表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
史実を知る僧は、歴史を変えようとした  作者: チャプタさん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/36

第26話:輝元の時代

第26話:輝元の時代


 元就の葬儀は、安芸の国を覆う重い雲のように長く続いた。

 毛利元就の死は、一人の老人の死ではなかった。西国に覇を唱えた男の死であり、多くの者にとっては時代の終わりでもあった。

 吉田郡山城から続く葬列は静かでありながら重苦しかった。武士も僧も百姓も、それぞれの思いを胸に列へ加わっている。

 安国寺の門前を通るその列を見送りながら、恵瓊は読経を続けていた。風が僧衣の袖を揺らすたび、元就の最期の言葉が蘇る。

「輝元を、頼む」

 短い言葉だった。だが、その重みは大きかった。

 服喪の期間を終えると、輝元は正式に政務を執り始めた。数え二十歳。若殿と呼ぶには十分な年齢を過ぎているが、元就という巨大な影を背負うには、なお経験が足りなかった。

 吉川元春と小早川隆景――二人の叔父が支えているからこそ、家中は辛うじて安定を保っていた。

 恵瓊は元就の時代から文書作成や外交に関わってきた。輝元もその働きを評価してはいたが、側近というよりは「文筆に優れた有能な僧」といった位置付けだった。それで十分だった。目立ち過ぎれば疑われる。影にいるからこそ見えるものもある。

 元就死後初めての重臣会議は、重苦しい空気の中で始まった。上座に輝元、左右に元春と隆景。家臣たちは新たな時代の始まりを、慎重に測りかねているようだった。

「祖父の遺志を継ぎ、毛利家の安泰を図る」

 輝元の声には覚悟があった。しかし元就が放っていた圧倒的な威圧感までは、まだ備わっていない。家臣たちもその差を感じ取っていた。

「周防・長門の国人衆に動揺が見られます」隆景が報告した。「元就様の威光に従っていた者も多い。今は様子見でしょう」

 元春が腕を組む。「支えるしかあるまい。だが最後は若殿ご自身の器量だ」

 その時、隆景が一通の書状を取り出した。「将軍義昭様より檄文が届いております」

 広間の空気が一瞬で張りつめた。信長討伐。将軍家による呼びかけ。

 恵瓊の胸がわずかにざわついた。信長包囲網――歴史の大きな転換点の一つ。義昭はやがて追放され、本能寺の変へと繋がっていく。そこまでは知っている。だが、細かな人の迷いや選択までは見えない。それが転生者としての限界だった。

 会議は慎重論が大勢を占めた。輝元も拙速な決断を避ける。その様子を見て、恵瓊は内心で頷いた。少なくとも今は、それでよい。

 会議の後、廊下で隆景に声を掛けられた。

「恵瓊殿。汝は昔から妙に先を読むな」

 穏やかだが鋭い声だった。

「ただの推察にございます」

「推察か……まあよい。今はその推察を頼りにしよう」

 隆景は小さく笑って去っていった。恵瓊はその背中を見送りながら思った。危うい。目立ち過ぎれば疑われる。優れた僧として、ちょうど良い距離を保たねばならない。

 その夜、安国寺の本堂で恵瓊は独り坐していた。蝋燭の炎が静かに揺れる。

 輝元の時代が始まった。信長の時代はまだ続く。その先に秀吉が現れ、さらに家康の世となる。大きな流れは見えている。だが、川筋の細かな曲がりまでは分からない。

 天文の飢饉で死んだ無名の小僧。隆元の死。厳島での元就。知識だけでは救えなかったものばかりだ。

 知っていることと、変えられることは違う。

 恵瓊は般若心経を唱え始めた。心は容易に静まらない。

 数日後、恵瓊は周防の国人衆との交渉に向かった。元就亡き後の不安は予想以上に大きかった。それでも信義と恩義、安定を丁寧に説き、離反の芽を一つずつ摘んでいく。

 大きな歴史は変えられない。だが、小さな火種を消すことはできる。それが自分に許された役割だった。

 帰路、道端で倒れていた老僧を助けた。京都から来たという。

「畿内は騒然としておりますぞ。将軍と信長の争いは、もはや隠しようもない」

 恵瓊は黙って聞いていた。歴史は確実に、知る未来へと動いている。

 老僧を送り届けた後、本堂に戻る。夕暮れの光が差し込んでいた。

 変えようとしているのか。受け入れようとしているのか。自分でも分からない。

 ただ一つだけ確かなことがある。立場を失えば、何もできない。だから今は耐え、見守り、できることを積み重ねる。

 夜明け前、庭に出た恵瓊は東の空を見上げた。星が一つ、静かに消えていく。

 新たな時代の足音が、確かに近づいていた。将軍義昭の檄文は、思っていた以上に早く毛利家を戦乱へと巻き込んでいくのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ