第37話 新婚さん
ヤウェン男爵家でケリーとヤリーがわくわくしながら待っている時、マリーたちは『旅の扉』をくぐろうとしていた。
『フレッド、待ってね』
「なんだ?」
扉に拒否されたら通れない。フレッド・クラスト辺境伯は不機嫌さを隠しながら止まった。
『あなたたちは新婚さんでしょ? わたしのルールでは、花婿は花嫁を抱き上げて扉を通らなければならないの。ふふふ、わたしは扉界でも有数な人間研究学者ですからね、常識はひと通り手に入れてあるのよ』
フレッドは『なんだその謎ルールは!』と叫びそうになった。
だが、『旅の扉』とは遺跡から発掘されて、自ら選んだ者だけに特別な力を示すある意味理不尽な存在なのだ。幸い、人に害を為すような押しつけは見られないが、扉ごとのルールに従わないと機嫌を損ねてしまう。
というわけで、フレッドは「それなら、やり方を教えろ」と扉に命じた。
『マリーちゃんは、フレッドの首に腕を回すの』
彼女がちらりと夫を見ると、彼は「いう通りにしろ。ほら」とマリーの手を握り、そのまま引き寄せた。
「ええと、こんな感じ?」
『そうよ。そうしたらフレッドはマリーちゃんを横抱きにして』
抱き上げられた途端に、きゃっ、と小さな声がマリーの口から漏れた。不安定な状態になり、持ち上げられたマリーは両手でフレッドの首にしがみついた。
予想以上に身体が密着しフレッドは狼狽えたが、ふんわりした妻の金髪頭が自分の頬に当たるのを感じて、なぜだかとても良い気分になってしまい、さらに慌てた。
「落とさないから、そんなに怯えるな」
荒っぽく言うが、彼の耳は赤くなっていた。
そしてマリーの方はというと、ダンスの練習の時以上に彼と触れ合ってしまい、しかも男性の胸元に顔を押しつけて、彼の香りを吸い込んだりしたもので、激しく舞い上がると同時に恥ずかしくなってしまった。
「マリー、大大大か?」
彼女が怖がっていると勘違いしたフレッドは「嫌かもしれないが、少しだけ我慢してしがみついていろ」と声をかける。
「……ない」
「なに?」
「嫌じゃ、ない」
顔を真っ赤にしたマリーが、ちらっとフレッドの顔を見上げて、すぐにまた胸に押しつけた。
「全然嫌じゃないわ、恥ずかしくなっちゃっただけなの」
「そうか」
「でも大丈夫よ。わたしたちは夫婦だし、ダンスの練習の時も、ほら、ね。ずいぶんと身体を寄せたじゃない」
「うむ」
「わたしは嫌じゃないし……むしろ嬉しいかも」
「えっ?」
マリーの青い目が、フレッドの目……ではなくて、唇を見た。
条件反射で狙ってしまったようだ。
(近いわ。ちょっと引き寄せたら、今なら奪える……)
そして「きゃっ」と言って顔を隠した。
「なんでもない!」
「おう、そ、そうか」
返事をしてから、フレッドは思った。
(は? 嬉しい、だと? 突然そういうクソ可愛いことを言うんじゃねえよ、男に食いものにされるぞ)
フレッドは深呼吸して湧き立つ気持ちと動揺を抑えようとしたが、若いマリーの花のような香りを胸いっぱいに吸い込んでしまう羽目になり、自分が変態のように思えて『違う、俺はそんなつもりじゃない』と胸の鼓動が速くなってしまった。
(マリーは正式な俺の妻だ。別に、こうして抱きあげたり、少々匂いを嗅いだりしてしまっても、夫なのだから別にかまわないのでは……いや、いかん! 俺はなにを考えているのだ!)
「おい、これで送ってもらえるんだな?」
ことさら強い口調で『旅の扉』に問いかけて、煩悩をごまかそうとする。
『はーい、とても上手でーす。新婚さん、ご結婚おめでとう! 王都の披露宴の成功を祈るわ。レベッカちゃんとカトレアちゃんは、拍手ー』
扉の指示で、ふたりは「おめでとうございまーす」と拍手をした。
こうしてフレッドとマリーは無事に扉をくぐり、王都側で待っていたアランに「えっ、俺の知らないところでなにを盛り上がってるの?」と軽く衝撃を与えた。
「扉、今のはよかった。よく思いついたね」
「おふたりの距離が自然に縮まりました。扉さん、さすがでございます」
カトレアとレベッカに褒められた扉は『うっふっふーん、わたしは仕事ができる扉なのよ』と上機嫌で、ふたりも王都へと送り届けた。
「本当に一瞬で移動できるのね。扉ちゃんってすごいわ!」
『マリーちゃんならいつでも大歓迎よ。よかったら、双子のケリーちゃんとヤリーちゃんも連れてきてちょうだいな。クラスト領に送ってあげるわよ』
お茶会でマリーのうちの双子の話を聞いた扉は『わたし、双子ってアランとエルクしか見たことがないの。ちっちゃなケリーちゃんとヤリーちゃん、見てみたいわ。きっとすごく可愛いんでしょうね』と、マリーの弟妹に興味津々であった。
「おい、勝手になにを決めているんだ」
「はい扉さん、今日もありがとうございました。いい魔石を用意してありますよ。慶事ですからね」
アランがお礼の魔石を扉に渡す。
『ありがとう、アラン。こんなにたくさん嬉しいわ』
「俺を無視するな。それを取ってきたのは俺だぞ、俺に礼を言え」
『戻ったらまた女子会しましょうね、気をつけて行ってらっしゃーい!』
「ありがとう、行ってきまーす!」
「だから、無視……もういい」
フレッドは「すっかり懐柔されやがって」とため息をついた。
王都側の『旅の扉』は、王宮の敷地内にある。扉が置かれた館から現れた四人は、荷物を運ぶ手配を終えたアランと共に王宮前に用意された馬車に乗り、そのままヤウェン男爵家の屋敷へと移動した。
大きな馬車を国が用意してくれたので、大荷物を乗せた上で五人も余裕で乗れる。馭者台には荷物運びの若者も乗っていた。
「驚くほど短時間で、クラスト領と王都を行き来できるのね」
マリーは馬車に揺られながら、何日もかけてたどり着いたクラスト領から一時間もしないで実家に戻れることに感心する。
「『旅の扉』は限られたわずかな者しか使えない。クラスト家の扉はとても友好的だが、まさかおまえの弟と妹にまで許可を出すとはな」
フレッドの両親である前辺境伯夫妻が、見つけた『旅の扉』とコミュニケーションを取りまくったおかげである。
「ケリーとヤリーは素直で賢くてとっても可愛い子たちだもん。扉ちゃんに話したら、お友達になりたいって言われたわ」
「いや、おまえは怖くないのか? 相手は遺物だぞ。人間じゃない」
「ちょっと変わった女の子よ」
「……ある意味、おまえは大物だな」
フレッドは『うちの両親がこいつを見たら、気に入るかもしれないな』と考えてしまい、馬車の外に目をやって、彼女が本当の妻だったらいいのにという気持ちがこれ以上大きくなるのを抑えようとした。




