったタイプではあるが。
明日海は自分から話しかけることは少ないタイプだ。だが、沙生那と夕璃乃から話しかけられると、戸惑う様子もなく返している。声は控えめではあるが。
そんなふうに、俺が三人の様子を気にしていると、明日海がうつむき加減の顔を上げた。そしてちらりとこちらに視線を向けた。
一瞬俺と明日海の目が合った。ハッとする瞬間だ。
その直後、夕璃乃がサッとこちらを見た。
俺は不意を突かれたようになってドキッとしてしまった。
すかさず夕璃乃が俺の席ににじり寄ってきた。
「なになに? もしかして陰キャ君、明日海ちゃんのこと気になってたりするぅ?」
夕璃乃が意味ありげなジト目で訊いてきた。
「いえ……」
そんなことはない、と言えなくもない、ような気もする……
などと、考えが交錯してしまい、俺は言葉が出てこなかった。
視線をずらすと沙生那も俺をじっと見ている。
沙生那の真っ直ぐな視線は、まるで俺の心の中を見透かしているようだ。
その時始業のチャイムが鳴った。俺はホッとして体の力が抜けた。
「チャイムに助けられたわね」
と沙生那は腕を組みながら、座っている俺を見下ろして言った。まるで格闘技の対戦相手だ。素直に恐い。
というか俺、何か悪いことしたっけ?
◇ ◇ ◇
その日の授業が終わると、俺はさっさと片付けをして教室を後にすることにした。
さっきの休み時間の流れで、何か追及されそうな気がしたからだ。
とはいえ、冒険の書でアルスガルドに行けば、どのみち逃れられないのだが。
変に急いでは却って不自然だ。急いでいるふうに見えないよう気をつけながら、できるだけ速やかに俺は教室を出た。
すると、教室を出て少し行ったところで、後ろから走る音が聞こえてきた。
そして、
「嶺渡君……」
と、か細い声で俺を呼ぶのが聞こえた。
振り返って見ると、明日海だった。
一体何の用だ? まさかさっき目が合ってしまったのが気に触ったのか?
あれは不可抗力……ではないかもしれない。つい沙生那や夕璃乃と共に明日海のことも見てしまっていたのだから。
とにかく謝ろう。うん、それが一番だ。
「あの、さっきは、ごめん……」
「相談を聞いてほしいの……」
俺の謝罪の言葉と明日海の言葉が重なった。
え……今、相談って言った?
俺の中でドキドキとオロオロが交錯した。




