第43話 ハインリヒ王子の横槍
クラスト夫妻は、あらかじめ指示された段取り通りに、会場の中央に設けられた花道を国王のいる玉座の前まで進んでいった。
フレッド・クラスト辺境伯の不機嫌そうな表情と、隻眼から発せられるこの場に不似合いな殺気に満ちた視線を感じたせいで、歓声こそ起こらなかったが、予想外なことにマリーへ悪感情はさほど向けられていなかった。
出席者たちからはごく普通に、彼らを祝福する優しい視線が向けられている。
未熟な若者のように噂話を丸呑みするほど、それなりの貴族は馬鹿ではないということらしい。
だいたい、王宮でわざわざ披露宴を開くというのは国王がふたりの結婚を祝うと宣言しているようなものなのだ。それに逆らうのはもはや反逆行為であろう。
緊張の面持ちのマリーと、誰がなんと思おうと動じないが浴びる視線は鬱陶しいというフレッドは、威厳に満ちた表情を作ってはいるものの、内心ではかなりワクワクしている国王の前へと進んだ。
(ほほう、なかなか愛らしい奥方ではないか! フレッドめ、散々心配をかけおったが、このように素晴らしい姫を妻に迎えるとは……くくっやはりこの男は強運であるなあ)
国の要が強運であることは、ガスラクト国にとってもありがたい話である。
国王は、危険な討伐任務を果たし、境界する他国に睨みを利かせる頼もしい武人である甥っ子を、たいそう買っていた。
そして、フレッドは。
(くそっ、おっさん、そんなにキラキラした目で見るんじゃねえよ……)
ちょっと照れていた。
そして、マリーとはまだ真の夫婦になっていないことに後ろめたさを感じていた。
王家の影を操る国王は、そのようなことはもちろん承知していた。承知の上で、なんとかふたりを結びつけてこの際ラブラブになって欲しいと願っていた。
その隣に座っている王妃も、国王から報告の書類をかっさらって熟読しているので、もちろんふたりを応援している。そんな気配は微塵も見せておらず、マナーに則った上品な笑みを浮かべているが。
国王夫妻の前に到着したふたりは、礼をすると、祝辞と宴を開催する宣言を待つ。その時、きょとんとした顔を上げたマリーが『あら、王さまと王妃さまだわ』とふたりを見た。
そして、にこっと笑った。
物怖じしない精神力と無邪気な笑顔を見て、王妃は『あら可愛い!』と心を動かした。今日は特にお人形のように可愛らしく美しいので、マリーは男性よりもむしろ女性陣の心をつかんでいるのだ。
ガスラクト国王が立ち上がり、言葉を発しようとしたその時。
「その結婚に異議あり!」
書類を片手に無粋に割り込むのは、この国の第一王子であるハインリヒである。
マリーにメロメロになり、ひとりで盛り上がった挙げ句に婚約者であったシェリンダ・フォートン伯爵令嬢に婚約破棄を叩きつけた、金髪の優男だ。
ちなみに、立場的に第一王子との婚約を断ることができずにいたシェリンダだが、この騒ぎのどさくさで彼女の好みにジャストミートな筋肉騎士と出逢い、今は奥方さまに収まっていてラブラブな生活を満喫している。
そして、やらかしたハインリヒ王子はというと、もう貴族の令嬢たちから相手にされなくなり、新たな婚約者は見つからずにいた。
そのハインリヒが、すでに両親から『こやつは王太子の器ではない』と見限られていてそれを知らないのは当人ばかりという第一王子が、ものすごい『ドヤ顔』プラス『ざまぁ顔』をしながら、国王にその書類を手渡した。
「父上、確認してください。皆の者はよく聞け! これは、クラスト辺境伯が財力にものを言わせて、無理矢理マリーを手に入れようと画策した証拠である!」
フレッドとマリーは「はあ?」とハインリヒを見た。
第一王子はさらにドヤ度を上げて「ことの次第を書きつけて、ヤウェン男爵と男爵夫人がサインをした、正式な告発文書だ。もちろん、ヤウェン男爵家の印章も押されている。クラスト辺境伯、観念するがいい!」と黒髪隻眼の猛禽紳士に告げた。
ハインリヒ王子は、マリーに裏切られたと思っているし、さらに昔から父親が手放しで褒めるフレッドのことが気に入らなかった。
ガスラクト国ではハインリヒのような詩や歌を好むほっそりした中性的な男性が好まれるので、フレッドは女性にまるでモテない。優越感に浸っていたハインリヒだが、フレッドがいつの間にか学園で一番愛らしく美しいと人気だったマリーを妻に迎えたと知り、激昂した。
(フレッドよ、もうおしまいだな。マリーは俺が引き取って愛人にしてやろう)
内心で嘲笑うハインリヒ。
だが、フレッドは言った。
「なんだそりゃ、アホくさい」
「なんだと?」
宿敵(だとハインリヒは勝手に思っている)に鼻も引っかけてもらえないハインリヒは、「おまえのような男の元に、女性がまともに輿入れできるわけがないだろうから、借金に苦しむヤウェン男爵を脅した挙げ句に、大金を払って嫌がるマリーを買い取ったのだろう。今すべてを白日の下に晒してやろう!」と言ってマリーに手を伸ばした。
「マリー、こっちに来るのだ」
だがマリーはハインリヒ王子に向かってはっきりと「嫌です」と断った。
「わたしはフレッドの奥さんだし、これからもずっとそうよ。妙ないちゃもんをつけないでちょうだい!」
猫だったら毛を逆立てて「シャーッ!」と言いそうな勢いで威嚇する。
「そんな奴のことを気にするな。粗暴で下品な男のところにとどまる必要はない、金ならわたしが立て替えてやるから安心しろ。おまえのことはずっと面倒を見てやるからな」
欲望を含んだ視線で、マリーの全身を舐め回すように見て「すべて俺が塗り替えてやろう」と呟く、気持ちの悪い王子。
「誰が下品ですって?」
フレッドのことを悪く言われたマリーは、すっと表情を変えた。
「ハインリヒ王子殿下、わたしは嫌だと申し上げておりますわ。うちの主人は粗暴でも下品でもございませんし、犯罪まがいのことをしてもおりませんのよ。腕の立つ武人で人望もある、自慢の夫であるクラスト辺境伯を侮辱するのはおやめくださる? それとも第一王子殿下はクラスト領に喧嘩を売っていらっしゃるのかしら? あと、気持ちが悪いので、人妻であるわたしを変な目で見るのはおやめくださいね」
おおらかなマリーにも、かなり気持ちが悪かったようだ。
「なっ、なんだと?」
「うちの奥さんは、見た目にそぐわず血の気が多いな。うむ、知っていたが」
フレッドはひとり頷いた。
そして、国王に言った。
「陛下、その書類の日付はいつになっていますか?」
「おまえなあ、人前では一応『畏れながら』とかなんとか付けろと……まあよい」
国王が告げた日時は、マリーがクラスト領に旅立った後であった。
「ふん、それはおかしな話だな」
フレッドは鼻で笑うと、ハインリヒに尋ねた。
「マリーが輿入れしてから、ヤウェン男爵夫妻は屋敷から出ていないし、客人も迎えていない。その書類のサインはいつしたんだ?」
これ以上やらかさないようにと、しっかりと監視されていたヤウェン男爵夫妻である。
「それは……手紙にして渡した。封書にして他の手紙と一緒に届けたのだ」
「そんな重要な文書を手紙で届けて、男爵がサインしてまた手紙にして出したのか? ずいぶんと不用心な話だ」
「黙れ! おまえがなんと言おうと、これは正式な文書で……」
「あと、印章。ヤウェン男爵は悪い奴らに騙されて借金をさせられて、衝撃のあまりに精神を病んでしまってな。到底政務をこなせない状態だったから、印章は次期男爵である嫡男のケリーのもとにあったのだが。そして、幼いケリーの補佐をする家令のエルクが管理をしていた。つまり、ヤウェン男爵が印章を押すのは不可能だったはずだがな」
「なっ……」
ヤウェン男爵家の事情がよくわかっていないハインリヒ王子は、言葉に詰まった。
そこへ、しかめ面の国王が言った。
「ハインリヒ、この文書にはまったく折り目が付いていないが、どうやって封筒に入れたのだ?」
「父上、実は……しわを伸ばすために、アイロンをかけたから……折り目が消えたのであって……」
それは、誰の耳にも苦し過ぎる言い訳に聞こえたのであった。




