第23話 カトレアの帰還
この世界には魔獣のように、魔力をエネルギーにして存在するものがいる。『旅の扉』と呼ばれているものもそうだ。クラスト領にもこれがある。
古代の遺跡から発掘された『旅の扉』は辺境の各地と王都を結んでいて、これを使うと、準備さえ整えば二点間を容易に行き来できる。
この不思議な『扉』には意志があり、気に入った人物、例えばフレッド・クラスト辺境伯であれば少量の魔石を収めれば使うことが可能であったが、人によってはバケツに数杯の大量の魔石が要求されたり、あるいは使用不可能となる。
フレッドの元で働くカトレアは『扉』のお気に入りだったので、カップ一杯の魔石で移動することができた。
門番に許可証を見せて王宮の敷地の外れにある石造りの建物に入り、地下へと階段を降りると、薄暗い部屋に扉がある。ほのかに青と緑の光を放つ、宙に浮かぶ縦横三メートルほどの立方体のクラゲのような『旅の扉』は、カトレアの気配を感じると、その表面に若い女性の形をレリーフのように作り出した。
にゅるりと現れた半透明の女性は、スレンダーな紫色のドレスに身を包み、旅行用のボストンバッグを持った、長い銀髪の佳人に向かって微笑んだ。
『いらっしゃい、カトレアちゃん。今日も可愛いわねえ』
「ありがとう、扉。あなたも美しい色合いでいつもながらとても魅力的だ。フレッドさまが結婚したらしいけど、扉は奥方さまに会った?」
『いいえ、まだ紹介されていないのよぅ。フレッドはその子の人柄を見極めてから、扉に会わせるかどうかを決めるって言ってたわ。なんでもとても若くて、悪い噂のある子なんですって?』
「そんなことを言ってたのか……むしろ扉の目に叶う人物かどうか、先に扉に会わせて見極めさせればいいのにね。王都からクラスト領は馬車で行くには遠すぎる。扉は有能だ、とても助かるよ」
『んもう、カトレアちゃんは言うことも可愛いんだから! カトレアちゃんがフレッドの奥さんになればいいのに』
「わたしではフレッドさまの子どもを産めないんだよ」
『あー、結婚は繁殖も目的のひとつなのね。人間って面倒だわ』
「そうだね」
カトレアはゼリーのような扉の手のひらに、ひとつずつ魔石を乗せた。それは扉の中に深く沈み込んで行った。
『これくらいでいいわ。フレッドに、早く奥さんに会わせてって伝えてね。もしかすると、気にいるかもしれない』
「そうだね。お友達になれるといいね」
扉はふるふると身体を震わせると『わたしと友達になれるほど、肝の据わった人間はなかなかいないのよぅ』と笑った。
「わたしは扉が好きだよ」
『うふふ、ありがとうね、可愛いカトレアちゃん』
さあいらっしゃい、と手を伸ばす半透明の女性に誘われたカトレアは、恐れることなくゼリーのような不思議な物体の中へと足を進めた。
『着いたわよぉ』
クラスト家の敷地内に作られた『旅の扉』のための小さな建物の中に、カトレアは瞬間移動した。
「ありがとう、扉。またね」
『ええ、またね、カトレアちゃん』
そう言うと、謎の立方体は身体をふるふると震わせた。
ボストンバッグを片手に、カトレアは建物を出てクラスト家の屋敷へと向かった。
玄関を開けると、すでにロバートが待ち構えていた。執事も暗躍する影も、彼らのような仕事をする者にとっては、時間通りに行動することが大切なのである。
「お帰り、カトレア」
「ただ今戻りました」
カトレアからすると、ロバートは自分の上司の夫に当たる。彼の愛妻のサイネリアは、クラスト辺境伯家の忠実な影である『フラワーズ』の頂点に立つ、非常に有能な女性なのである。
「これ、サイネリアから預かってます」
カトレアはさりげなく、ロバートに手紙を渡した。
おしどり夫婦であるロバートとサイネリアは、もちろん常から手紙のやり取りをしているが、カトレアは妻からの速達を配達してくれたようだ。
「あと、バッグに入ったお酒の瓶、あとで届けます」
「ありがとう、カトレア」
一瞬だけ笑顔になると、ロバートは表情を引き締めて「旦那さまがお待ちですよ」と執務室へと案内した。
「ご苦労だったな、カトレア。よい仕事をしたと聞いている」
カトレアは軽く頭を下げた。
「詐欺まがいのことをやって懐を肥やしている奴らから、奪えるものは根こそぎ奪ってきました。ところでフレッドさま、わたしを奥方さまのダンスの教師にすえるっていう話はなんですか?」
「国王がなあ、余計なことを考えやがって……」
「フレッドさま」
ロバートに不敬を叱られたフレッドは、ひとつ肩をすくめると「三ヶ月後に王都で結婚披露宴が催されることになった。強制的に、な。そこで俺とマリーが踊らねば周りの奴らに舐められるらしい。アランによると、剣を使ってはならない戦いなのだそうだ」と説明する。
「非常に面倒だが、断ったらもっとまずいことになるそうだ、アランによると、な」
「斬り捨てるだけが勝ちではありませんからね」
「おまえまでそう言うか。俺は貴族社会の派閥だとか、パワーバランスとかなんとかに関わりたくないんだが」
フレッドは鼻にシワを寄せて「魔物と戦っている方が気楽でいい。躊躇いなく殺せるからな」と恐ろしいことを言った。
「マリーは諸事情により、ダンスのレッスンを受けてこなかった。披露宴までに舐められないレベルまであげろ。おまえならできるだろう。というか、やれ」
「……わたしでいいんですか?」
「駄目な理由はない」
カトレアはさらに「奥方さまに『フラワーズ』の存在は知らせてありますか?」と尋ねた。
「まだ言っていないが知られてもかまわん。あれは辺境伯夫人なのだからな、いずれは『フラワーズ』を使う側にならねば」
カトレアは『ほほう』という表情になった。
「悪女だからお飾りにするという話は、変更があったんですね」
「そうだ。というか、どうやら俺はアランにハメられたようだ。なにが『いい悪女を見つけましたよー』だ。あいつ、妙ににやにやしやがって腹が立つんだが。ロバート、息子への教育が行き届いていないぞ」
執事は「申し訳ございません」と頭を下げはしたが、内心では『マリーさまを見つけたのはアランの大きな手柄だな。褒め称えられて然るべきだ』と考えていた。
(あの方は王都向きの女性ではないが、辺境の地には最適なお方だ……主に、精神面で。フレッドさまとの相性も良さそうだし、これは絶対に無理だと思われた跡継ぎも望めるかもしれない)
マリーはいつの間にか、重い期待を背負っていたようだ。
「承知いたしました。フレッドさま、踊りながら、ぶつかってくる奴を転ばせる方法とか、ナイフで襲いかかってくる奴への迎撃及び無力化の方法とか、そういうのも仕込みますか?」
「そこまでやらんでいい。あれをフラワーズに入れるつもりか? ある意味、絶対に、とんでもないことを引き起こすことになるぞ」
カトレアは『えっ、そっち? マリーという女はいったいどんな奴なんだ?』と辺境伯夫人に疑いを持った。
「王都には、『旅の扉』を使うんですよね。早めに扉に引き合わせておくことをお勧めします。扉も奥方さまに会いたがっていましたよ」
マリーへの警戒心を持つカトレアは『フレッドさまがたぶらかされている可能性がある。扉に化けの皮を剥いでもらおう』と考えていた。




