第86話:追われた老臣
第86話:追われた老臣
天正十四年、五月。安芸国吉田郡山城を包む山々は、初夏の深い緑に覆われ、爽やかな風が江の川の水面を渡っていた。
されど、毛利家臣団の内側に漂う殺伐とした冷気は、季節の移ろいとともになおも深まりを見せていたのである。
さきに安国寺の塔頭において開かれた調停の座において、安国寺恵瓊が関白秀吉の権威を笠に着て高圧的な言葉を放ち、強硬派の武者たちの激しい反発を買って調停が完全な失敗に終わってより(さきの出来事)、家中を二つに割る吉川派と小早川派の不信感は、もはや修復しがたい断絶となって固定化していた。
恵瓊自身、自らの過信と「権力の味」という甘い毒に酔いしれていた己の浅はかさを深く恥じ、自室に籠もって深く反省の日々を過ごしていたのだった。
されど、恵瓊の反省とは裏腹に、毛利家中における派閥の恩怨は、いっそう陰惨で陰湿な形をとって動き始めていたのである。
吉川元春の傘下に連なる強硬派の若い武頭や古参の国衆たちは、さきの調停で恵瓊に一喝された屈辱を忘れず、その矛先を、毛利家中で和睦と豊臣への恭順を支持してきた穏健派の実務派家臣たちへと向け始めたのだった。
その標的とされたのが、毛利家の古参の老臣・平賀兵部であった。
平賀兵部は、かつて毛利元就の時代から行政や兵糧の差配を担い、忠実をもって毛利宗家を支え続けてきた実直な老武士であった。
兵部はさきの備中高松城の合戦においても、小早川隆景とともに「家を残すための和睦」を主張し、秀吉方との境界調整に尽力した人物であった。
強硬派の武者たちは、この平賀兵部に対し、「秀吉の奉行と裏で密通し、毛利の兵糧米を横領して上方へ流していた」「清水宗治殿を見殺しにするよう当主・輝元様に吹き込んだ不忠者なり」という虚無の言いがかりをでっち上げたのである。
そして、家中の混乱に乗じて平賀兵部の屋敷を包囲し、彼を「私裁判」にかけて斬り捨てるか、あるいは切腹へと追い込もうと密かに暗躍し始めたのだった。
この不穏な密謀の報せは、安国寺の恵瓊のもとへも直ちに届いたのだった。
書斎で行灯の火を見つめていた恵瓊は、その報せを聞くや、激しい胸の痛みに襲われた。
平賀兵部という老臣の真面目で血の通ったお人柄を、恵瓊は良く知っていた。
兵部は私利私欲のために動くような男ではなく、ただただ毛利の家と領民の命を守るために、泥をかぶって和睦を支えてきた忠臣であったのだ。
その忠臣が、家中の醜い派閥争いの生贄とされ、不当な罪を着せられて殺されようとしている。
(さきの過ちを、二度と繰り返してはならぬ……)
恵瓊は自らの震える両手を見つめ、固く唇を噛み締めた。
さきの調停の折、己は関白の権威を笠に着て相手を強引に威圧し、かえって人々の心を激しく傷つけ、家中を暴発させかけた。
権力を振るって人を屈服させようとする真似は、ただの暴惑であり、何ひとつ人を救うことなどできはしないのだ。
いま必要なのは、権勢の誇示ではない。
外交僧としての知恵と、寺の持つ静かな伝手、そして当主・輝元や小早川隆景との深い信頼を通じた、裏からの誠実な工作である。
恵瓊は直ちに動いた。
高圧的な裁定を下すのではなく、まず当主・毛利輝元、ならびに小早川隆景のもとへ密書を送り、平賀兵部にかけられた不当な疑惑のからくりと、このまま粛清を許せば毛利家中に再び血みどろの内紛が弾けるという惨状を、客観的な理路をもって訴えかけたのである。
輝元も隆景も、平賀兵部の忠義を熟知していたため、恵瓊の訴えを深く理解した。
「兵部を死なせてはならぬ。されど、強硬派の怒りが収まらぬ現状では、表立って兵部を庇えば家中が割れる」
輝元と隆景の苦渋の悩みを汲み取った恵瓊は、ひとつの「血を流さぬ解決策」を提示したのだった。
「武士としての命を捨てるのではなく、出家隠居という形を取り、歴史の表舞台から静かに退いていただくのです。さすれば、強硬派の面目も保たれ、兵部殿の命と家名も守られましょう」
輝元と隆景の密諾を得た恵瓊は、その日の夜半、人目を忍んで平賀兵部の屋敷へと向かった。
暗闇に包まれた平賀屋敷の奥間において、老臣・平賀兵部は、着古した具足を膝脇に置き、覚悟を固めた面立ちで座していた。
恵瓊が室内に入ると、兵部は静かに一礼した。
「安国寺殿……夜分に恐れ入る。某にかけられた不義の疑い、明朝には強硬派の若手どもが押し寄せて討ち取ろうとしておる。某は逃げも隠れもいたさぬ。死をもって己の無実を証明する所存にござる」
老臣の声音には、長年毛利に尽くしてきた誇りと、身内に疑われたことへの深い無念が冷たく沈んでいた。
恵瓊は兵部の前へ静かに膝をつくと、温かな手つきで兵部の手を包み込んだ。
「平賀殿……死んではなりませぬ。無実を証明するために命を捨てるなど、あまりにも虚しいことにございます」
「されど安国寺殿、某が生き残れば、吉川の者どもは納得いたしませぬ。毛利の家臣団が割れるくらいなら、この老骨ひとつが消え去る方がマシにござる」
「死んで家が治まることなどございませぬ!」
恵瓊は声を潜めながらも、魂の底から響くような深い切情をもって言った。
「当主・輝元様も、小早川隆景様も、貴殿の忠義を片時も疑ってはおりませぬ! あなたがここで死ねば、輝元様は生涯『またしても忠臣を守れなかった』という深いお心傷を負われることになるのです! 生きなされ、平賀殿! 髪を剃り落とし、仏門に入って隠居の形を取られよ! 寺の伝手を使って、安芸と石見の境目にある静かな山寺へ貴殿とお一族をお送りいたしまする!」
恵瓊は懐から剃刀と、安国寺の寺領への通行手形を取り出した。
「武士としての刀を置き、仏の弟子として生き延びること――それこそが、いま毛利の家を内紛から救い、主君の意を体するための、真の覚悟にございます! 頼みまする、平賀殿……命を捨てないでくだされ……!」
恵瓊の目から、温かな涙がボロボロと溢れ落ちた。
権力で脅すのではなく、一人の人間として兵部の命と尊厳を慈しむ恵瓊の涙が、頑固な老臣の心を激しく打ち砕いたのだった。
平賀兵部はしばらくの間、恵瓊の涙に濡れた顔を見つめていたが、やがて太刀から手を離し、畳に伏して男泣きに泣いた。
「……安国寺殿……ありがたきお諭し……。不甲斐なき老骨、貴僧の慈悲に……命をお預けいたそう……」
恵瓊は直ちに自らの手で兵部の白髪を静かに剃り落とし、黒い法衣を纏わせた。
そして、智念の手引きにより、兵部とその家族を夜陰に乗じて裏口から連れ出し、安国寺ゆかりの山奥の隠れ庵へと秘密裏に脱出させたのである。
直後、強硬派の若い武者たちが太刀を抜いて屋敷へ雪崩れ込んできたが、そこにいたのは、静かに念仏を唱える恵瓊一人だけであった。
恵瓊は落ち着き払った態度で武者たちへ告げた。
「平賀兵部殿は、自らの不徳を恥じ、当主様のお許しを得てすでに髪を剃り落とし、出家隠居して仏門へ入られた。もはや武士にあらず、ただの老僧なり。これ以上、仏の弟子となった者を追うは、天理と仏罰に背くことになろう」
輝元と隆景からも即座に「平賀の出家隠居を認め、一切の追及を禁ず」という当主の厳命が発せられたことで、強硬派の武士たちも矛を収めるしかなく、最悪の血の粛清は未遂に終わったのだった。
間一髪で、またひとつ、実直な老臣とその一族の命が破滅の刃から完全にすくい取られたのである(救済管理表の救済成功)。
されど――事件が解決したのち、安国寺の自室に戻った恵瓊の胸の中に残ったのは、晴れやかな歓喜などではなかった。
恵瓊は文机の前で、行灯の火をじっと見つめながら、己の置かれた冷酷な立ち位置の危うさを噛み締めざるを得なかった。
平賀兵部の命は救えた。
されど、兵部は毛利家の表舞台から去り、隠れ住む身となったのだった。
そして、この事件を通して、毛利家中における恵瓊自身の存在は、いっそう浮き上がった危ういものとなっていたのである。
関白秀吉に重用され、上方で巨大な権勢を誇れば誇るほど、毛利本国の現場の武士たちや強硬派からは「上方にかぶれた異端」「秀吉の足元にへつらう者」として警戒され、激しい不信の目を向けられる。
かといって、毛利の現場の感情に引きずられれば、豊臣政権の冷徹な法と構造によって、毛利家そのものが押し潰される。
豊臣政権という巨大な怪物と、毛利家という古き武士の家。
二つの巨大な磁場の狭間に立ち、どちらからも完全に理解されることなく、単身で泥をかぶって命をつなぎ止め続ける外交僧の孤独――。
「これが……私が引き受けた宿命というものか……」
恵瓊は低く呟き、静かに数珠を繰った。
己の過信を捨て、ただ目の前にある命を守るために足掻くこと。
どれほど人から疑われ、どれほど危うい刃の上を歩むことになろうとも、自分はこの道を進み続けるしかないのだ。
天正十四年、夏を迎える頃。
上方からは、関白秀吉による「九州征伐」の決行を伝える大動員令が、正式に毛利本国へと届いたのだった。
豊臣政権の膨大な軍勢とともに、毛利家もまた西国の主力を率いて九州の死地へと向けて出陣せねばならない。
安国寺恵瓊は、静かに目を閉じ、次なる巨大な歴史の渦の中へ向けて、深く、深く息を吸い込むのであった。




