第9話 旅立ちの時
翌朝、朝日が昇る早い時間に、大きくてふかふかのベッドで双子たちとぐっすり眠っていたマリーは目を覚ました。
寒くて目が覚めることもなかったし、背中も痛くない。
夜中にぐうぐうとおなかが鳴ることもなかったので、良い睡眠をたっぷりと取れたようで体調がいい。
ケリーとヤリーはまだ夢の中なので、そっとベッドを抜け出てドレスを着る。そして、古びた旅行用のバッグの中にもう一着のドレスと下着類を詰めると、荷造りの終了だ。
「お世話になりました」
マリーは両親に向かって頭を下げながら(……あら? お世話をしてもらった記憶がないわ?)と心の中で呟いた。
男爵夫妻は借金がなくなったため、いい笑顔で「人に迷惑をかけるのではないぞ。これからは悪い噂を立てられる事がないようにな」「クラスト家に嫁いでもがんばるのですよ」なんてのんきに上から目線の説教をしている。
マリーはちょっとイラッとした。
「お姉さま」
「お姉さま」
弟のケリーと妹のヤリーが、目に涙を浮かべて駆け寄ってくる。双子たちを抱きしめてから、ふたりの肩に手を置き目を見つめて言う。
「ケリー、ヤリー、お姉さまがいなくてもしっかりとお勉強をするのですよ」
「はい」
「はい」
「知識と特技を身につけて、手に職をつけて、食いっぱぐれない人間におなりなさい。黙っていては誰もごはんをくれないの。法に触れない範囲であらゆる手段を尽くして、利用できるものはすべて利用できる能力を身につけるのです。そうすれば自ずとごはんがやって来ます」
「はい、お姉さま」
「はい、お姉さま」
素直な双子は頷き「「どんな手段を使ってでも、食いっぱぐれない人間になります」」と声を揃えて誓った。
「なんていい子たちなの! お姉さまはあなたたちを誇りに思うわ」
マリーはもう一度双子たちを抱きしめた。
「おいおまえ、子どもたちに妙な英才教育をするな」
マリーの夫となるフレッド・クラスト辺境伯が、苦虫を噛み潰したような顔で口を挟んだ。
「その子どもたちは俺の責任で自立するまできちんと育てるから、安心しろ。変な目標を立てるな」
ヤウェン家の家令(実質はお目付役)になったエルクも言った。
「ケリーさまとヤリーさまが健やかにお育ちにならないと旦那さまの名誉に関わりますので、お約束はきちんと守ります」
家政婦長(だが、どう見ても使用人ではない強い立場の)ダーナも言った。
「何度も申しますが、今後は食事の心配は無用でございます。このわたしが三食とおやつをお約束しますので。ケリーさま、ヤリーさま、あなたたちはお勉強をしたり、楽しく遊んだり、子どもらしく暮らせばよいのです。努力をするのです。決してクラストさまに恥をかかせるようなことをしてはなりませんよ」
「……双子が痩せ細ってないか、たまに様子を見に来た方がいいかな?」
「その必要はないと言っているだろう、疑い深い奴だな。自分が他人を騙してきたから人も信用できんらしい。そら、準備ができたならさっさと出発するぞ。荷物を馬車に積むから部屋から出してこい」
マリーが信用していないのは自分の両親のことなのだが、フレッドはわかっていなかった。
そこでダーナが「クラスト様、荷物はとうに積んでありますわ」と告げた。
「マリーさまの準備は整ってございます」
最後の別れとばかりに双子の弟妹を固く抱きしめて、マリーは涙を堪えながら身体を離した。
「さあ、お姉さまは出発します。ケリー、ヤリー、ふたりはダーナがくれるごはんをたくさん食べて、元気に暮らすのですよ。困った時には、まずはダーナに、そしてエルクを頼りなさい。わかりましたか?」
アランが「両親は完全スルーというか、むしろ双子から離したいみたいですね。本当に連れて行かなくていいのですか?」と、フレッドにしか聞こえないように言った。
フレッドはわずかに首を振った。
「いや、エルクとダーナがいれば大丈夫だろう。男爵家の嫡男を理由もなく引き取ることは難しい。どうしてもというなら、陛下に証拠を揃えて陳情することは可能だが、その場合はヤウェン男爵家が取り潰されるか他人の手に渡る恐れがある」
「それはマリーさまが喜びませんね」
「喜ぶとか喜ばないとか、そうではなくて、貴族間の勢力の問題だ!」
「はいはい」
ふたりがそんな内緒の話をしている間に、マリーと双子の別れは続いていた。
「はい、お姉さま。ケリーはダーナを信用します」
「ヤリーも信用します」
双子はそう宣言すると、すすすっとダーナに寄り添った。彼女に寄り添って顔を見上げて「ダーナは味方です」と信頼を込めた青い瞳で見つめた。マリーが一晩かけて洗脳……ではなく、教え込んだのだ。
自分が不在の間に、間違っても両親に騙されないように。
すると、割と冷血系に見えていたダーナが意外なことに顔をほころばせて、双子の頭を撫でた。
「よろしいですわ」
口調はつんとしているけど、手はふたりを激しく撫で撫でしているものだから、あまり甘える経験がなかった双子が「むふん」と嬉しそうな顔になる。
安心したマリーは、ヤウェン男爵夫妻を見て釘を刺すことにした。
「お父さま、お母さま、これからは余計なことをしないで静かに生きてくださいね。エルクの指示に従わないと、生活費は止まりますから、くれぐれもそのことをお忘れなく」
「お父さまに向かってそのような口をきくものではない。マリー、時々お小遣いを送ってくれてもいいんだぞ。我々のおかげでおまえは輿入れすることができるのだからな」
ヤウェン男爵のせいで、借金と引き換えに売り飛ばされるように辺境の地に行くのだが。
「マリーちゃん、あなたが可愛らしく育ったのはお母さまのおかげだということを忘れてはいけないわ。だから、素敵なアクセサリーとかドレスとかをもらったら、自分のものにしないでお母さまにプレゼントして頂戴ね」
子どもを産みっぱなしにしたのみならず、金目のものを巻き上げるせいで、マリーは身ひとつで遠くの地に行かねばならないのだが。
「……」
マリーの不安は消えなかった。
この両親は、祖父母の莫大な遺産をすべて溶かしてしまった、愚かな夫婦なのだ。
世間知らずのマリーでさえも「なにをどうしたら、こんな風に育ってしまうのかしら」と不思議でならなかったほどだ。
けれど今は、ヤウェン男爵家と双子のことはダーナとエルクに任せるしかないのだ。
そんなマリーの様子を見て不憫に思ったのか、それともフレッドをいじりたかっただけなのか、アランが主人の脇腹を肘で突いた。
「なんだ?」
「まともな夫は、嫁いでくる妻の心配を取り除いて差し上げるものですよ」
「俺はまともじゃないから、知らん」
「そんなこともできないのかと、うるさい連中に侮られて、フレッドさまと仲良くする陛下に迷惑かけてしまうかも……」
フレッドはチッと舌打ちをすると、ヤウェン男爵夫妻に向かって言った。
「貴様ら、余計な真似をしたら海に沈めるからな」
怒りを込めた眼光に射抜かれて、マリーからクラスト家の資産を吸い上げたい男爵夫妻は「ひっ!」と身を縮めた。
「ケリー、ヤリー、おまえの姉がうるさいから、もう親とは口をきかんでいい。用事は全て、ダーナとエルクに、あともうひとりいる乳母に頼め。どうせ今までもろくに子どもと話したことがなさそうな親に期待するなよ。わかったか?」
フレッドに急に話しかけられた双子は、「?」とマリーの顔を見た。彼女はふたりに向かって「この人は頼りにして大丈夫よ。フレッドはお姉さまの夫になる人ですからね」と説明した。
「つまり、ケリーとヤリーはフレッドの弟と妹になるわけなの」
双子ばぴこんと閃いたようだ。
「フレッドお兄さま!」
「フレッドお兄さま!」
「そうよ、フレッドお兄さまよ」
それを聞いたフレッドが顎に手をやって「いや、俺は……そうか、義理の兄になるわけだな」と納得したので、双子は「お兄さまができました」「ごはんを買ってくれた親切なお兄さまです」と満足そうな顔になった。
それを聞いたヤウェン男爵が「ということは、わたしの息子だから……」とよからぬことを考えた様子だが、フレッドが「いや、貴様らは赤の他人だ。馴れ馴れしくするならば切り捨てるぞ」と本当に剣を抜きそうな敵意に満ちた視線を向けたので、また「ひっ!」と言って黙ったのであった。




