第39話 教育の成果
両親を見たマリーは表情をこわばらせた。
ヤウェン男爵夫妻は上辺だけの笑みを浮かべながら、マリーに芝居がかったような口調で声をかける。
「もちろん、お父さまとお母さまを裏切るような真似はしないわよね? マリーはいい子ですもの」
「わたしたちに恩返しをするために戻ってきたのだろう? クラスト辺境伯家でおまえが得たものをわたしたちに渡すのだ」
マリーは変わらぬ両親を見て、やるせない気持ちになった。
(このふたりは、嫁いだわたしから甘い汁を吸おうと考えているんだわ。エルクとダーナにかなり『教育』をされたはずなのに、甘ったれで自己中心的な性根を変えることはできなかった……がっかりよ)
今までのマリーは、なんだかんだ言っても両親の言うことが絶対であると感じ、逆らうなどとはとんでもない話であった。まあ、このふたりの場合は、我が子であるマリー、ケリー、ヤリーを完全に放置していたため、関わること自体がとても少なかったが。
マリーはドレスのスカートにしがみついている、幼いケリーとヤリーを見た。小さな手が震えている。彼らにとっても両親は敵なのだ。幸せな今の生活が壊されることを恐れ、怯えているのであろう。
「お姉さま……逃げて」
「お姉さま……逃げて」
(ああ、なんてこと! この子たちは両親からわたしを逃そうと考えているんだわ!)
マリーの中に、強くてしなやかでとても硬い柱のようなものが通った。彼女がフレッドを見ると、彼は皮肉な笑みを浮かべながら黙って様子を見ている。
まるで彼女を試すように。
マリーは愛らしい顔から一切の笑みを消し去り、両親に向かって言った。
「ヤウェン男爵夫妻、あなた方はわたしの夫を貶めるおつもりなのかしら? フレッド・クラスト辺境伯を?」
彼女は声を強めると「不敬ですわよ!」とぴしゃりと言った。ヤウェン夫妻は「なっ、マリー、おまえは親に向かってなんて口のきき方をするのだ!」「マリーちゃん、不敬なのはあなたよ」と、マリーを親の威厳で押さえ込もうとする。
だが、マリーはすっと頭をそらして「親ですって? 親らしいこともせず、親としての義務ですら果たさずにいるあなた方を、わたしは親とは思っていませんわよ」とはっきり言い返す。
「マリー! おまえは……」
「お黙り! わたしはクラスト辺境伯夫人よ。ヤウェン男爵、この意味がお分かりでないのかしら?」
そう、今やマリーは王家に連なる血筋のクラスト辺境伯家の女主人なのだ。身分は男爵家よりもずっと高い。
「あなた方が借金を重ねてヤウェン男爵家を潰しそうになったところを、クラスト辺境伯が救って建て直したのですよ。その恩を感じるどころか夫を侮辱するとは何事ですか!」
「なっ、マリー」
「しかも、安楽に生活させてもらっているというのに、文句を言うばかりで、男爵としての政務も領地の統治もエルクと代官に丸投げしているというではないですか! 恥をお知りなさい」
ヤウェン男爵夫妻は、娘の豹変に唖然とした。
金髪に青い瞳の、笑顔が愛らしい娘は、クラスト辺境伯家で熱心に学び、自立した女性になって親と対等の……いや、上からの口を聞くようになっている。
「領民にとっても、あなた方は害悪でしかないのでしょう。元々なんの役にもたっていなかったことですし、これを機会に家督をケリーに譲ってはいかがかしら?」
それを聞いたフレッドが噴き出して「なかなかやるな!」と言った。エルクとダーナも、見違えるように強くなったマリーに驚き、そして歓迎した。
マリーは表情を変化させ、大輪の薔薇が花開いたような艶やかな笑みを浮かべて言った。
「お仕事をするのも責任を取るのもお嫌なのでしょう? それなら思い切って、若い世代にお任せした方がいいわ。大丈夫よ、エルクがしっかりと実務を支えてくれるし、フレッドがケリーの後見をしてくれるもの。ね?」
「妻に頼られたら、夫として応えんわけにはいかんからな。ケリー、しっかりとがんばるんだぞ。おまえの姉も俺も、エルクを始めとする使用人たちも、おまえを支えて育ててやるからな」
いきなり自分が爵位を継ぐ話になり、ケリーは目をぱちくりさせていたが、マリーから英才教育を受けていたたくましい男の子は「はい。僕はまだ未熟ですが、今ですらお父さまよりましな男爵になれますし、この先勉強に励んで立派な男爵になってみせます」と、利発そうに宣言した。
七歳の幼児にここまで言われる現男爵とは……だが、それは事実であったので、誰も異を唱えない。
男爵本人も、口を開きはしたがケリーの『お父さまは無能ですよね』という視線を受けて、なにも言えなかった。
「ヤウェン男爵夫妻、よかったですね。これからはのんびりした引退生活をお楽しみになれますわ」
にこやかに言うマリーに、はっとしたように抵抗しようとしたヤウェン男爵夫妻だが、彼女が「無能な人間が領地を治めることは国のためになりませんもの。下手に執着なさると、ゴミだと思われてお掃除されてしまうかもしれませんわね……ええ、よくある話です」と言葉を続けたので、真っ青になった。
「マリー、よく学んだな」
「フレッドが手配してくれた先生が、皆さん教え方が上手なのよ。おかげで政治、経済、歴史、貴族としての心得やマナーなど、辺境伯夫人に必要なひと通りのことを学ぶことができました。これからも精進いたしますわ」
美しく背を伸ばして、威厳たっぷりに頷く。
ジェンマは「お嬢さまが、すっかり立派になられて……」と目元を押さえた。
「話は済みました。ヤウェン男爵夫妻、お下がりなさい」
「いや、待て、我らは……」
「人生からも退場されたいのかしら?」
顎に人差し指を添えて首を傾げる娘を見て、恐ろしいものに遭遇したように身体を震わせながら、ヤウェン夫妻は部屋へと下がり、クラスト辺境伯夫妻の滞在中には二度と出てくることはなかった。
「お姉さま、前にも増してお強くなられました」
「お姉さま、さらにさらにお強くなられました」
「うふふ、ケリー、ヤリー、日々の学びが身を結ぶのです。あなた方もがんばって、あんな両親なんてけちょんけちょんにできる強さを身につけるのですよ」
「はい! けちょんけちょんにします!」
「はい! けちょんけちょんにします!」
それを見ていたカトレアとレベッカは満足そうに頷き、アランは「奥方さまの英才教育、こえー」と嬉しそうな顔をしてから「面白そうだし、がんばれよ」とエルクの背中を叩いた。




