第28話 猛禽紳士は途方に暮れる
魔導オルゴールに奏でられる音楽に合わせて、ふたりはワルツを踊る。
「いいですね。ワルツを完成させてしまえば、あとは休憩ということで踊らなくても済みますし、余裕が出てきます」
どうやらカトレアから合格が出そうだ。
「視線が合わないのが気になりますね。奥方さま、もっとフレッドさまの顔を見るように努力しましょう」
それを聞いたフレッドが、くくっと笑いながら「見たくもない面だろうが、少し我慢しろ」とマリーに言った。
「あら、そんなことはないわ。全然そんなことはないわよ、本当に。遠慮なくじろじろ見ちゃうわよ」
慌てたマリーは威勢の良いことを言ってから繋いだ右手をちらっと見て、恥ずかしそうな上目遣いで夫の顔を見た。
涼しい顔の隻眼の紳士は、少し眉を持ち上げてにやりとした。
途端に真っ赤になるマリー。
唇を引き結びながら視線を泳がして、はっとしてまたフレッドの顔を見る。
せわしなくまばたきをしてからフレッドの胸ポケットを見て、そこに彼女の手作りのポケットチーフが無造作に突っ込まれているのを見るとむふっと笑った。
そのまま、キラキラした瞳でフレッドの黒い瞳を覗きこみ、そこに笑顔のマリーが映っていることを確認すると、満足した猫のようににんまりとする。
マリーのころころ変わる表情を見て、フレッドはおかしくなる。思わずふっと笑ってしまうと、マリーはつんと唇を尖らせて、明後日の方を見た。
(変な生き物だ)
変だが、目が離せない生き物であった。
身体が温まったせいかマリーは頬が薔薇色になり、ほんの少しだけ息を弾ませている。
「疲れたのか?」
「まだまだよ。こんなもんじゃないわ」
「そうか」
ほんのわずか、マリーの重みがフレッドに預けられた。
潤んだ青い瞳が彼を見た。
「まだ、踊れるわ」
あどけない見た目なのに、妙な色気が加わっている。触れ合った場所からは熱い体温を感じる。
フレッドの胸に新しい感情が生まれた。
(……おい、こいつは十三も歳下の小娘だぞ)
だが、正式な彼の妻だ。
ということは、つまり……。
(いや、ない。ないな。こんなガキに俺が劣情を感じるはずがない)
フレッドは戸惑った。
やがて音楽が止まり、カトレアが「はい、よかったです」と声をかけた。ふたりは一瞬見つめあったが、ぱっと手を離した。
「カトレア先生、合格かしら?」
「はい、このくらい踊れれば誰にも文句は言わせないで済みそうです」
「やったわ!」
大喜びでその場で飛び上がるマリーに、フレッドは「騒がしい奴だな」といつものように文句を言う。だが、跳ねた拍子にちらりと見えてしまった足首の白さが、いつまでも視界に残った。
「ねえ、フレッド」
マリーはドキドキしながら、夫に向かい合って言った。
「わたし、これなら辺境伯夫人として振る舞えるでしょう?」
「まあな。努力しろ」
「じゃあ、わたし、ずっと辺境伯夫人でいていいのよね」
「いきなりどうした? おまえが役に立つなら、末永く辺境伯夫人の役割をこなしてもらうぞ。ここまで仕上げるのに金も時間もかかっているからな、回収しないと損をする」
レベッカとカトレアは『フレッドさま、言い方……』『ほんと、マジ酷い男……』とげんなりした表情になる。だが、恋するマリーはそのような些細なことは気にしない。
恋をしても、メンタルつよつよなのだ。
「それじゃあ、もしもよ、もしもわたしが怪我をしたり病気になったりして役に立たなくなったら、フレッドはわたしを捨てて次の奥さんを連れてくるのかしら?」
レベッカとカトレアは『マリーたん、言い方!』『奥方さまもたいがいだよな……一周回って似た者夫婦かよ』と、今度はマリーにげんなりした表情を向ける。
「なんだ、喧嘩を売っているのか?」
フレッドは大きな骨ばった手をマリーの顔に伸ばすと、小さな白い顔を潰すようにつかんだ。彼女は気の毒に、淑女らしからぬ、むにゅっとした面白い顔になってしまう。
フレッドはマリーに自分の顔を近づけて、脅かすように言った。
「そんなくそ面倒なことをやってられるか。おまえは大金を使って手に入れた俺の妻だ、どんなことになっても俺のものだし、買ったからには死ぬまで面倒を見てやろう。ふん、俺から逃げられなくて残念だったな」
大の男でも震え上がるような獰猛な顔で威嚇をされたのに、マリーはものともせずにもごもご答えた。
「……わたし、役に立つ妻になるわよ」
「いい覚悟だ」
「ね、子どもは何人欲しい?」
フレッドの動きが止まった。
レベッカとカトレアの動きも止まった。
「……………………ほざいてろ」
そう吐き捨て手を離すと、フレッドは「仕事に戻る」と一言いい、部屋を出て行った。
「フレッド……」
マリーは立ち尽くし、夫の後ろ姿を見送った。
カトレアはフレッドが彼女に手を出していないことを(アランからの情報で)知っていた。そのため「あのフレッドさまにぐいぐい行った! 奥方さま、すげえ度胸だな」と思わず素で呟いてしまった。
レベッカはレベッカで『マリーたんやばい、つよつよ、愛に生きるファイター、ラブファイターマリーたんここに爆誕!』とわけのわからないことを脳内で回しながら「奥方さま、大丈夫でございますか? 頬に痛みなどございませんか?」とむにゅっとされたほっぺたの心配をした。
「や……」
「どうなさいましたか?」
「やんもう、かっこいい……俺のものだって……役に立たなくなっても死ぬまで面倒を見てくれるとか……もう、これは愛じゃない? 夫婦愛? なんて優しい人なのかしら……どうしよう、フレッドが好きすぎて辛い……」
「は? この奥さん、頭沸いてんのかな? どこに優しい要素があるんだよ」
思わず呟くカトレアは、もう素の姿が隠せなくなっていた。
カトレアの真の姿を見てもレベッカがポーカーフェイスを保っていた頃、そしてマリーに「フレッドの優しさは妻のわたしにしか感じ取れないのかもしれないわ。これは愛なの?」と返されたカトレアが「マジ夫婦としての相性がサイコーだわ」とヤンキー風味を溢れさせていた頃、フレッドは自室に戻ってひとり悶々としていた。
「なんだよ、あのくっそ可愛い生き物は! あそこまでアホだとは思わなかったぞ! 誰が誰の子を産むんだよ、って俺の子か? はあ? あいつは子どもの作り方を知らんのか?」
だいぶ壊れているようだ。
真っ昼間だというのに、サイドボードから酒瓶を取り出してグラスに注ぎ、あおる。
そのままソファーに腰を下ろした猛禽紳士は、難しい顔で考え込んだ。
「……本人が産みたいと言ってるんだから、産ませりゃいいのか。きっとあれだ、跡継ぎを産めばクラスト辺境伯夫人としての立場が安泰になるとか、ずる賢く計算をしているに違いない。なんと言ってもあれは王都を騒がす悪女……なんだからな」
悪女。
フレッドはわかっている。それは責任から逃れようとした貴族の若者に仕組まれた汚名だということを。
実際のマリーは明るくてがんばり屋で、生き延びるために必死なだけの少女であった。
「むしろ、本物の悪女ならよかったかもしれん」
金や権力を欲しがる女だったら、ギブアンドテイクで嬉々として子どもを産み落としただろう。それなら悩むことなどなかったのだが。
フレッドの右手には、さっき潰したマリーの柔らかな頬の感触がまだ残っている。彼は純粋に、触りたかったのだ。愛らしい頬を撫でて、驚いて開いた唇に触れて、そこに自分の唇を重ねて……。
「あれは、俺の妻なんだから、かまわんだろう」
けれど彼にはできなかった、
傷つけたくなかった。
泣かせたくなかった。
あの笑顔を曇らせたくない、大切に手元に置いて、誰にも触らせないようにして、守っていたい。他愛のないおしゃべりを、小鳥が囀るように意味のない言葉を、そんなことがなぜおかしいのかと不思議になるマリーの笑い声を、ずっと聴いていたい。
「くっそ、らしくない!」
辺境の魔物たちを笑みすら浮かべながら斬り殺す、百戦錬磨の武人である猛禽紳士は今、その胸に生まれた理屈で抑えられない感情を前にして、途方に暮れていた。




