第36話 王都へ
いよいよ王都に出発する朝になった。
マリーが輿入れする時には馬車で長時間かかった距離も、『旅の扉』が使える今回は秒で王都入りできて、そこから馬車に乗り換えればあっという間にヤウェン男爵家のタウンハウスだ。
クラスト辺境伯家の使用人たちが山になった荷物を旅の扉の館の前までカートで運ぶ。そこから先は扉が認めた者しか入ることはできないので、アランが往復してカートを押した。
レベッカは、アクセサリーなどの貴重品の入ったボストンバッグを預かっていた。マリーは手周りの品が入った小さなバッグをお上品に持っている。
荷物の準備が終わると、マリーがフレッドを追い越して中に入り、半透明の立方体に声をかけた。
「扉ちゃーん、おはよう! 今日はよろしくね」
以前は薄暗かった室内だが、レベッカが持ち込んだ魔石ランプを気に入った『旅の扉』が数個を室内に置いたので、明るい雰囲気になっていた。
「ふん、神秘性が失せたな」
ぶつぶつ言いながら、フレッドが続く。
青や緑の光がぼんやりと浮かんで動き回り、深海の魔法生物のように見える『旅の扉』は、表面に女性の姿を浮かび上がらせた。
『マリーちゃん、おはよう。今日は転移日和だわねえ……もちろん、言ってみただけよ。わたしはいつでも絶好調だもの』
「毎日が転移日和って素敵じゃない?」
『うふふ、そうかしら』
マリーと扉は手を繋いでぶんぶん振りながら笑いさざめいた。
楽しそうな扉の様子を見て「親しくなったらしいな」と、フレッドが微妙な表情で言った。
『フレッド、ごきげんよう! この前、マリーちゃんとレベッカちゃんとカトレアちゃんと、みんなで女子会をしたのよ。とても楽しかったわ。ねー』
「ねー」
「ねー」
さりげなくレベッカが加わったのを見て、フレッドは「レベッカ、おまえもか」とギョッとした。そして「カトレアも……女子?」と首をひねる。
『今日運ぶのは、フレッドとマリーちゃんとレベッカちゃんと、荷物持ちのアランね』
「へいへい、荷物持ちでごぜえます」
『さっそく運んでちょうだい』
扉はつんとしたお嬢様のような口調で、戯けながらカートを押すアランを通した。そのまませっせと転移する荷物担当のアランを放置して、扉はマリーとおしゃべりをする。
『例のアレ、どう?』
声をひそめた扉の問いに、こちらもこそこそと答える。
「まだ全然なのよ。タイミングが難しいし、動きはカトレアに合格をもらえたんだけど力が足りなくて。きっとわたしの修行が不足しているのね」
フレッドをこけさせて唇を奪う作戦に何度かチャレンジしたのだが、マリーがよろめいたのだと思われて、支えながら「靴のかかとが高すぎるのではないか?」とフレッドに注意されただけであった。
『諦めちゃ駄目よ、最悪の場合はわたしがさりげなく押さえつけてあげるからね』
扉は下の方に出ているクラゲの短い腕のようなものをみょーんと伸ばしてみせた。
「ええ、その時にはお願いするわね」
勘の良いフレッドは「なんだ、謀か?」と眉根を寄せたが「フレッドさま、女性の秘密に鼻を突っ込むことはカケスの羽を抜くのと同じ、ということわざをご存知でございますよね?」と釘を刺した。
宝石のように美しいカケスの羽を抜いてしまったら、たちまち魅力が失せてしまうということわざである。
「奥方さまは日々努力なさる、大変立派な方でいらっしゃるということだけを申し上げておきます」
「おまえは本当にマリーが好きだな」
レベッカはむふんと笑ってしまいそうになるのを堪えて「素晴らしき奥方さまにお仕えできることは、感謝の極みにございます」とフレッドに頭を下げた。
「これからも力になってやってくれ」
「承りました」
面と向かってはお小言しか言わないのに、実は裏ではこのようにきちんと妻を気遣うフレッドを、レベッカはとても立派な人物だと感じ、このふたりが真の夫婦となり末永く幸せに過ごせたらいいのに、と願ったのであった。
ヤウェン男爵家では、マリーの双子の弟妹であるケリーとヤリーが、乳母のジェンマと共にそわそわしながら姉の到着を待っていた。
ジェンマは腰を痛めて動くこともままならなくなり、泣く泣く実家に戻って静養しているうちにマリーがクラスト辺境伯の元に輿入れしてしまった。その後、ダーナの手配で良い医者の治療を受けられて、腰は元通りに近いところまで回復している。
以前のように立ち仕事や重い物を持つような仕事がなくなったので、腰を労わりながらこうしてまた双子の面倒を見ることができた。
「お姉さまは、とてもたくさんのお金を持った辺境伯という方のところにお嫁に行ったのです」
「辺境伯が呼んでくれたダーナが、美味しい食べ物をくれるのです。お勉強の先生も呼んでくれるのです」
そのような双子の説明を聞いた時には、心優しい乳母は「なんということでしょう、マリーお嬢さまがお金と引き換えに遠くに輿入れさせられてしまったなんて……」と膝から崩れ落ちてしまったのだが、その後に双子に届く手紙を読ませてもらい、クラスト領で楽しく暮らしていることがわかり、多少は安堵した。
そして、今度は国王陛下が主催する披露宴が開かれることになり、マリーの夫が国王陛下の甥であることを知って、違う意味で崩れ落ちそうになった。
雲の上のお方の、血縁の男性が、マリーの夫なのだ。
悪い評判や悪意に満ちた噂話を流されたマリーが、社会的に高い地位のある男性の妻になり、豊かな自然と優しい人々に包まれるようにして(たまに猿のようになりながら)生き生きと暮らしている。
ジェンマは『神さまがお嬢さまを見ていらっしゃったのだ』と感謝の祈りを捧げた。




