第7話 猛禽紳士がやってきた
勉強をしたり本を読んだりと、貴族の子女らしい今までになく平和な時間を過ごしていたマリーと双子たちは、昼にはダーナが用意した昼食をたらふく食べて、たいそう幸せな心地になった。
しかし、両親が帰宅した物音を聞き暗い表情になった。
マリーのみならずケリーとヤリーも浮かない顔なのは、両親が戻ってくるとほぼ必ずよからぬことが起きると学習しているからである。
「ダーナに、お金を取られないように注意をしなくてはならないわ。お姉さまは偵察してくるわね」
「はい、お気をつけて」
「お金は大切です」
けれど、玄関ホールの様子をそっと伺っていた彼女が見たのは、ダーナに論破されて完全降伏した両親の姿であった。
「わたしはクラスト辺境伯にお仕えしていますし、旦那さまの次に従うのはご結婚なさるマリーさまでございます。畏れながら、ヤウェン男爵ご夫妻の命に従うつもりはございませんし、クラスト辺境伯に不利益になることは断固として許しません。そのことをしっかりと認識していただきます」
「いや、でも、我々の使用人ではないのか? この屋敷を切り盛りする家政婦長なのであろう?」
おろおろするヤウェン男爵に、ダーナは氷点下の口調で「それもすべてクラスト辺境伯のためでございますし、万一利益を損なうような事案がございましたらわたしの一存で掃除して良いとの許可をいただいております」と告げてから、声を顰めて「汚れはすべて除去いたします。たとえそれが生きていようとも」と、はっきりと宣言した。
「そ、な、お、どう、いう意味、なのだ」
ヤウェン男爵は狼狽し、夫人はものも言えず震えた。だが、ダーナは気にかけることもなく「害虫駆除は徹底的にいたしますよ」と、口の端をほんの少しだけ持ち上げる恐ろしい微笑みを見せた。
「それではお部屋にどうぞ。それなりに整えておきました。日が沈む前にクラスト辺境伯が到着いたします。ディナーの準備もこちらにお任せください。なにか質問は?」
辺境に住む野蛮な猛禽の使用人はやはり猛禽らしい。
そう感じた男爵夫妻は頭をぶるぶると振ると、脚をもつれされながら部屋に引っ込んで行ったのだった。
両親がいなくなったのを確認して、マリーはダーナの前に現れた。
「ダーナ、夕方にクラスト様がいらっしゃるのね」
「はい。すでに『旅の扉』をお使いになって、王都に到着していらっしゃいます。所用を済ませて馬車の用意をしてから、従者とこちらに来られて夕食を共にし、そのままお泊まりになる予定です。なにかご質問などございますか?」
ダーナは冷たいようだが男爵夫妻に対するものとは明らかに違う口調で、マリーに尋ねた。
「夕食の支度はダーナにお任せして大丈夫かしら? わたしもお手伝いしましょうか? 野菜の皮むきとかならできるわ」
両手を組み合わせて小首を傾げ野菜の皮むきを申し出る可憐な少女を見て、ダーナはため息をつきそうになるが、「いえ、手は足りておりますし、お嬢さまがナイフで怪我などなさいますと、わたし共使用人が辺境伯に厳しく叱責されてしまいます」と断った。
「わかったわ。他になにかあるかしら? クラスト様をお迎えする支度は問題なく進んでいるの?」
「あの夫婦よりもお嬢さまの方がよほどしっかりと家のことを……いえ、独り言でございます。それでは、お屋敷の中をひと通り確認していただけますか?」
「ええ、いいわよ。双子も連れてきていい?」
「もちろんでございます。ケリーさまとヤリーさまのお部屋も整えてございますので、ご確認ください」
こうして三人は、手際良く整えられてまるで別の場所のようになった屋敷に驚き、ヤリーとケリーはことさら力を入れて過ごしやすく手を入れられた部屋に「わーい」「わーい」と大喜びした。
その間に、マリーの部屋にも新しいベッドが入り、衣装ダンスやテーブル、椅子も置かれて、木箱とボロ布の山にさようならすることができた。
マリーも「わーい」と喜んだが、この部屋を使うのもあとわずかだと思って残念に思った。
「今夜は素敵なベッドで、三人で寝ましょうね」
マリーがそう言うと、双子たちはまた「わーい」と喜んだ。
双子はすっかりダーナに懐き、ヤリーはお茶を淹れる手法を見学させてもらった。
そして茶会のマナーの初歩を教わりながらゆっくりとお茶の時間を楽しんだ。用意されたクッキーや焼き菓子に「美味しいわ」「美味しいです」と、輝くばかりの天使の笑顔を振り撒き、ダーナに『これは可愛すぎる攻撃! わたしでなければ耐えられませんね!』と思わせている時に、来客の報が入った。
「マリーお嬢さま、クラスト辺境伯ご一向の到着でございます」
ダーナが、この屋敷を任されるエルクという者と、共にクラスト領まで旅をするアランという従者が一緒に来たことをマリーに教えた。
そして「お召し物を……」と言いかけて、はっと目を見開いた。
「もしかして、お手持ちのドレスは?」
「この他にはタンスに入った一着よ。でも、この服の方がへたっていないわ」
ダーナはわたしとしたことが……と頭を抱えそうになったが、すぐに「そうですわ、奥さまのドレスを用意するのは夫の役目でございますものね。ええ、問題はございません」と復活した。
「それでは、ご挨拶に参りましょう。ケリーさまとヤリーさまもご一緒にどうぞ」
ダーナが双子に声をかけると、ふたりは「お姉さまを遠くに連れて行く人ですね」「わたしたちを離れ離れにする人ですね」としかめ面をした。
けれど、マリーが「美味しいごはんを買うためのお金を、ダーナに持たせてくれた親切な紳士よ」というと、顔を見合わせてから「ご親切な辺境伯にお礼を言います」と頷いた。
自分の知らないところで餌付けをしていたフレッド・クラスト辺境伯であった。
まだ手が回っていないので殺風景な玄関ホールには、すでに男爵夫妻がクラスト辺境伯を出迎えていた。
「ようこそいらっしゃいました。我々はクラスト辺境伯を歓迎いたしますよ」
「うちのマリーに目をつけるとは、さすがはお目が高い辺境伯ですわ。とても愛らしい娘なのでございます」
媚びへつらう両親をマリーは少し悲しげに見たが、すぐに頭を振り上げた。
「ダーナ、マナー的にわたしが先に挨拶した方がいいのよね?」
「はい。ケリーさまとヤリーさまはわたしがお連れします」
ダーナが双子の手を握ったので、小さな金髪頭たちもダーナを見上げてキュッと握り返した。
マリーはひとつ深呼吸をしてから、玄関ホールのクラスト辺境伯の前に進み出た。
「ようこそいらっしゃいました、クラスト辺境伯。わたしはマリー・ヤウェンと申します」
青い瞳で正面から辺境伯を見つめる。
(真っ黒なお髪に真っ黒な瞳。意思が強そうね。そんなにおじさんっぽくないわ。目がひとつなのは怪我をしたからなのかしら?)
マリーにしげしげと観察されたフレッド・クラスト辺境伯は、眉を顰めながら言った。
「なるほどな。おまえが『可憐な悪女』として有名なマリーか。礼儀作法がなっていないな」
マリーはフレッドの嫌味に動じず、ただ『どのあたりがマナー違反だったのかな? 教えて欲しいな』と首を傾げた。
その時、フレッドに従っていた若い男性が肘で彼を小突いた。
「ちょっとフレッドさま、初対面でそれはないでしょう。礼儀作法がなってないのはフレッドさまだと、向こうからダーナがすごい目で睨んでますよ、俺は知りませんよ」
フレッドは絶対零度の視線を感じて密かに動揺したようだが「俺は本当のことを言ったにすぎん」と冷静なふりをした。それをしっかりと見てとったマリーは『ダーナって辺境伯家でも大物なのね。いい人が来てくれてよかったわ』と嬉しくなった。
笑みを浮かべるマリーを見て、フレッド・クラスト辺境伯は『男なら誰にでも笑いかける女か』と思い、面白くなさそうにふんと鼻を鳴らした。
「おお、悪女だなんて滅相もございません!」
ヤウェン男爵が、わざとらしく嘆くふりをした。
「この子は誤解されやすいだけなのです。マリーは外見の愛らしさゆえに疎まれ、いじめられがちなのでございます」
「そうでございます。この子の可愛いらしさに嫉妬する方が多くて、学園ではかわいそうな目に遭ったのですわ」
ヤウェン男爵はこのガスラクト国での美男子基準でもかなり高レベルの、金髪の優男だ。猛類のような雰囲気のクラスト辺境伯とは真逆のタイプの男性である。
その横で、ハンカチでそっと目元を押さえている男爵夫人も、同じく金色の髪に淡い水色の瞳をした美しい女性だ。
このふたりの娘であるマリーも、双子のケリーとヤリーも、ふんわりした金髪に青い瞳の美しい容姿をしている。
夫妻を『見た目が良い阿呆』だと認識しているフレッドは「そんなことはどうでもいい。おまえたちの娘は借金の肩代わりをする交換条件で、俺の妻にするぞ」と告げた。
「ありがとうございます!」
意味がわかっているのかいないのか、夫妻はホクホク顔で頭を下げている。彼らはマリーが身分の高い男の元へ嫁ぐことが嬉しくてたまらないのだ。たとえそれが冷酷だと評判の猛禽紳士だとしても。
彼らには、結婚準備金をどっさりともらえることが重要なのだ。
「この縁組でクラスト家とヤウェン家とは縁続きになるわけだ。これ以上借金やらなんやらを重ねられても迷惑だから、今後はお前たちが馬鹿な真似をしないように、エルクがこの家を仕切る。もちろん、財産も行動も管理するぞ」
「はあ? それはどういうことですか?」
「そのまま、言った通りだ。理解できないなら口を出すな。嫌なら、借金のかたに家も屋敷もすべて取り上げておまえたちは放り出すが、どうする? おとなしくしていれば食べるのには困らないように飼ってやる」
クラスト辺境伯の視線に射竦められて、両親はぐうの音も出ないでお互いの手を握り合って震えている。
マリーは両親の姿を見て『これで安心ね』と思い、さらに『彼は、こっちの角度から見るとハンサムに見えるわね……もうちょっと、そっちに向けて』と指をちょいちょいと動かした。
彼女の視線を感じたフレッドが「なんだ?」とマリーを見ると、彼女の求める角度になったので『そうそう、その感じよ』とにっこりしながら見つめ返した。
フレッドは、生まれて初めて感じる、気持ちのいいような悪いような奇妙な動悸がして、シャツの襟を緩めた。そして思わず「変な女だな」と呟いた。




