第19話 マリーへの手紙
「マリー、実家から手紙が届いているぞ」
朝食の席で、フレッド・クラスト辺境伯は家令のロバートに妻のマリー宛ての封書を二通渡した。
「嬉しいわ。ありがとう、フレッド」
手紙を受け取ったマリーが夫を見つめてお礼を言うと、彼は「いや、別に、俺が書いたわけではないのだから礼はいらない」などともごもご言いながら目を逸らした。
どう見ても態度が悪いフレッドのことを、親切で優しい(そしてちょっぴりハンサムな)夫であると勘違い……いや、純粋な心で彼の真の姿を見抜いているマリーは、そんな彼の振る舞いを見て楽しそうに笑った。
「うふふ、当たり前じゃない、フレッドったら相変わらず面白い人ね。でも、そういうところが親しみやすくて好きよ。王都からのお手紙なんでしょう? 持ってきてくれてありがとうって言う意味に決まっているわ。そうだ、別にあなたがわたしにお手紙をくださってもいいのよ……じゃなくって、よろしくってよ?」
マリーは、最近屋敷にやってくるマナーの教師に習ったような上品な言葉遣いに変えて、ついでににっこりと笑ってみせた。
フレッドは唇をむうと尖らせた。
(だからっ、おまえはっ、どうしてそう好きなどと軽々しく言うのだ! ……いや、別に俺は勘違いなどしないのだが?)
不機嫌そうな表情だが、耳が赤くなっている。
だが、マリーはそんな夫の様子を華麗にスルーして、今朝はどんな美味しいものが出てくるのだろうかとそちらに気を向けていた。
クラスト辺境伯は辺境を守るとても強い男性なのだけれど、常に仏頂面で目つきが悪く恐ろしくて鷲のようなイメージであるため、女性にモテない。
マリーによると『もう少しお肉がつくと、間違いなくハンサムに見える整ったお顔なんだけど、それは妻であるわたしが知っていればいいわ』となるらしいのだが、幸か不幸かそう考えているのは彼女だけである。
ちなみにフレッドは、マリー宛に来た手紙をあらかじめ開封して中身を調べている。
両親であるヤウェン男爵夫妻がろくでもない人物であると知っているので、「マリーをそそのかすような悪巧みをしていたらいかんからな」と説明しているのだが、側近のアランも家令のロバートも、本当はフレッドが『心ない両親の手紙を読んで、マリーが傷ついてはいけない』と考えているのだとわかっていた。
「お父さまとお母さまからのお手紙は、いつものように愚痴とかお金の無心だったのかしら?」
「そうだな」
「じゃあ、フレッドが焼いておいてちょうだい」
読む価値がない手紙を読んで、嫌な気分になることはないと判断したマリーは、夫に丸投げすることにして、ロバートに両親からの手紙を渡した。
「もう一通は双子からだ」
「わあ、ありがとう!」
マリーは喜んで手紙を胸に抱きしめた。
「ケリーとヤリーからの手紙は、本当に可愛くて楽しいでしょ? 世話役のエルクとダーナに美味しいものをたくさん食べさせてもらったり、お勉強させてもらったり、時にはお芝居や音楽会にも連れて行ってもらって、素敵な時間を過ごしているらしいの。読んでいるわたしも楽しくなるわ」
「あのふたりは仕事をきちんとこなす人物だからな」
実は、幼い双子たちの手紙を読んだフレッドも、手紙の内容をかなり可愛く思っているのである。
「フレッドからも、エルクとダーナによくお礼を伝えておいてちょうだいな」
「先日も手紙に書いた」
「それはそれ、これはこれよ。双子がすくすく育っているのも、エルクとダーナがよく面倒を見てくれるからなのよ、それはきちんとお礼を言っておきたいの」
「……ああ、わかった」
「ありがとうフレッド、助かるわ! それから……」
わたしは夫に向けて、ウインクをした。
「あなたからのお手紙も、楽しみに待ってるわね。お返事を書くから、きっとちょうだいね?」
「俺がおまえに手紙を、だと? ……そ、それは……そんなに、欲しい、のか」
マリーが笑顔で頷くと、冷たい夫を装っているが、最近かなり絆されてきているフレッドはそっぽを向きながら「善処、する」と小さく呟いた。
その夜の、フレッドの私室では。
「おい、ロバート! 妻への手紙には、いったい何を書けばいいのか教えろ」
「いや、旦那さまがお考えになっていることを、そのまま書けばよろしいかと……」
「自分でも何を考えているかわからなくて困っているから、おまえに聞いているんだ」
「はあ?」
猛禽に睨まれた家令のロバートは、呆れたように口を開けた。
「ご自身のお気持ちがわからないのですか? それはいくらなんでも……」
ヘタレ過ぎやしませんか? という言葉は口にしないでおく、分別のある家令である。
「……そうだ、お前が代筆すれば……」
「ラブレターの代筆なんて、ごめん被りますな!」
さすがのロバートも、思わずふんっと息を荒くした。
「なっ、ラブレター、だとぉっ⁉︎」
家令は、残念な子を見る瞳で主人を見た。
「夫が妻に送る手紙は、ラブレターだと相場が決まっております」
「もしや、ロバートも書いたことがあるのか?」
「もちろんでございますよ。わたしは妻を愛しておりますゆえ」
「……あれは、都合がいいから迎えた妻だから……俺は、全然、愛していないのだが?」
「それは本心でございますか?」
「あっ、当たり前だ! あいつはまだ十七の尻に卵の殻が付いたような子どもだぞ! 教育も行き届いていない未熟な女だし、男のこともよくわかっていないのだ。妻とは名ばかりの存在だと以前にも言っただろうが」
「家庭教師たちがやってきてから、たいそう意欲的に学んでいらっしゃるそうですね。辺境伯夫人にふさわしいマナーや知識、振る舞いを身につける日も近いかと存じますが」
ロバートは「音楽がお好きのようですよ。ライアー(小型のハープ)に興味をお持ちだと、メイド頭のレベッカから報告を受けております」と言い添えた。
「それは……あれが努力していることは認める。だが」
「悪女という評判の女性だったから、フレッドさまはお気に召さないと? 奥方さまがこの屋敷にいらしてから数週間が過ぎましたが、その為人を拝見して、そのような話は戯言だということがわかりましたよね?」
「それは、あんな間抜けな悪女はいないと、俺も思うが……」
「マリーさまを間抜けだと評する者こそが間抜けでしょう。ましてやフレッドさまは、あの方を娶った男で一番の味方であり理解者であるべき存在。そのような侮辱的な物言いを、聞き流すことはできかねます!」
物静かであるが、ここぞという時には恐ろしいロバートに雷を落とされて、フレッドは「……今のは失言だ。訂正する」と白旗をあげた。
「では、誠心誠意を込めて、ご自身の力で奥方さまへのお手紙をお書きくださいね。今すぐに」
笑顔で圧をかけてくる家令に「……わかった」としか言えない猛禽紳士であった。
翌朝、朝食の席で、家令のロバートがマリーに一通の手紙を渡した。几帳面な文字で『マリーへ』と書かれた手紙を見てマリーは「フレッド! ありがとう、とっても嬉しいわ」と大喜びした。
「たいしたものではない。自室に下がってから読むのだ。わかったな?」
「はい」
この朝のマリーは、夫からもらった素敵なプレゼントに気もそぞろであった。
部屋に戻ると、ペーパーナイフを使って丁寧に封を開ける。
『マリーへ 日々の勉強をよくがんばっていると聞いている。偉いぞ。学ぶのは人として大切なことだからな。王都の双子たちに誇れる人物になれ。ライアーに興味があるらしいと聞いた。褒美に買ってやろう。』
手紙の最後には、『俺は『夜明けの森の歌』という曲が好きだ。子どもの頃に母が歌ってくれた歌で、クラスト領に昔からある。』と小さく書き添えてあった。
「フレッドに褒められたわ」
マリーは頬を染めて、嬉しそうに手紙の文字をなぞった。
「ライアーをプレゼントしてくださるのね。わたし、『夜明けの森の歌』を覚えるわ」
彼女は文机に向かうと、夫への返事を書き始めたのだった。




