第25話 教え上手なカトレア
自分が忠誠を誓う主人が『変な生き物』と結婚したことを知り、衝撃を受けたカトレアだったが、気を取り直して『初心者マリーにダンスの技術を仕込む』という新たな任務に取り組むことになった。
そうして、ダンスの特訓が始まって十日ほどが経った。
カトレアにとって意外だったのは、マリーに体力があったことだ。
彼女が王都で暮らしている時には時には、夜明けと同時に起きると井戸での水汲みから始まる家事を懸命にこなし、市場を歩き回って少しでもお得に買い物をしたり、新たなお金儲けのネタを探して歩き回ったりで忙しく、学園を辞めさせられてからもたいそう活発に過ごしていた。
家にいる時も、ろくに休憩もしないで手芸の腕を発揮して売り物を作成し、双子のケリーとヤリーに勉強と世の中を渡って行くための知識を教え込む。
その上、「普段から身体を鍛えて健康でいることが、節約につながるのよ」ということで、学園にいる時に騎士科の授業を覗き見て得た知識を使っての体力作りを、双子たちとの日課にもしていた。
そんなマリーだから、体幹もしっかりと鍛えられていて、ダンスのポーズを綺麗に維持することができたし、手ぶらの状態なのだから余裕がある(それまでは水の入った重い瓶を持って、日に何度も井戸と屋敷を往復していたのだ)と言って何時間でも踊ることができ、カトレアを『なんなのですか、この山猿は! ではなく、奥方さまは!』と驚かせた。
ちなみに山猿云々は、強制的に連れて行かれた『森の楽しい食べ物探し』で、するすると木に登って熟れた実を嬉しそうにもいできた、令嬢にしてはたくましすぎるマリーの姿を目にしたからである。
教える側としては、熱心に食らいついてきて上達が早い教え子は、自然に可愛く思えてしまうものである。
カトレアは教え方も工夫した。
「ステップを覚えたり、ダンスのレベルが上がったら、このカードに丸を付けます。丸の数によって、わたしが王都で買ってきた、特別に美味しいチョコレート菓子をご褒美に食べられます」という、とてもわかりやすい方法を取り入れて、凄まじいほどの効果を出していた。
カードをもらった時のマリーは、喜びのあまりその場でくるくる回って謎のダンスを踊り、カトレアに「お子さまですか」と静かに突っ込まれた。突っ込みつつも、唇は笑みの形になっていたが。
王都へのチョコレートの買い出しには、口では文句たらたらなのに明らかに妻に甘いフレッド・クラスト辺境伯(魔石の提供)と、たかが買い物なのに快くカトレアを転移してくれる面白がり屋の『旅の扉』(愚痴混じりのカトレアの話を聞いて、毎回笑い転げて喜んでいる)の協力があった。
さすがは数々の任務をそつなくこなしてきた、人の心を操る腕利きだけあって、カトレアは山猿の扱い……もとい、辺境伯夫人への教育方法を心得ていたようだ。
別に、天然物のお馬鹿さんで、ちょっと優しくされると懐いてしまう、素直で開けっぴろげでいつも笑顔で周りへの感謝を忘れない奥方さまのことを気に入っているからではないし、喜ぶ顔が見たくてついつい餌付けしてしまうからでもない……と、カトレアは思っていた。
それでも、初対面の時に「わたしの性別は女性よ」と大真面目に自己紹介したマリーを思い出すと、笑いが込み上げてきてしまうのであった。
今日も無事に一日が過ぎ、ディナーとなった。マリーは王都の男爵令嬢とは思えない根性で、体力の限界まで取り組んで、今夜ももりもりとごはんを食べてご機嫌だ。
「空腹は最高のスパイスだと言うけど、ほんっとうにごはんが美味しいわね!」
教えているカトレアもそこそこ体力を消耗しているので食が進むのだが、上品にナイフとフォークを操りながら『いくら動いたからって、成人男性のわたしより食べるって、奥方さまの腹はどうなっているんだ?』と、呆れ顔になるのをこらえながら、頷いた。
「そうですね、奥方さま。まるで吸い込むように食べる姿が……見ていて面白いです」
カトレアはうっかり、本音を出してしまう。
「おまえ、ちゃんとマナーを守りながらその速度で食うとは、まさに人外の技術だな。俺は人間の女を妻にしたつもりだったが、なにか間違っていたのか?」
フレッドは、そんなことを言って呆れたふりをしているが、健康優良印のマリーを見る瞳は優しい。
「大丈夫、わたしは人間よ。あっ、もしかして、フレッドはほっそりした女性がタイプだったりするのかしら? よく食べる奥さんは好みじゃないの?」
フレッドは鼻の頭に皺を寄せて、「そんなことはないから、気にするな」と言った。
「太り過ぎて不健康になり、ろくに動けないような身体はいただけないが、筋肉がしっかりとついた体力のある身体が美しいと思う。特にここのような辺境の地では、元気で健康であることがなにより大切だからな」
「元気と健康は、わたしも一番大事なことだと思うわ! フレッドと同じ意見でよかった。それじゃあ、お代わりしてもいい?」
「腹を壊すなよ」
「ええ、大丈夫! 新鮮な食材で作った素晴らしいお料理だから、絶対におなかを壊さない自信があるのよ。王都にいた時には、ちょっと傷んだものも食べないと生きていけなかったけど、ひどくおなかを壊すことはなかったしね。わたしはとても丈夫なのよ」
マリーの言葉を聞いて、フレッドとカトレアは瞳に少し悲しそうな色を浮かべた。
普段から、あまり感情を面に出さないふたりであったが、マリーが以前辛い生活をしていた話を聞くと、なぜか胸が痛むのだ。
マリーとしては、丈夫なおなかを自慢したい軽い気持ちで話しているのだが、たまたま料理を運んできた厨房の者や、側に控えているレベッカも、そっと目を伏せる。
「このお屋敷で出てくるお料理は、本当に美味しいわね。わたし、フレッドと結婚できて本当によかったわ」
「……そうか。なら、これからも精進するように料理人たちに報奨でも出してやるか」
そんなご褒美がなくても、我々は未来永劫、奥方さまのために全力で料理を作らせていただきますが!
部屋を辞しながら、目を潤ませた厨房の者は心に誓った。
「奥方さま。まずまずの腕前になりましたので、本日はフレッドさまと合わせて踊っていただきます」
いつもはドレス姿のカトレアが男性役をして踊っているのだが、本番に備えて夫婦で踊る練習も始めることになった。
「まあ、ちゃんと踊れるかしら? カトレアなら足を踏みそうになっても避けてくれるからいいけれど、フレッドはあまりダンスに慣れていないんでしょう? 踏んづけちゃったら悪いわ」
「ご心配は無用でございますよ。フレッドさまは武芸にも秀でていらっしゃいますから、避けるくらいのことは問題なくこなされるでしょう」
「それを聞いて安心したわ」
マリーがひと通りのステップをおさらいすると、レベッカが執務室にフレッドを呼んできてくれた。
不機嫌そうな猛禽紳士は「そこそこ踊れるようになったらしいが、王都で舐められないためにはもっと訓練する必要があるだろう。俺はそれからでいいんじゃないか?」とぶちぶち文句を言いながらやって来た。
「ペアで踊ることで上達が早くなります」
こちらもぶっきらぼうに返す。カトレアは、フレッドが相手だと少し素の自分が出るようだ。
「まあいい。面倒だからとっとと終わらせろ」
彼は照れもあってこんなことを言っているのだが、マリーは「ごめんなさい」としょんぼりしてしまった。
「お仕事で忙しいのに、迷惑をかけているわよね」
フレッドが『しまった』という顔をしたが、マリーの側に控えているレベッカが彼を凍らせるような視線で貫いた。
「奥方さまがクラスト辺境伯家の体面のために努力なさっているのですから、辺境伯本人はそれ以上の努力をするのが筋でございます。ですから、奥方さまに感謝こそすれ、不満を露わにするのは由々しき行動に存じます。もちろん、旦那さまはそのような愚かで考えなしのアホンダラではございませんので、先ほどの発言はまったくの言葉のあやであり、奥方さまが気にする必要は皆無でございましょう……?」
最後に、熱波動衝撃弾のようなモノが飛んできたのを感じたフレッドは「もっ、もちろんだ! 俺はマリーに不満など感じていないし、今現在、クラスト家にとって、ダンスの調整は最優先の仕事だと考えているからな!」と素早く応えた。
マリーは「そうなのね。ちょっと勘違いしちゃったみたい」と笑顔になった。




