第3話 売られる美少女
珍しく屋敷に戻って来たという両親に、もう机と椅子くらいしか残っていない執務室に呼び出されて、マリーは嫌な予感を感じながら廊下を歩いた。
(屋敷は空っぽで明日の食べ物もなく、使用人はすべていなくなった。最後の頼りのジェンマは無理がたたって腰を痛め、実家に戻って静養中。さあ、これ以上どんな不幸がやってくるというの?)
貴族の子女なのに空きっ腹を抱える美少女は、とっくに見放している愚かな両親から最後の銀貨数枚を隠し切ることを誓う。
(ケリーとヤリーに厚手のマントを買ってやりたいわ。寒くなっても掛け布団は増やせないし、燃やす薪も買えないわ。マントにくるまって冬をやり過ごすしかないもの)
爪に火を灯すような生活をしながら、なんとか貯めた銀貨がなければ、ケリーとヤリーが凍死してしまうのだ。マリーは恐ろしさに身震いをして、ぺこぺこのお腹を押さえて我慢した。
もう17歳の自分ならば身体も大きいので、一食抜いてもなんとか動けるのだが、まだ五歳という幼い弟と妹は食事が足りないと成長に支障が出てしまう。そのため彼女は自分の分の食事をふたりに分け与えているのである。
(ドレスをほどいた布がまだあるから、もう少し布のアクセサリーを作って市場で売ってこよう。そして、そのお金を全部使って、日持ちのする食べ物を買ってこよう。どうせお父さまとお母さまは質素なものなど口にしないでしょうからね。お金だと取り上げられてしまうけれど。今日は干し肉を食べようっと)
食事を取らずにいて自分が倒れたら弟と妹はおしまいだとわかっている彼女は、干し肉のことを考えて微笑んだ。男爵令嬢は毎日ギリギリの綱渡りをしているのだ。
彼女は執務室の扉をノックした。
「失礼します」
開けてくれる使用人はもういないので、重い木の扉を自力で開けて中に入る。
そこに並ぶ両親の表情が、予想以上に晴れやかなものだったので、マリーは思わず数歩下がって身構えた。
「ああっ、可愛いマリー!」
「さあ、こちらにいらっしゃいな。あなたにとても良いお話があるのですよ」
両親の『良い』はほとんど『最悪』だと知っているマリーは身構えた。
「お父さま、お母さま、おふたりともこの屋敷を見てなにも感じないの?」
責めるようなブルーの瞳で睨まれても、両親には通じない。
「あらあら、マリーはご機嫌斜めなのね。でも、素敵なお知らせを聞けばハッピーになるわ」
そう言って笑う母を見て、マリーは『ハッピーなのはおまえの頭ん中だけじゃボケェ!』と下町で耳にした言葉を叫びながら、頭をカチ割りたいという衝動をなんとか抑え込んだ。
彼女が本当にかち割ってしまったら幼い弟と妹はどうなるのか、よくわかっているからだ。
「不出来な使用人ばかりを雇ってしまったのが失敗だったな。恩を仇で返すような真似をするなんて、まったく許せない」
ヤウェン男爵はググッと拳を握って怒りを表しているのだが、ろくに給金を出さずに働かせたヤウェン家が悪いのだ。マリーは『お父さまって、頭がおかしいんじゃないかしら?』と首を傾げた。
(夫婦揃って頭がハッピーなのね……)
黙り込む娘に、父は「実はな、マリーは知らなかっただろうが大変だったのだよ」と打ち明け話を始めた。
「心ない人たちのせいで、ヤウェン家は巨額の借金を背負ってしまったのだよ」
「しゃ、借金ですって!」
マリーはその場で飛び上がりそうになった。
「ヤウェン領を任せていた代官が、財産を持ち逃げしてしまうし」
「もっ、持ち逃げ!?」
「この屋敷も抵当に入ってしまって」
「住むところもなくなるの!?」
マリーは『想像以上に最悪の事態になっていたわ』と震える両手を握りしめた。だが、両親は相変わらずの笑顔で続けた。
「もうこのまま王都にいられないかなと思っていたのだがね、親切な人が借金を肩代わりしてくださったんだよ」
「そうなのよ、とても立派な方がいらしてね、ヤウェン男爵家を救ってくださるの。本当によかったわねえ」
「……どういうことですの?」
マリーは、目の前に大きな黒い穴が口を開けているような、不安しかない気分で尋ねた。
「どういうことって……そういうことだが」
「ねえ、よかったわねえ」
「……本気でおっしゃってるの?」
父と母は、そこまで愚かだったのか?
マリーはふたりの顔を穴が開くほど見つめた。
マリーは、元々が素直で楽天的で無邪気な少女である。けれど、なんの見返りがなく多額の融資をする人間などいないことも知っている。
この困窮した暮らしでケリーとヤリーを育てながら生き抜くうちに、知識と経験が身についていたのだ。
「もう大丈夫だ、その方はこの屋敷を買い戻してくれた上に、新たな管理人を寄越してくれるのだ」
「この殺風景なインテリアもどうにかしてもらえるわ。前よりも素敵なお屋敷になりそうね」
「それは、ご親切なお話ですわね。で? 他にはなにか?」
すると、両親は顔を見合わせてくすくすと笑った。
「可愛いマリーにはね、特大のいいお話があるのよ。ね、あなた?」
「そうだ。親切なフレッド・クラスト辺境伯は、マリーを伴侶に迎えてくれるとおっしゃるのだよ!」
「うふふふ、びっくりした? よかったわねえ、とてもお金持ちでいらっしゃるのよ」
「遠く離れた地に輿入れすることになるが、マリーならばどこに行っても優しくしてもらえるからきっと大丈夫だ」
「幸せになってね、マリー」
とうとうマリーは、その場にへたり込んでしまった。
「それって……わたしを売ったということなの?」
「まあ、そんな風に言ってはいけません。良い縁談を申し込まれたのよ」
「仕度金の額が少々桁外れだけれどな、はっはっは」
「本当に、辺境伯ってお金持ちなのね」
マリーはしばらく、冷たい床に座り込んでいたが(絨毯は剥がされて売られてしまったのだ)やがて俯いた顔を上げた。
「ケリーとヤリーは? わたしが連れて行っても構わないのですか?」
「そんなわけないでしょう。ふたりとも、この王都にいるのよ。ケリーはこの家の跡継ぎですしね」
「我々もいるのだから、心配はいらないぞ。辺境伯に尽くして、なんなら小遣いをもらってこちらに送金してもいいな」
「鉱山が近くにあるなら、宝石なんかも送って欲しいわ。辺境の地には良い鉱山があるって耳にしているの」
両親が好き勝手なことを言っているが、マリーの頭の中には双子の心配しかなかった。
(どうしよう……ジェンマがいない今、双子だけだとごはんももらえないかもしれない。凍えてしまうかもしれない。わたしが仕度金目当てにどこぞの辺境に嫁がされるのは、どうせここよりはマシだろうから構わないけれど、あの子たちのことが心配だわ。どうしよう、誰に頼ればいいの?)
だが、男爵夫妻は青ざめた娘のことがまったく目に入らない様子で言った。
「そんなわけで、わたしたちは友人のパーティーに参加してくるからな。おまえたちは適当に過ごすがいい」
「クラスト辺境伯は、明後日には迎えに来てくださるそうよ。なんでも辺境伯には『旅の扉』をお使いになる程のお力があるんですって。素晴らしいわねえ」
「明後日? そんなに早く?」
『旅の扉』とは、縮地の扉とも言って、遠く離れたふたつの土地を繋ぐ特別な装置で、辺境の地で狩れる魔物から取れる魔石をエネルギー源にして起動するのだ。一般の貴族にはなかなか使用許可が出ない、国宝級の装置である。
「帰りは普通に馬車の旅になるそうだから、今から荷造りをしておきなさいね」
「……お父さま、クラスト辺境伯について、他になにか情報はありませんか?」
男爵夫人は「まあ、情報だなんて頭の良さそうなことを言って。マリーは可愛いのだから、小賢しいことは口にしてはいけなくてよ?」と娘に注意した。
マリーは再び、母親の頭をカチ割りたくなる衝動と戦った。
「そら、この貴族名鑑にいくらか載っている」
男爵は一冊の本を投げて寄越した。
庶民が売るのは難しい本なので、残っていたらしい。
パーティーに行くという両親に部屋を追い出されたマリーは、本を抱きしめて唇を噛んだ。




