第44話 マリーは強かった
「つまり、ハインリヒ殿下は偽の書類を用意して、俺の妻を攫おうと画策した……ということになる」
ホール全体に冷たい風が吹いたように、誰もが皆悪寒を感じた。
貴族の印章まで押された正式な書類が偽造されたのだ。
これは見逃すと国の崩壊に繋がるほどの重大な犯罪であり、たとえ国の王子であろうとも許されない行いである。
「ち、ちがっ、わたしはそのようなことは……」
「マリーを手に入れるためには犯罪行為も辞さないとは、まったく畏れ入るぜ。ハインリヒ、俺がこのような侮辱をされて黙っているとでも考えたのか? クラスト辺境伯家はずいぶんと舐められたものだな」
「ひっ、人を犯罪者扱いするな! 不敬であるぞ! わたしはこの国の第一王子である!」
「だから余計にタチが悪いんじゃねえか。犯罪者を犯罪者扱いしてなにが間違っているんだよ。そうだろう、国王陛下?」
フレッドは、ターゲットにロックオンする恐ろしい視線をハインリヒに固定しながら、息子のあまりの愚かさになにも言えなくなっている国王に言った。
本当の妻にしたいのだができないもどかしい状態のフレッドは、マリーがハインリヒに劣情を向けられたためにたいそう腹を立てていた。
頭では『マリーは俺と離婚して、もっとふさわしい男と再婚させるべきだ』などと考えていたが、他の男のものになると考えたら非常に不愉快な気持ちになったのだ。
そのイラつきも込めて、フレッドはハインリヒに言葉を叩きつけた。
「ハインリヒ、おまえに決闘を申し込む。代理人は立てられない方法の、命と尊厳をかけた決闘だ」
国王は手で顔を覆って「愚かな息子よ。どうしようもできんぞ」とうめいた、
王妃は顔を青ざめさせながらも「当然そうなるでしょうね」と呟いた。
そしてふたりは、国一番の武人であるフレッド・クラスト辺境伯に息子の命が散らされる未来を受け入れた。国の頂点に立ち治める者は、すべての国民に等しく公正でなければならないのだ。
それに、仮にも第一王子であるハインリヒが、犯罪者として薄暗い牢に繋がれ、刑罰を受けるよりも、決闘でひと思いに人生を終わらせた方が本人にも王家の名誉的にもまだましなのである。
だがハインリヒは足掻いた。
「ふっ、ふざけたことを言うな! どうしてわたしがおまえと決闘しなければならないのだ。わたしは意思に反して結婚させられたマリーを救おうとしたのだから、正義はわたしにある!」
「よさんか、ハインリヒ! 見苦しいぞ」
諌める国王に、ハインリヒは「父上、わたしは悪くないのです。不幸な女性を救うことのどこに悪があるのでしょうか? 悪いのはフレッドなのです」と言い募り、決闘を逃れようとする。
「ハインリヒよ、もしもおまえに正義があるというのなら、潔く決闘を受けるがいい。神の審判の風が吹きおまえが勝利することとなるであろう」
「嫌です、わたしがこいつに勝てるわけがないでしょう、魔物を斬り殺しまくる魔王のような男ですよ!」
「黙れ! フレッドがなんのために身体を張り、剣を振い続けているのかわかっているだろう! ひとえにこの国を守るためだ!」
「父上はそうやって、フレッドフレッドフレッドといつもこいつばかりを褒めている! こんな醜く性格が悪い男をどうして……」
ハインリヒはぎりりと奥歯を噛んだ。
そこに、のほほんとしたマリーの声がした。
「あら、フレッドは誤解されやすいけれど、とても親切でいい方よ。あと、ハンサムだと思うし」
「……は?」
抜けた声が出たのは、当のフレッドであった。
「あなたはハンサムよ。初めて会った時からそう思ってたわ。うふふ、急に輿入れが決まって驚いたけれど、思いがけずハンサムで素敵な殿方と結婚できるのねって、嬉しく思ったんだから……」
マリーは「きゃっ、恥ずかしい。こんなこと言わせないでよ、やんもうっ」と、照れながらフレッドの腕をバンバン叩いた。
フレッドは絶句してから「……おまえは、非常に変わった趣味をしていたのだな」と呟いた。
「それから、ハインリヒ殿下、その節は素晴らしい贈り物をたくさんくださってありがとうございました。わたしたち、本当に助かったのよ。あのおかげでなんとか生き延びることができたの」
もらったものを即、売り飛ばして食費を手に入れていたマリーは、感謝の気持ちを青い瞳に込めてハインリヒを見つめた。
「な……そんな……ことが……」
ハインリヒは、その頃はヤウェン男爵家の事情など知らなかったため、下心に満ちたプレゼントをマリーがそれなりの気持ちで受け取っているとばかり思っていた。それが当たり前のことだからだ。
そして、マリーはてっきり、将来のガスラクト国王になる自分と結婚したいのだと思っていた。
それなのに、全ては勘違いであった。
邪な意図で贈り物をしたのにこんな純粋な感謝を返されてしまい、ハインリヒは動揺した。
「……それは確かなことだな。ハインリヒがいなければ、マリーたちは飢え死にしていたかもしれん」
フレッドも、先ほどの怒りをおさめて「よくやった。お手柄だ」と言った。
「……はっ、はははっ。それはどういたしまして」
ハインリヒは大きく頭を振ると「わたしの負けだ」と肩を落とした。そしてフレッドに向かって「だが、おまえに負けたのではない。マリーに負けたのだ!」と言って睨みつけた。
「あら、これは勝ち負けではなくてよ」
マリーはとことこと国王の座る玉座に向かうと、その手にある書類を取り上げてビリビリに引き裂いた。
「陛下、畏れながら、この書き損じの紙を捨てておいてくださいな」
にっこり笑って手渡され、国王は思わず「お、おう、捨てておく」と答えてしまった。マリーは素早くフレッドの隣に戻ると、彼の腕にしがみついた。
「余興はこれでおしまい。さあ、舞踏会を始めましょうよ。わたしたち、たくさんダンスの練習をしてまいりましたのよ。早く皆さまにお披露目したくて、シューズがうずうずしていますわ!」
力技で事態を丸くおさめてしまったマリーに、フレッドは『俺はとんでもない女を妻に迎えてしまったようだな』と苦笑したのであった。




