第40話 楽しいひととき
マリーが到着した晩に、クラスト夫妻とケリーとヤリーの他にもアランとエルク、ダーナ、乳母のジェンマにマリーの側仕えのレベッカが、親睦を兼ねて共に夕食のテーブルにつくようにと指示が出た。
ちなみにカトレアは用事(『フラワーズ』の長であるサイネリアへの報告と、ついでに彼女の夫である家令のロバートから預かったラブレターを渡しに行っていた)を片付けるために一晩留守にしていた。デキる諜報員はいつも忙しいのである。
ダイニングルームにやって来たジェンマは「お偉い方々と一緒に食事をするなんて……」とたいそう恐縮してしまった。
特にフレッド・クラスト辺境伯は、ガスラクト国王の甥であり、辺境の地での国防を担う重要人物なのだ。
レベッカが「ジェンマさん、そのように肩に力を入れなくて大丈夫でございます」と老乳母に声をかけた。
「クラスト辺境伯家では、時折り奥方さまが主催の夕食会が開かれて、そこでは使用人も順番に招かれるのです。楽しいひと時を共に過ごすことが、人間関係を良くする秘訣なのだとか。フレッドさまも良い試みだとお褒めくださっています」
レベッカはジェンマの肩にそっと手を添えながら、優しく説明した。
「今夜は共に楽しみましょう」
「ありがとうございます、お綺麗なお嬢さま」
「あら……」
不意を突かれたレベッカは「畏れ入ります」と顔を赤くした。
「なんだ、乳母。木箱のテーブルが良ければ用意してやるが、低くてかなわんだろう。食事をサービスする者の身になって、諦めてテーブルにつけ」
首元を緩めてラフな姿になったフレッドがぞんざいな声をかけると、ジェンマはくすりと笑い「ああ、木箱のことをご存じでいらっしゃいましたか」と表情を和らげた。
以前のヤウェン男爵家では、マリーと双子たちとジェンマが、木箱の上に食べ物を並べて仲良く食事をしていた。ボロ布をおしりの下に敷き、蒸した芋や干し肉の切れ端と野菜くずを煮た薄い謎スープ、などといった寂しい献立だったけれど、四人にとっては心安らげる楽しいディナーであった。
フレッドのそっけないひと言の奥に『乳母と子どもたちの絆を知っているぞ』という優しい気持ちが隠れていることを、このベテランの乳母は感じ取っていた。
「マリーお嬢さまは、本当に素晴らしい旦那さまと巡り会えていらっしゃったのですね。ようございました……」
なぜか涙ぐんでしまったジェンマを見て、フレッドが「おい、泣くな、俺は別に婆さんをいじめているわけじゃないんだからな。レベッカ、なんとかしろ!」と慌ててしまった。
ジェンマは涙を流しながら笑って「はい、いじめられてはおりませんよ。辺境伯さま、どうかマリーお嬢さまのことをよろしくお願いいたします」と頭を下げた。
「おう、任せろ。婆さん、じゃなくて、ジェンマだったか」
言い直したのは、フレッドのコミュケーション教育担当(?)のアランが「ご婦人になんて口のきき方ですか。この人は乳母のジェンマさん、奥方さまの恩人ですよ!」と口頭の注意と共に鳩尾への肘打ちが飛んできたからだ。
「おまえさんはいい仕事をした。こいつらが元気に生き延びているのは、マリーとジェンマの手柄だ。ふたりが力を合わせたからこそ、今日の日がある。よくやった。これからは不足のないようにするからな、引き続きこいつらを育てて一人前にするがいい」
めっちゃ上からの褒め言葉だったが、ジェンマは「はい、承りました」と頭を下げた。
「フレッドお兄さま、こいつらじゃなくてケリーです」
「フレッドお兄さま、こいつらじゃなくてヤリーです」
目の前にぴょこんと飛び出してきた双子たちが、恐れることなく背の高いフレッドの顔を見上げて「お兄さまー」と迫ってきたので、さすがのフレッドも「こいつは失礼したな、我が弟殿と妹殿」と言って、苦笑しながらふたりの頭を撫でた。
双子は満足そうに「むふん」と目を細めて、隻眼の猛禽紳士に頭を撫でられたのであった。
その晩、マリーは甘えん坊になった双子たちと一緒に寝た。ふわふわで軽い布団に潜り込んで、声をひそめて話すのも楽しい。
「あのね、お姉さまは『旅の扉』という方とお友達になったのですよ。不思議な力を持つ扉でね、クラスト領から王都まで、あっという間に来られるのです」
「わあ」
「わあ」
双子たちは瞳をキラキラさせた。
「その扉ちゃんにね、あなた方のお話をしたら、ぜひ会いたいって言っていたわ。クラスト領は自然が豊かで子どもの成長に良い環境だから、遊びに寄越したらいいって言ってくれたの」
「わあ!」
「わあ!」
不思議な旅に誘われた双子たちは、嬉しくてくすくす笑った。
「素敵な扉ちゃんに会いたいです」
「親切な扉ちゃんとお友達になりたいです」
「ふふふ、扉ちゃんも喜ぶわ。披露宴が終わったら、王宮の扉のお家に行きましょう」
『旅の扉』は国の宝でもあるので、たとえ王族でも逆らうことはまず、ない。どんなことをしても味方につけておきたい存在なので、ガスラクト国の貴族の子どもであるケリーとヤリーが扉と親しく交流することは、国としても願ってもないことなのである。
そうこうしていると、いよいよ披露宴の日がやってきた。夕方の早い時間から開催される舞踏会で、オープニングにはもちろん、クラスト夫妻によるファーストダンスがある。
「フレッド、あなたが遠征に出ている間にも、わたしは更なる修行を積んだのよ。わたしの手さばき足さばきに着いてこられるかしら?」
ドヤァ、と胸を張るマリーが可愛すぎて、うっかり「そうかそうか」と頭を撫でそうになるフレッド。ケリーとヤリーがことあるごとに『撫でろ』と無言の圧をかけてくるので、手が撫で撫でを覚えてしまったようだ。
「よし、その挑戦を受けて立とう。これから着飾るんだろ? がんばってこい」
「ありがとう。とても素敵なドレスを作ってもらったのよ。フレッドに見せるのが楽しみだわ。薄い水色で、素敵なレースがたくさん使われていて、スカートはふわっと軽いの。ねえ、ダンスの時にくるっと回してくれる?」
「ああ、もちろんだ。高く持ち上げて回ってやろう」
「うふふ、楽しみだわ。ありがとうね、フレッド!」
マリーは嬉しそうに言うと、フレッドの手をキュッと両手で握り、それからパタパタと駆け出して行った。
「おいおい、転ぶなよ、お転婆な奥方さま」
マリーを見送るフレッドは、慈しむような柔らかな笑みを浮かべていた。




