第22話 フレッドの妻は?
すべての手配が済んでから、フレッド・クラスト辺境伯は思い出した。
「あ……まだマリーに知らせていなかったな」
「はあ?」
アランが「ちょっ、実は俺にしばかれたいんですか? アホか! って後頭部を殴っていいんですか?」と拳を握ったので、フレッドは「少々手順が狂ったくらいで狼狽えるな、みっともない」と、まるでアランが悪いような言い方をしてごまかした。
「今すぐマリーを呼んで来い」
ロバートにそう命じると、フレッドの行動を少し離れたところから見守っている執事は「承知いたしました」と部屋を出た。
(奥方さまに関することとなると、フレッドさまは普段の調子を崩すようだ。これは女性として意識をされていると考えてよいのだろうか?)
ロバートは年齢を重ねているので、人の良し悪しを見抜く目も培われている。そんなロバートに、マリーはフレッドの妻として好ましい女性だと思われていた。
無邪気で心優しく、とても愛らしい十七の娘であるマリーは、苦労して生きてきた過去を持つがゆえに、しなやかで強靭な精神も持ち合わせている。国の要である辺境の地を武力で守るフレッドの妻は、メンタルが強い令嬢でなければ務まらない。
マリーは知識もマナーも令嬢教育もなっていないのだが、幸いなことにこの辺境の地で一番必要なものは持ち合わせているのだ。
(なんだかんだ言っても、フレッドさまは強運なお方だ。そして、人を惹きつける強い魅力がある。強すぎるのか貴族の令嬢には敬遠されていたが……だが、マリーさまは、わたしの勘だが、フレッドさまよりも強いなにかをお持ちだと感じられるのだ)
さて、そのマリーであるが、すでにレベッカによって国王陛下主催の結婚披露宴について聞いていた。
「王都で? 披露の宴を? どうしてそんなすごいことになったの?」
「ご説明申し上げます。フレッドさまのご両親は現国王陛下の兄君になります。つまり、フレッドさまは国王陛下の甥ごさまに当たるわけでございます。ガスラクト国の重鎮であり、甥であるフレッドさまのために、陛下がお祝いの気持ちで宴を催してくださるのでございます」
「フレッドのお父さまが、国王陛下のお兄さまですって? 知らなかったわ」
両親に借金返済の条件としてほぼ売られてきたマリーは、結婚する相手がどのような人物なのかわかっていなかったし、フレッドと顔を合わせてからは『あら、親切でいい人だわ』と好意を持ってしまい、それ以外のことは気にしなくなっていた。ある意味、図太い女性なのである。
「ということは、お義父さまの弟さんが即位したってことなのね」
「諸事情で、次男でいらっしゃる方が国王となったわけでございますが、もちろん、兄弟仲がお悪いなどということはございませんので、どうぞ安心なさってくださいませ」
「ふうん。そうなのね。わかったわ」
夫が王家の血筋で義父が王兄であったというとんでもない情報であるはずなのに、『ふうん』の一言で飲み込んでしまうあたりがマリーのメンタルの強さであろう。
「でも、どうしましょう? わたし、王都にいた時にも、そのような華やかな場所に行ったことがないのよ。社交界へのデビューも、夜会への参加もしていなくて……」
マリーは「マナーの先生に、そのような場での振る舞いは座学で教えていただいたけれど、実技がまさかの自分の結婚披露宴だなんてね」と、面白そうな顔をした。
「自分の披露宴なんだもん、ちょっとくらい失敗しても多目に見てもらえるわよね」
「そうでございますわね」
レベッカは『マリーたんはかわゆいから、なにしてもオッケー! 文句を言う垂れる奴がいたらわたしが処す!』と心の中で思いながら、にこやかに言った。
「わたしもお側で拝見しておりますが、かなりしっかりと身につけておいでだと存じます。貴族の名前と身分も、すでに学んでいらっしゃいますでしょう?」
「ええ、王都にいた時に聞いた名前が多かったから、すぐに覚えられたわ。学園にいた時はそういう噂話や家の評判について話している学生がたくさんいたから、耳にしていたの」
マリーとしては『貴族の社会に、なにか儲け話は転がっていないかしら?』と、ありとあらゆる情報を集めまくっていたのだが、それが今、役に立っているようだ。
「ドレスやアクセサリー、小物の手配も心配ございません」
「お姉さまも一緒に考えてくれる? あっ」
マリーは両手で口を押さえて「うっかりレベッカのことをお姉さまって言っちゃったわ」と、恥ずかしそうに笑った。
「頼りになるから、お姉さまみたいだなって考えて間違えちゃったの。失礼なことを言ってごめんなさいね」
先生をお母さんと呼んでしまうような恥ずかしい間違いをしてしまい、マリーの頬も赤くなっているが、レベッカの方こそ耳まで真っ赤になっていた。
だが、まったくのポーカーフェイスだ。
真っ赤だが、ポーカーフェイスだ。
「メイドという立場上クラスト家の奥方さまにそのようにおっしゃられると困るのですがお心の中でそのように頼って頂くことはやぶさかではございません! ええ、どうぞ、お気になさらずに」
ものすごい早口でそう言うと、レベッカは「そろそろお茶の時間でございます。支度をして参ります」と告げて部屋を出た。
そして、しばらく廊下を進んでから、絨毯に沈み込んで顔を崩させ、ぐふぐふと怪しく笑った。
「お姉さまって! お姉さまって呼んでくれた! ああ、なんて尊いのかしら! マリーたん好きすぎる可愛すぎる尊すぎるお姉さまってお姉さまってお姉さまってお姉さまって」
エンドレスモードに突入しかけたレベッカを、メラニーが発見した。そして、早く立ち直らないとお茶の支度はメラニーが引き受けることになると脅して、なんとか『有能なメイド頭』モードに戻したのであった。
だが、お茶の前にロバートがやって来たので、マリーはフレッドの執務室に向かった。
「ねえロバート、フレッドの用事は結婚披露宴のことかしら?」
とことこと歩きながら、マリーは屈託なくロバートに尋ねた。
「すでにご存じでしたか」
「ええ、レベッカが教えてくれたの。フレッドは王様の甥っ子だったのよ、知ってた?」
「存じておりますよ」
元々は王家に仕えていたロバートは、『王様の甥っ子』という言葉に笑みを浮かべた。
「披露宴を開いてくれるなんて、可愛がられているのね」
「可愛い……のでしょうかねえ……」
「フレッドって、可愛らしい方じゃない?」
今度こそ、ロバートは笑ってしまった。
「あの方を可愛いとおっしゃるとは、さすがは奥方さまでございますね」
「そう? 夫が可愛く見えちゃうのって『妻の贔屓目』ってことなのかしら」
「つっ」
目つきの悪い猛禽紳士がマリーに頭撫で撫でされているところを想像してしまったロバートは、爪が手のひらに食い込むほどに握りしめて吹き出すのを我慢した。
「そっ、そうかも、しれませんね」
これ以上言われたら、腹筋への負荷が大きすぎて崩壊する、と思いながら、爆笑するのをなんとかこらえ、ロバートは執務室をノックした。
部屋にはフレッドだけだった。
書類を片づけながら、彼は言った。
「マリー、王都で三ヶ月後に披露宴がある。準備はレベッカに任せろ。ダンスの教師は手配したので、数日後に到着するだろう。なにか質問は?」
ロバートの楽しい気持ちは吹っ飛び、主人の前で大きなため息をつきそうになってしまった。だが、事務的なフレッドの態度にもマリーはまったく動じなかった。
「質問ね……そんなに大っぴらな披露宴をしてしまって大丈夫なのかしら?」
「どういう意味だ?」
「わたしはお飾りの妻だから、いつ解雇されるかわからないでしょ」
「解雇って……おまえは……」
「フレッドの本当の奥さんが、いつ現れるかわからないじゃないの。王都で披露宴しました、やっぱり別れました、新しい奥さんと結婚しました、なんてことになったら、外聞が良くないわ」
「いや待て。その、おまえはそれでいいのか?」
「いいもなにも、そういう条件でわたしと結婚したんでしょう? たくさんお勉強させてくれるのも、今のわたしは若くて見映えがするけれど、これからどんどん容姿が衰えるから、知識や技能をなるべく身につけて離縁されてもお金を稼いで暮らしていけるようにってことよね」
フレッドは手で顔を覆って呻き声を上げてしまった。
そんなフレッドを、ロバートが氷点下の視線で見つめる。
(フレッドさま、それはいくらなんでも鬼畜過ぎますぞ!)
「マリーよ……俺はそんなに、酷い男に思えるか?」
「なにを言ってるのよ、借金のかたに結婚したわたしの将来のことまで気にかけてくれるなんて、フレッドはとても親切で優しい殿方だわ。わたし、フレッドと結婚できて良かったと本気で思っているの。だからこそ、不要になった時にあなたに迷惑をかけたくないのよ」
心からそう言って感謝の光を瞳にたたえるマリーを見たフレッドは、もうひとつ呻くと机に突っ伏してしまったのであった。
しばらくそのままで呼吸を整えてから、フレッドは顔を上げた。
「俺たちには誤解があるようだな」
「そうかしら?」
マリーはきょとんとした。
「ないと思うけど」
「あるのだ! その、だな。『お飾りの妻』とか『本当の奥さん』などという話は忘れろ」
「でも、あなたが言ったのよ?」
「忘れろ! いや、訂正する! その話はなかった、いいな? そして、おまえは辺境伯夫人として、ここでずっと暮らしてかまわん」
「ここに? まさか、愛人を……」
マリーは両手で口元を覆って「まあ! ドロドロしたお話になりそうね」と言った。ロバートは「鬼畜ですね」と今度は声に出した。
「やめろ、俺は愛人を囲うつもりはないから、まったくドロドロしない。鬼畜でもない。もっと簡単に考えてくれ。マリーは俺の妻で辺境伯夫人なのだから、その生き方で努力しろ」
「あら、でも……」
マリーが不思議そうな顔でフレッドを見た。
「なんだ?」
「それだと、あなたはわたしの本当の夫になりたいみたいだわ。フレッドはわたしのことをどう思っているの? 好きなの?」
「すっ、すっ、す?」
突然のストレートボール、しかも豪速球を投げられて、空中から撃ち落とされた猛禽は顔を真っ赤にすると、再び机に突っ伏した。




