第26話 奥方さまの純情
「それでは、おふたりで組んでください。……フレッドさま、エスコートして」
カトレアは無機質な美貌で、マリーに対する態度より5℃くらい冷たく主人に言った。
「ほら」
さらに5℃、下がる。
「フレッド、お願いします!」
ちっちゃく拳を握って気合いを入れたマリーが、キラキラした瞳でフレッドを見た。
「お、おう」
レベッカが「カトレアさん、音楽はいかがいたしますか?」と、オルゴールに似た魔導具を操作しようとしたが、「始めは手拍子で、簡単なステップをさらいます。音楽はその後で」と指示されたので、壁際で待機した。
「……これでいいのか?」
フレッドは左手にマリーの小さな手を取った。そしてマリーの背中に右腕を回し、彼女の左腕を乗せた。
マリーはそれまでカトレアと一緒に踊っていたので、特に苦労せずに正しいフォームで組むことができたのだが、フレッドはカトレアよりもずっと背が高い。今日も片目を黒い眼帯で隠している彼の顔を見上げると、フレッドもマリーの顔を見ていた。
「体勢は苦しくないか?」
「大丈夫、よ」
「無理に俺の肩に手を乗せんでいい」
マリーも小柄な方ではないのだが、体型は華奢な方である。
ドレスを纏い中性的なカトレアと違って、細身ではあるものの、フレッドは明らかに『成人男性』であったので、マリーは『勝手が違うわね』と戸惑った。
「それでは、フレッドさまのリードで基本のワルツステップをお願いします」
カトレアが手拍子を叩き、そのリズムに乗ってフレッドがマリーをリードした。ダンスの経験は練習以外にはほぼないというフレッドであったが、さすがは貴族男性であって、綺麗な踊りを見せる。
(あら、フレッドはダンスが上手だわ)
ひとりで踊るよりも全然楽にリズムに乗ることができて、マリーは驚いてフレッドの顔を見た。彼はほんの少し眉を上げて見せると「よく学んだな」と言って、僅かな笑みを浮かべた。
その表情がとてもハンサムに見えてしまい、マリーはドキッとした。目を逸らして右手を見ると、マリーの白くて細い指に比べるとフレッドの指は骨が太くて長い。
(殿方の手だわ)
自分の小さな手がフレッドの手にすっぽりと埋まるように握られているのを見たマリーは、改めて、自分が男性と手を繋いで踊っているのだと認識した。
ふと、フレッドの体温を感じる。
身体が密着しているのだ。
夫婦のワルツなのだから全然おかしなことではないのだが、これまで恋人もボーイフレンドも作ったことがなかったマリーは、男性と手を繋いだことがなかった。
カトレアは女性の装いをしているし、男くささの要素がまったくないので、まったく意識しなかった。
だが、フレッドは違う。
パーツがゴツいし、手脚は長く、力もある。
喉のラインも明らかに女性と違う。
匂いも違う。ここまで近いと、男性用のコロンに混ざって日に当たった干し草のような匂いがする。なぜかマリーにはいい匂いだ。
「どうした?」
声も低い。
カトレアも声が低いが、女性のアルトの声くらいなのだ。
だが、胸の辺りでよく響くフレッドの声は、低い。女性には出せない低音だ。
マリーの中で、なにかがカチッとはまった。
(フレッドは、男の人、だわ……)
足がもつれる。
転びそうになるところを、フレッドがしっかりとホールドしてカバーした。
「奥方さま、落ち着いて。三拍目で身体を引き上げるように意識して」
カトレアが三拍子のリズムで手を叩く。
「なかなか本格的な指導だな」
「クラスト辺境伯家の沽券に関わりますので。ワルツだけでもマスターしてください。ターンして」
マリーはくるっと回された。彼女はふとめまいのようなものを感じ、目を伏せる。
「顔を上げろ。下を向くと舐められる。から元気でかまわんから、上を向いて笑っていろ。あとは俺がなんとかする」
マリーは上を向き、フレッドの顔を見た。左目には黒い眼帯。右目は闇よりも濃い漆黒の瞳。その中に、少しだけ口を開けたマリーの顔が映っていた。
また、足がもつれた。
「まさか、もう疲れたなどと言わんだろうな?」
マリーの体力がこんなものではないと知っているフレッドは、目を細めてマリーの身体を、ほんの一瞬、抱きしめて支えた。
そして、すっと身体を離す。
「大丈夫だ、思ったほど悪くない」
「奥方さま、最初は誰でもこのようなものです。お気になさらないように」
「あの、あの……」
マリーは指をもじもじさせながら、真っ赤になった。
「……ごめんなさい!」
そう、叫ぶように言うと、マリーは脱兎の如く小ホールから飛び出して、廊下を猛ダッシュすると自分の部屋へと駆け込んだ。
「え?」
残されたフレッド、カトレア、レベッカは呆然とマリーの後ろ姿を見送ってから、顔を見合わせた。
自室に戻ったマリーは、寝室に行きベッドに飛び乗ると布団の中に潜り込んで丸まった。
「どうしよう、わたし、どうしちゃったの? すごく恥ずかしくなって、フレッドの顔が見られなくなっちゃったわ……」
顔も身体もかーっと熱くなって、布団にくるまると汗が出るのだが、外の世界に戻ることはできない。
なぜなら、ものすごく、恥ずかしいから!
理由はわからないけれど、フレッドと手を繋ぎ、身体を触れ合い、顔を見つめ合い、踊っていたことを考えると、全身の血液がどくどく音を立てて巡って溢れ、鼻血が出てしまいそうなのだ。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう……」
マリーはぎゅっと目をつぶり、呪文のように唱え続ける。
(右手と左手とおなかと腰と、あの人の身体に触ってた……あああああーッ! 思い出すと恥ずかしいーッ、)
しばらくすると、レベッカが「奥方さま、どうされましたか? お身体の具合が悪くなられたのですか?」と心配しながら寝室にやって来た。
マリーは布団から顔を出し、レベッカの他には誰もいないことを確認すると、半泣きになりながら「レベッカ、助けて! わたし、どうしたらいいのかわからないの。これは病気なの? 頭がおかしくなっちゃったの?」とパニックになりながらレベッカにしがみついた。
レベッカは冷静さを保とうと努力しながら、マリーを抱き支えてベッドに腰かけた。
「大丈夫ですよ、このレベッカがお側についております。どこか痛むところがおありですか?」
「ううん、痛くはないわ」
「ご気分が悪いとかは?」
「ううん。でも、なんだかとてもドキドキするの。それに……思い出すと、すごく顔が熱くなってくるし、恥ずかしいの」
「恥ずかしい……のでございますか?」
「ええ。あのね、わたしね、男の方と手を繋いだことがないの。ダンスの練習でカトレアとは繋いだけれど、あの方は女性と区別がつかないお美しい姿をしているでしょう? それに、ダンスの先生なんだから、手を繋ぐのは当たり前だわ。なのに、フレッドと手を繋いで、一緒にダンスをしたら、今までになく距離が近くてね、そうしたらわたし、調子がおかしくなっちゃったのよ」
マリーは「フレッドのことを嫌いになったとか、そういうんじゃないのよ? 彼は親切でいい方だと思うわ」と付け加えた。
「ねえレベッカ、わたし、どうしちゃったのかしら? あの人に、さ、触ったことを思い出すと、恥ずかしくて、身体が熱くなっちゃうの! おかしいわよね? これは病気なの?」
「……」
レベッカは、あまりの『甘酸っぱさ』に軽く身震いをした。
そして、ポーカーフェイスを保ちながら、マリーに言った。
「奥方さま、病気ではございません。それはおそらく、恋でございます」
「……恋?」
「はい。フレッドさまに恋をしていて、先ほどのダンスで自覚をされたのでございましょう」
「じ、かく……こい……」
マリーは目を見開いて、しばらくレベッカの顔を見つめていたが、やがて「ぴゃっ!」と叫ぶと真っ赤になった顔を両手で覆ってしまった。
(マリーたん、なんたる尊さでございましょう! 男性に免疫がなかったマリーたんの初恋の自覚! 恋に堕ちちゃった祭り! このレベッカ、素晴らしき瞬間に居合わせたことを全世界に感謝しとうございますわ!)
レベッカはポーカーフェイスではあったが、溢れる尊さのあまり鼻の穴が膨らんでいた。




