第31話 乙女の決意(真っ黒)
そうしてしばらく泣いていたマリーだったが、やがて顔をあげて「泣いてもごはんは出てこないのよ」と呟いた。
泣くことは悪いことではないし、悲しければ心のままに泣けばいい。
けれど、大抵の場合それは困難を解決する方法にはならないのだと、それまでの人生の中でマリーは学んでいた。
彼女は涙を拭い、ついでに鼻をちんとかむと「こんなことくらいで挫けるもんですか!」と顔をあげた。
彼女はメンタルつよつよ女子なのだ。
「さっきの敗因は、わたしがこけて支えられた側だったことよ」
マリーは分析を始めた。
「もしもフレッドがこけた側だったなら、覆いかぶさったわたしがキスするチャンスだったわ。うふふっ、つまり、次はフレッドをこけさせて、わたしが上になっちゃえばいいのよ」
全然よくない。
分析の方向性が間違っているようだ。
だが、深く落ち込んでから勢いよく浮き上がってきたマリーの頭には、リベンジへの意欲しか残っていなかった。
彼女は間近で見たフレッドのクールで凛々しい顔(マリー限定のイメージ)を思い出し、次に少し薄い唇を思い出し……俄然燃え上がった。
あれを奪ってやろうと。
自分は彼の妻なのだから、やりたければやっていいのだと!
「そうやって、とにかくキスをしてしまえば、フレッドもわたしにドキドキするはずよ。大丈夫、わたしって可愛いもん。わたしには他には取り柄がないけれど、そこだけは評価が高いはずよ」
使えるものならなんでも使う。
貧乏生活を生き抜いてきたおかん系お姉ちゃんは、自分が可愛いと言い切る鋼の心臓もお持ちなのである。
「で、一回しちゃったら、キスをすることが当たり前になって、おはようのキスとかおやすみのキスをするのが習慣になるに違いないわ。だってわたしたちは夫婦だもん」
マリーは自分で言っておいて「きゃっ」と照れた。
そして、だいぶ美化されたフレッドが『おやすみ、マリー』とキスをして、抱きしめて、さりげなく眼帯を外して優しく彼女を見つめて、そのまま……というムフフな想像(ちなみに、シャツの胸のボタンをひとつふたつ外すところまでがマリーの限界だ)までして「うきゃあああああっ」と奇声をあげた。
マリーはメンタルつよつよ暴走系女子であった。
「なんとしてでもフレッドの唇を奪わなくちゃ。無理矢理でもかまわないから、まずはフレッドをこけさせて、押し倒して……」
青い瞳の奥を光らせて、マリーはくっくっくと淑女らしからぬ笑いを漏らした。
「やれる。わたしならやれるわ。絶対にフレッドに覆い被さってわたしに傅かせてみせる。今日の屈辱、晴らさずにおくものですか……乙女のキス待ち顔をスルーした罪を身体で償わせてみせる……」
もう、完全に真っ黒だ。
恐ろしき復讐者だ。
もしかすると、マリーは真の悪女なのかもしれない。
フレッド・クラスト辺境伯は、世界一物騒な妻を買ってしまったようだ。
「そのためには、足腰をもっと鍛えなくっちゃね。今は基礎体力作りとかいって、走り込んだり、重いものを何度も持ち上げたり、身体を伸ばしたり縮めたりっていう訓練をしているけれど、早く体術を教えてくれるように先生に頼んでみようっと。それで、どんなに辛くても、時間がかかっても、絶対にマスターしてみせるわ」
彼女は武術の教師に健康な身体作りを習っているのだ。
今後は剣術を学ぶ予定だったが、護身術のひとつとして男性の転ばせ方を習おうと、マリーは決心した。
「首を洗って……じゃなくて、唇を洗って待ってなさいよ、フレッド。あなたの唇、必ずや奪ってみせるから!」
マリーは愛の狩人になっていた。
レベッカがお茶の仕度をして戻ってくると、すっかり元気を取り戻したマリーは「体力をつけなくっちゃね」と言って、甘いお菓子やハムやきゅうりが挟まった上品なサンドウィッチを、鼻息も荒くパクパクと食べた。
「とっても美味しいわね」
「お元気なご様子、ようございました」
レベッカは『美味しくおやつを食べるマリーたん尊い』と、顔色が良くなったマリーの姿に胸を撫で下ろした。
そして。
「……なんだろう? 口の周りが妙にむずむずして、悪寒がするんだが。誰か俺に呪いでもかけたのか?」
アランは「フレッドさまを恨む者はたくさんいそうですけど、呪えるような実力者はいないですよ。そんなことをしたら、本人に倍になって返るだろうから、ご安心ください」と言って笑った。
「俺もそう思うが……」
ハンターに唇を狙われている猛禽紳士は、机の前でぶるっと身体を震わせた。
恐るべし、愛の呪い。
マリーがレベッカと王都の話などしながらお茶を楽しんでしばらく経つと、部屋にカトレアがやって来た。
「奥方さま、『旅の扉』のところにお連れするようにとフレッドさまから申しつかっております。お時間をいただけますか?」
今日のカトレアはラベンダーカラーのドレスを着ていて、長い銀の髪は後ろで編まれている。どこから見ても美しい少女だ。
『フラワーズ』というクラスト家の特殊部隊に属するカトレアこそが、男性を転がすエキスパートなのだが、残念ながらマリーはそれを知らない。
「もちろんよ。『旅の扉』ってこの屋敷の敷地内にあるんでしょう?」
「はい。クラスト家の先代が遺跡で発掘して、そのままこの屋敷について来て住み着いたので、小さな家を建てたのです」
「生き物なの?」
「魔力で動き意思を持つ存在なのですが、生き物のくくりに入れていいものかどうか……」
「ふうん。お友達になれるといいな」
のんきなマリーを見て、カトレアは『奥方さまならなれる気がする』と思った。




