第34話 マリーさんは前向きな子
「だからね、わたしが上になれば解決すると思うのよ」
「奥方さま、言い方……いや、なんでもない」
男女のことをわかっているのかいないのかよくわからない、見た感じは純真無垢な美少女マリーに、カトレアは『フレッドさまに、上になりたいってお願いしてみては?』とアドバイスしたい気持ちを堪えた。
絶対、あとで主人に殴られると思ったからだ。
誰かに話すことで気持ちが落ち着いたマリーは、その後『フレッドを転がして覆いかぶさりキスする大作戦』を話し、三人に協力を求めた。
無敵の猛禽紳士を転ばせて、唇を奪う。
これは荒唐無稽な計画のようだが、マリーならやれるかもしれないという謎の思いが三人を頷かせる。クラスト辺境伯夫人は、不可能を可能にする女性なのだ。
「奥方さまにしかできない大胆で良い作戦だと思う。体術ならわたしが教えられる。フレッドさまは眼帯側の視野がどうしても狭いから、そちらから攻撃を仕掛けるといい。眼帯を外すと周りがぐるっと見えるから注意して」
「さすがはカトレアね! ただ者ではないと思っていたら、体術も教えてくれる先生だったなんて。とても有能だわ」
(いや、クラスト家の間者だから。闇の仕事を請け負っているから)
突っ込みも胸の中にしまっておく。
カトレアは「足さばきの練習はダンスにも役立てるから、さっそく始めることにしよう」とマリーに言った。
「わかっているとは思うけれど、フレッドさまは強い。奥方さまの細腕がどこまで通用するかわからないけれど、試す価値はあると思う。日々の精進が実を結ぶからがんばって」
「わかったわ、先生。カトレアもかなり華奢だけど……強いの?」
マリーは、筋肉どこいった? という雰囲気の儚げなカトレアを見た。
「わたしは訓練しているからかなり強いよ。性別が男で見た目よりも力があるから、アラン程度なら完封できる。でも、一番大切なのは身体の使い方と力の方向をコントロールする方法」
「ふうん」
アランの強さがわからないので、どの程度の腕前なのかわからないけれど、マリーは「自分よりも体格がいい相手にも通用する体術を、マスターしているってことね」と尊敬の眼差しでカトレアを見た。
そしてレベッカだが、彼女はカトレアの正体に薄々気づいていた。上級の貴族が専属の間者チームを抱えているのは、よくある話なのだ。特にクラスト家は王家に連なる辺境伯家なので、影の部門に馴染みがあっても不思議ではない。
いつの時代でも、権力者には光の顔と闇の顔があるものだ。
「カトレアさん、奥方さまが怪我などされないように、充分にご注意をお願いいたしますね」
レベッカは、大事なマリーたんが大怪我などしないようにと、カトレアに釘を刺した。計画自体を止める気がないのは、マリーが目を離すとするすると木に登るような野生に目覚めた令嬢だからである。
都会に住んでいたくせに、クラスト領の森を自由自在に駆け回って食べ物を調達できるようになったマリーは、フレッド・クラスト辺境伯に「俺は間違えて猿を妻にしてしまったらしい」と言わせるほどの野生の勘と身体能力を身につけていた。
「辺境伯夫人に負傷をさせたら、わたしの首が飛ぶかもしれないから気をつける」
「飛ばさせないから、本気で教えてね? わたし、絶対にフレッドを押し倒してやりたいの」
闘志をめらめら燃やす、野生の辺境伯夫人であった。
「ねえ、レベッカはお守りについて詳しいかしら? この辺りでは、戦いの場に向かう戦士のためになにかを渡す風習がある?」
「ええ、ございますよ」
レベッカは、大切な人(主に夫や恋人だ)の安全のために、お守り袋を作って、その中に魔石と共に一房の髪を入れて持たせる習わしについて、マリーに説明した。
「魔石は、三日三晩の間、可能なら肌に直接触れるように身につけてから、月の光に一時間当てたものが一番効果的だと言われております」
それを聞いたマリーは、家令のロバートから譲ってもらった質の良い魔石を胸元に押し込んで、ちくちくとお守り袋を縫った。材料はまだ残っていた古いドレスの端切れだ。
三日三晩、魔石を身につけて月光浴もさせた。できあがったお守り袋に髪の一房を糸で縛ってから切ったものもくるっと丸めて入れる。
中身が出てこないように細かく口をかがったら、想いのこもったお守りのできあがりだ。
「レベッカ、できたわ。どうかしら?」
「素晴らしい出来だと存じます」
「じゃあ、フレッドに渡してくるわね!」
ということで、フットワークの軽い猿系辺境伯夫人は夫の執務室に猛ダッシュし、扉をノックして中に飛び込んだ。
「お仕事中にごめんなさい、本日もご機嫌よろしゅう!」
素晴らしい安定感で完璧なカーテシーをしたが、それを見たフレッドは「おまえは……いや、もういい。諦めた」とため息をつく。
「で、今度はなんの用だ?」
「フレッドのためにお守りを作ったのよ。わたしの髪が入っているの」
得意げに見せられた袋を、フレッドは「……呪物か?」と胡散臭げに言った。
「お、ま、も、り。万一危険な目に遭っても、これがあれば運良く切り抜けられるはずよ。クラスト領で昔から作られているお守りですもの、絶対に効果があるはず!」
「まあ、毒にもならなそうな呪物か」
「そういう禍々しい言い方はやめてよ、もう」
揶揄われたマリーはぷんすかしながらフレッドの手を取ると、そこにお守りを乗せて両手でぎゅっと握った。
「あなたが無事に戻りますように」
真面目な顔で見つめるマリーに、フレッドは少々狼狽えながらも「気持ちだけ受け取っておく」と言った。
「願いを込めた魔石も入っているから、きっとよく効くわよ。三日三晩肌身離さずに持っていたんだから」
「そうなのか……うん?」
手を解放されたフレッドは、お守り袋を振ると「ずいぶんと軽いが、魔石は小さなものなのかな」と首を傾げる。
「いいえ、ロバートから貰ったいい魔石だから……あっ」
マリーが突然、ドレスの胸元に手を入れたので、フレッドは「おいっ」と思わず声をあげた。
「やだ、魔石を入れるのを忘れちゃった! ここに挟んだままだったわ」
(どこに、挟んだのだ!)
「貸して、縫い直してくるから」
フレッドの手からお守り袋をひったくると、マリーはぱたぱたと足音を立てて執務室を出て行った。
額に手を当てて呻くフレッドに、アランが「フレッドさま、よかったですね。でも、お守りの匂いをくんくんかいだら駄目ですよ」と笑った。




