第8話 マリーのお願い
正式なディナーの席となるとまだ幼い双子たちは参加できないということなので、ケリーとヤリーは新しいメイドの世話を受けながら子ども部屋で食べることになった。
マリーもそちらで食べたかったのだが、ダーナにマナー違反になると言われてしまったので諦めた。
まだ料理人を雇っていないのだが、男性の使用人がそこそこ料理のできる人物であったので、洗練されているとは言えないが貴族の夕食としておかしくないレベルの料理が提供された。
相変わらずな辛辣な物言いをする客人を迎えた晩餐は和気藹々《わきあいあい》とは言えなかったが、マリーにとってはご馳走をたくさん食べられる素敵な夕食だし、男爵夫妻はあまり深くものを考えないタイプだったので、当たり障りのない会話をしながら無事に終わった。
部屋に戻ったマリーは、ろうそくを節約するために寝ようかと思ったが「あっ、もう気にしなくていいのだわ」と脱ぎかけたドレスを再び着た。寝巻きもないのでいつも下着になって寝ているのだ。
もうすでにダーナの手帳には『必要な衣類リスト』が作られているので、この問題も明日には解決するだろう。
豪華ではないが品のいい椅子に腰をかけると、マリーは考えた。
「おかしいなあ、あの人はわたしのことが好きじゃないみたいだったわ。借金の方がどうのこうのって言っていたから、じゃがいもを買うような気持ちでわたしを買ったのかもしれないわね」
マリーは、これでも若い女の子なので、自分の結婚にロマンスのかけらもないことに落胆したが、すぐに気を取り直した。
「この結婚でうまくいくことがたくさんあるんだもん、文句を言ってはいけないわよね! そうだ、クラスト辺境伯とこの家の家令になるエルクに、双子たちの教育についてのお願いをしておかなくちゃ」
双子の子育て最優先のマリーは部屋を出ると、ダーナを呼んで、クラスト辺境伯に話がしたいから連れて行って欲しいと頼んだ。
「マリーお嬢さま、本来ならば独身の女性が夜に、殿方の部屋を訪ねるものではございませんよ」
ダーナは「たとえ婚約者でも、はしたないこととされますので、今後はお気をつけくださいませ」と注意した。
「そうなのね、教えてくれてありがとう。ねえ、結婚したら大丈夫なの?」
「もちろんでございます。基本的に夫婦は隣り合った私室を持ち、互いの部屋を内ドアで行き来することになっております」
「なるほどね」
マリーはわかっている風に頷いたのだが、勘のいいダーナは『このお嬢さまは、おそらく、夫婦の生活についての知識をお持ちでない』と気づいてしまった。そして無知な少女が、書類上は夫婦だとしても、男性に無体を働かれるのは同じ女性として我慢ならないことなので、後でクラスト辺境伯に釘を刺しておかねばならないと決心する。
ダーナはマリーをクラスト辺境伯の部屋に案内すると、扉をノックした。中からはアランが出てきた。
「ダーナ、作戦会議に……きたんじゃないのか」
ダーナはすまし顔で「マリーお嬢さまが、クラストさまにご相談があるそうなのです。大切な用事なので取り次いでいただけますか?」とアランに言った。
「なるほどね、大切な用事か……お嬢さま、お手柔らかにね」
アランは意味ありげにニヤニヤ笑うと、部屋の中に戻って取り次いだ。
「クラスト辺境伯、お邪魔しますね」
フレッド・クラスト辺境伯は、こんな夜に若い女性が来るなどとんでもない、さすがは悪女として噂される女だなどと思って、苦々しげに言った。
「なんだ、可憐な悪女殿。さっそく夜這いに来たのか?」
クラスト辺境伯が嫌味な感じに笑ったが、マリーは「はい?」と怪訝な顔をした。
部屋の中にはエルクもいて、彼女のことをじっと見ている。
「女に無知な坊っちゃんたちと違って、俺の懐にはそう簡単には入れないぞ」
「え?」
マリーは『この人はなにを言っているのかしら? プレゼントはないよっていう意味かな?』と思いながら「そんなことはどうでもよいのです」と返事をした。
これからは食費の心配をしなくていいのだから、プレゼントは必要がないのだ。
「では、なんの用だ……そうか、エルクかアランに取り入ろうとしているのか。残念だがふたりともおまえの正体を知っているからな、そう簡単になびく愚か者ではないぞ」
「なびく?」
意味がよくわからないマリーがダーナに助けを求めると、彼女は「クラストさまは、若くて見目の良いアランやエルク相手に浮気をするのではないかと考えているのでしょう」と教えた。
瞬時にフレッドが「違う!」と叫んだが、マリーは「まあ」と目を見張ってフレッドを見た。
「それは、男女関係のもつれというものですか? 学園にいた時によく耳にしたわ。責任のない学生がやることだと思っていたけれど、大人になってもそういうことがあるのね」
親切なアランが「お嬢さま、大人の方が多いかもしれませんよ」と教えたので、マリーは再び「まあ」と驚いた。
「フレッドもそうなの? 浮気をしているのは? もしかしてうちのメイドのどちらかが、あなたの運命の乙女だったのかしら。まあ、どうしましょう。まだ結婚もしていないのに、わたしたちの関係がもつれてしまうなんて……」
マリーが嘆くと、フレッドは「俺は浮気なんてしてねえぞ!」と乱暴に叫んだが、ハッとして咳払いをして誤魔化した。
マリーの青い瞳が正面からフレッドの顔を見つめたので、彼は居心地が悪い思いをする。
「つっ、つまらんことを言うな。いったいなんの用事なのだ?」
「先に言ったのはあなたでしょ? あのね、わたしが言いたいのはね、ケリーとヤリーのこれからについての相談をしましょうってことよ。あの子たちに家庭教師をつけてもらえないかしら?」
「ほう?」
「ほら、うちの両親はあんな感じでしょう? だから、わたしはお祖父さまが亡くなってからは、あまり勉強をさせてもらえなくて、学園に入った時についていけなくて困ったのよ。貴族のマナーについてもさっぱりなの。だからね、フレッド、あの子たちにはそんな苦労をさせたくないの……あら、ごめんなさいね、うっかりフレッドって呼んじゃったわ! でも、わたしたちは結婚するんだからクラスト辺境伯って呼ぶよりフレッドって呼ぶ方がマナーにかなってるんじゃないかしら? え? マナーの問題じゃない? それじゃあなんて呼んだらいいの? マイダーリン? フレッド、マイダーリンとフレッドとどっちで呼ばれたい?」
「フレッドにしておけ!」
「ええ、わかったわ。わたしのこともマリーって呼んでね。あっ、それで双子の話だったわね」
無敵の武人と呼ばれる男は、マリーのペースに呑まれそうになり後ずさった。
「わかった、エルクに手配させる。勉強の家庭教師だな」
「それとマナーの教師と、剣術とかそういう身体を動かすのも教えて欲しいの。ヤリーもね、女の子だけど身体を鍛えてあげたいわ。やっぱりこの世の中を渡っていくのには体力が必要だと思うのよね。フレッドはどう思う?」
「……武力も体力も大切だ」
「意見が合ってよかったわ! あのね、音楽も、できれば……」
「ああ、もういい、わかった。エルク、あの双子には貴族に必要な知識と技術をすべて叩き込め」
「承りました」
メガネ男子のエルクが「早急に教師を手配します」と約束したので、マリーは嬉しそうに笑った。
「安心したわ。ケリーとヤリーは、お母さまが全然気にかけなかったから、乳母のジェンマと一緒にわたしが育ててきたの。うちの両親は自分のことしか考えていないから、使用人もいなくなった今では気をつけていないと食事さえもさせてもらえないのよ。わたしがいなくなると、あの子たちがどうなるか心配だったんだけど、これからはダーナが面倒を見てくれるっていうから心置きなくお嫁に行けるわ」
ダーナは「お任せくださいませ」と請け負った。
「ふたりともわたしと違って、利発で素直な良い子たちなのよ。だからね、ふたりのことをよろしくお願いします」
マリーはできるだけ丁寧にお辞儀をして、クラスト辺境伯に頼んだ。
そして、エルクとダーナにも「あとのことをお願いします」と頭を下げる。
仮にも貴族であるマリーが深々と使用人に頭を下げたので、エルクもダーナもギョッとした顔になった。けれどマリーは、双子たちのためならいくらでも頭を下げる。お姉さまなのだから。
マリーは学園で『自由で奔放で可憐な不思議なマリー』になってしまったが、なりたくてなったわけじゃない。
けれど、無知な分、妙なプライドもなかった。
だからマリーは誰にでも同じように、平等に向き合うことができる。
マリーを見ていたクラスト辺境伯は、変な顔になった。あまりに変な顔になったので、猛禽類のような鋭さがなくなってしまうほどだ。
そして彼は、しばらく黙って考えていた。
「……もしや、ヤウェン男爵夫妻は、俺が考えている以上におかしな人間なのか?」
「たぶん、そう。使用人にお給料を払わないからみんな逃げちゃって大変なことになったの。両親は遊んで暮らして祖父母の財産を全部なくしてしまったわ。屋敷にあるものを売って、わたしと双子と乳母のジェンマがなんとか食べていたのよ」
「そうか」
「わたしの用事はそれだけよ。それじゃあ、明日から旅が始まるし、今夜はこれで失礼するわね。馬車に乗るのは好きだから楽しみだわ。いろいろありがとうね、フレッド。アランとエルクとダーナもまた明日ね。じゃあ、おやすみなさーい」
マリーは手を振ってから部屋を出ようとして、ダーナに「お嬢さま、この場合はわたしが部屋の扉を開けるのでお待ちください」と止められた。
静かになった部屋で、フレッド・クラスト辺境伯は苦々しげに言った。
「…… なんだ、あの娘は? 評判とはだいぶ違うじゃないか……アラン、なにがそんなにおかしいんだ。おまえが持ってきた話だろうが」
「いえいえ、フレッドさまによい伴侶を紹介できたようで、このアランは感無量でございますよぉっ、ふふ」
「アラン、声が震えているぞ!」
笑いを堪えきれないアランを見て、フレッドはさらに不機嫌になった。冷静なエルクは「人は実際に会ってみないとわからないものです。この屋敷では、男爵夫妻はおかしいので隔離が必要、双子とマリー嬢は比較的まとも、ということがわかりました。あくまでも比較的ではございますが、噂とは違うお人柄のようにも思えます」と淡々と言う。
フレッドは難しい顔をして「そう、あくまでも比較的だ」と同意した。
「あの双子の見た目が良過ぎるのが気になるな。あの夫妻が金を得ようと余計なことをしでかさないように、しっかりと見張れ。あのふたりは動物だと思っていい」
「承りました。そのような気配が見受けられた時点で対応し、それなりの処罰を与えます」
エルクも、男爵夫妻のことを手のかかる家畜くらいにしか考えていないようだ。
ダーナも「男爵夫妻の食事を抜いてでも、子どもたちはしっかりとお育て申し上げますわ」としっかりと約束する。
「そうしてくれ。俺は、あの礼儀知らずの妻を躾けなければならないからな。そこまでは手が回らん……おい、なんだその顔は!」
「どちらが躾けられるのか」
エルクはにやりと笑う。
「ものすごく楽しみでございますわ」
ダーナもにやりと笑う。
「マリー嬢はものすごく可愛いですからね。フレッドさま、よかったですねー、マリー嬢を見つけた俺に、褒賞を出してくれてもいいんですよー」
アランはにっこにこだ。
遠慮のない部下たちを見て、フレッド・クラスト辺境伯は「ふん!」と明後日の方を見たのであった。




