第18話 無自覚な天使と堕ちる人々
「奥方さま、お茶のご用意をさせていただきます」
「ありがとう、メラニー」
レベッカに「メイド頭の仕事をこなせない者が、奥方さま付きに抜擢されるわけないじゃないの」と言って危機感を煽り、しっかりと管理業務をさせているので、本日の奥方さまのお茶はメラニーが淹れることとなっていた。
本来ならば女主人の身の回りの世話は貴族の子女が務める侍女の仕事であるが、今までこの屋敷には貴婦人がいなかったせいで、侍女がひとりもいない。
まあ、のんびりした田舎暮らしであるし、社交もほぼないので、この辺りの貴族家にはメイドが侍女を兼任しているところも多い。
メイドも、レベッカやメラニーのような上級の者は貴族家出身の令嬢だ。辺境伯家に仕えていたという経歴は、女性としてかなり箔がつくので、この家での仕事は人気がある。
「メラニー、わたしも一緒に淹れてもいい?」
「もちろんでございます」
この奥方さまは王都では有名な悪女ということで、それを知った使用人たちは身構えていたのだが、いざ会ってみたら、まだ少女めいた快活な女の子であった。
しかも彼女は『両親の保育能力及び経済的に問題があった』貴族家で育ったせいで、令嬢であれば当然と言える教育を受けることができずにいて、そのせいで誤解を生む振る舞いをしてしまったり、人との距離の取り方が適切でなかったり、といった点で、再教育が必要である、とフレッド・クラスト辺境伯より申し渡されている。
特にレベッカやメラニーのような貴族家の娘は、できる限りマリーを助けるようにと、フレッドの側近のアランから頼まれていた。
「もちろんでございますわ! このわたし、メイド頭のレベッカが、あらゆる面で奥方さまをお助けし、健やかで幸福なお嬢さま時代をやり直せるように、粉骨砕身の思いで尽力申し上げる所存でございます!」と鼻息を荒くするレベッカをはじめとし、マリーの生い立ちと今までの暮らしに深く同情した心優しいクラスト辺境伯家の使用人たちは皆、マリーを温かく見守ることを決意した。
「マリーさま、お上手になられましたね」
メイドたちに習いながら毎日お茶を淹れているマリーは、手先が器用で観察力もあったせいか、上達が早かった。
彼女は少しずつ『可愛いけれどなにもできないマリー』から脱却しつつある。
「ありがとう、メラニー。あなたたちがいつも優しく教えてくれるからよ」
首を傾げてにっこり笑うあどけないマリーは、金色に輝く髪に鮮やかなブルーの瞳をしているせいもあって、天使を模したお人形のように美しい。
メラニーも思わず微笑んだ。
いつもは奥方さまを好き過ぎるメイド頭をからかっているメラニーだが、もちろんこの素直で愛らしい奥方さまのことが大好きだし、こんなにも可愛らしい妻を娶ることができたクラスト辺境伯を『さすがは素晴らしいご主人さまだけある、きっと天から神さまがご覧になって幸運を授けてくれたに違いない』くらいのことを真剣に考えているのである。
自分で上手に淹れることができたお茶と、屋敷の料理人が作ってくれた可愛らしいケーキやゼリー菓子を食べたマリーは、ご機嫌である。
とてもわかりやすいご機嫌加減に、品のいい微笑みを浮かべてメイドとしてのポーカーフェイスを保っていたメラニーは『奥方さま、美味しいのね。ケーキを食べるお口がもきもき動く様子が愛らしいわ。可愛いものが大好きな奥方さまのために、料理人が全力を込めて作ったおやつだから、ビジュアル的にも素晴らしく愛らしいわ!』と密かに悶えて、顔面の制御が甘くなりそうだ。
そして、その後が問題であった。
「メラニー、これをあなたのために作ったの。受け取ってくれる?」
ちっちゃな手に乗っているのは、ちくちくと縫い上げた花の髪飾りだった。ビーズが輝く手作りの髪飾りを、マリーに頭に飾ってもらったメラニーは、落ち着いて「奥方さま、ありがとうございます。大変嬉しく存じますわ。奥方さまの心が込められたこちらの品を、大切にさせていただきます」と礼を言った。
そして、マリーの部屋を辞した。
部屋から離れた場所で、床にうずくまって「マリーさまが可愛い、まさかわたしの分まで作ってくれたなんて、もう、尊過ぎて死ぬ!」と悶えるメラニーの姿が目撃されて「いつも落ち着いたあのメイドになにがあったのだろう?」と皆は不思議がった。
それから数日間、メイドたちがことごとく頭に花をつけてもらってはのたうち回る、というある意味異常な事態となった。
さらにその後。
「クラスト辺境伯にお使えする身でありながら、そのような見苦しい姿を晒すとは……皆、精神力が足りていないぞ!」とメイドたちに喝を飛ばしていた家令のロバートが「ま、まさか、わたしにまで刺繍入りのポケットチーフを、作ってくださっていたとは……くはっ!」と廊下に倒れているところを発見された。
彼の胸には、ビーズの飾りがついた淡い水色のポケットチーフが入れられていて、意識を取り戻したロバートによるとマリーが直々にポケットに差し込んだとのことだった。
さらにさらにその後。
フレッドが、拗ねていた。
メイドにも使用人にも、マリーの手作りの小物が手渡されたと知り、拗ねていた。
「だいたい、針箱を買ってやったのはこのわたしだぞ? いや、別に、なにか欲しいと言うわけではないが、このわたしを差し置いて他の者に手作りのものを配るというのは、少々問題なのではと……ロバート、なにがおかしい?」
「いいえ、なにもおかしいことはございませんが」
その胸にはマリーの手作りのポケットチーフがあった。
家令のロバートにまで小物が贈られているのに、どうして自分にはないのだと、フレッドは激しく拗ねた。
「……そんな、いかにも手作りのポケットチーフを業務中に使うな」
「あげませんよ?」
「だっ、誰が、欲しいなどと! 辺境伯家の者にふさわしいもっと上品なものを使えと言っているだけだ!」
フレッドはめちゃめちゃ拗ねていた。
「気に入っておりますし、業務に支障もございませんので」
「使用人が皆でお揃いのものを身につけるとか、ま、間抜けに思えるだろう!」
「皆が心をひとつにしてこのお屋敷で働けるということで、良き事だと存じますが」
フレッドがぐぬぬと唸っていると、扉がノックされた。続けてマリーの声がする。
「フレッド、今忙しい? 入ってもいい?」
「かまわん、入れ」
あいかわらずぶっきらぼうな主人に、ロバートはやれやれ、とため息をつく。
「それじゃあ、失礼するわね」
フレッドがいくら素気なくしてもまったく応えない、タフなメンタルを持つマリーが、ドアを開けると飛び込んできた。
「いつもお仕事お疲れさま! 遅くなっちゃったけど、やっとできたのよ、フレッドの分が!」
「俺の分だと?」
マリーは、執務室の椅子に座るフレッドの隣に駆け寄って、ポケットチーフを差し出した。
「あのね、フレッドがたくさんドレスを買ってくれたから、擦り切れて穴が開いたドレスは処分したの。でね、いい生地だったから、まだ使えそうなところを切り取って小物を縫ったのよ」
「ふむ、おまえはそんなことをしていたのか」
惚けてみせるフレッドのことがおかしくてたまらなかったが、ロバートはこらえた。
「それでね、フレッドにはポケットチーフを縫ったんだけどね。フレッドの名前を入れていたから、一番最後になっちゃって……ほら、ここのところがそうなの。刺繍の中に『フレッド』っていう隠し文字があるのよ」
マリーが見せた刺繍は、様々な色の絹糸を使って美しく刺されている上に、複雑で見事な花のデザインの中に名前が浮き上がる手の込んだものだったので、フレッドもロバートも感心した。
「これは……なかなか素晴らしい刺繍ですね。奥方さまは大変な腕をお持ちでございます」
ロバートに褒められたマリーは、嬉しそうに礼を言った。
「図案は、わたしが考えたオリジナルなのよ。フレッド、使ってもらえるかしら?」
「……お前がどうしてもと言うのなら」
「どうしても! じゃあ、はい、どうぞ」
マリーが彼の胸ポケットに形を整えたポケットチーフを刺した。
「あなたにとてもよく似合うわ。ふふっ、いっそうハンサムに見えるわよ。それじゃあ、お忙しいのにお邪魔してごめんなさいね」
ひらひらと手を振り、マリーはあっという間に部屋を出て行った。
「ようございましたね、旦那さま。そのような手の込んだ品は、なかなか縫えるものではございません。とてもがんばられたのがわかりますね」
「……まあ、な」
「奥方さまは、旦那さまのポケットチーフには、特別に力をお入れになっていたから、お渡しするのが最後になったのですね」
「ふん」
なんでもなさそうに、フレッドは鼻を鳴らした。
「ハンサムだそうですよ」
「あの女、目も悪いようだな」
少し耳が赤い。
彼の胸を飾るのは、それから何年もの間、このポケットチーフであった。




