第17話 奥方さまはお裁縫がお好き
さて、若くてバイタリティ溢れるマリーに、何もしなくても食事をとれるという素晴らしい生活が始まった。
彼女を疎んじたフレッドに『お飾りの妻(悪女にはなにもさせない)』という目論見で連れてこられたため、マリーはとても暇になった。
フレッド・クラスト辺境伯は女を信用していない猛禽紳士であるが、学ぶ意欲のある者は評価するまともな男であったので、マリーのための教師が集められていたのだが、それには契約やら手続きやらでしばらく時間がかかるのだ。
というわけで、急にやること(水汲みに言ったり、洗濯したり、食料を手に入れたりといった、生きることに直結した諸々のことである)を失った彼女は、手に入れた裁縫道具を使ってさっそく仕事にかかっていた。
「ごはんのことを気にしないで、好きなだけお裁縫ができるだなんて、ここは天国かしらね? 天使のケリーとヤリーがいないのは寂しいけれど、王都でがんばるあの子たちに恥じない姉でいなくてはね」
彼女は着古して布地の一部が薄く弱くなってしまったドレスに鋏を入れ、まだハリのある布を切り取って分けた。元々たっぷりと布を使っていたドレスだったので、淡い水色の絹地がかなりの枚数取れた。
「このボロ布は、集めてクッションにできないかしら?」
そう考えたマリーはレベッカに相談したのだが「それは掃除用の磨き布にすれば無駄がないと存じます。この屋敷は広いのでたくさん必要ですし、シルクのボロ布で磨くと光沢が出るのでとても助かるのです」と言われたので、譲り渡すことにした。
もちろんその後、レベッカが「一片の布さえも無駄にしないとは、さすがは奥方さまだわ! なんて経済的でしっかり者なの! このお屋敷にふさわしい立派なお方だわ。しかも天使だし!」とメイド仲間のメラニーに身悶えながら報告して「あなた、本当に奥方さまが好きねえ……」とため息をつかれた。
さて、マリーは布地を切り分けると考えた。
「上質なドレスだったから、何度も洗濯してもまだ色が鮮やかね。綺麗な布だから、花びらを縫って組み合わせると素敵な小物になりそうだわ」
デザインを思いついたマリーは、ちくちくと縫い始めた。
家具が交換と部屋の改装のために客間に移って暮らすマリーは、たまに庭を散歩して美しい花壇を眺めながら(たまに「食べられる実はないの?」などと尋ねていたが)マイペースでチクチクと針を走らせ続けた。
「レベッカ、フレッドはどうしているのかしら?」
「騎士たちと見回りに出ていらっしゃいますので、しばらくはお留守です。ご用がございましたら、わたしかロバートにお申しつけくださいませ」
中身は残念なレベッカであったが、メイド頭を務めるだけあって有能で、仕事の時は(どんなにマリーが可愛くても)感情を表に出さない。実は家令のロバートに、自分をマリー付きの従者にして欲しいと願い出ていたので、できるところをアピールするために余計に隙がない。
ちなみに後釜にはメラニーがなりそうで、「ちっ、メイド頭になると面倒だから逃げてたのにぃ」とやさぐれ気味に八つ当たりされている。
やがて、部屋の準備が整った、
「辺境伯夫人に大変ふさわしい部屋だと存じます。いかがでしょうか?」
「まあ、とても素敵なお部屋だわ! でも、豪華すぎないかしら」
「常識の範囲内でございます。奥方さまのお好みを取り入れておりますが、もしも変更したい場所がございましたら、いつでもご指示いただければお直しいたします」
目に優しい淡いピンク色をベースにして、柔らかなベージュやブラウンを配した部屋には、既婚者でもおかしくない優美な飾りやフリルや凝った彫刻が施されたファブリックや家具が置かれていて、可愛いけれど落ち着きもある、上品な雰囲気にまとめられている。
「これは、天蓋付きのベッドね」
家具は木箱、というとても貴族に思えない暮らしに慣れていたマリーは『お姫さまのベッドだわ』と感激していた。
「こちらには、作業しやすいスペースを設けてございます」
メラニーに「あなた、ほとんどストーカーよ?」と言われるほどにマリーのことを知り尽くしていたレベッカは、マリーが手芸を楽しめるようにと、部屋の一部に机と椅子、そして収納スペースを作らせていた。フレッドが選んだ部屋が屋敷の端で広さだけはあったのが幸いした。
「うわあ、すごいわ! 座りやすい椅子に、使いやすいテーブルね」
マリーは笑顔で、机の上に大事なお針箱を置いた。
その姿を見たレベッカは『辺境伯夫人ならば、ドレスや靴やアクセサリー、高価な宝石を大切にして楽しむ生活を送ってもおかしくないのに……このお針箱が奥方さまの宝物なのね』と、マリーのことを少し不憫に思った。
そして『旦那さまに、辺境伯夫人にふさわしい数々のものをプレゼントすべきだと進言しなくては!』と、心の中で鼻息を荒くした。
整えられた自室で、マリーはやはりチクチクと丁寧に布地を縫い続けた。
いろいろな長さ太さの針をはじめとするお針箱の中身はどれも良い品で使いやすい。
今まで安物の針を使ってきたマリーは、あまりの使いやすさに自分の腕前が上がったような錯覚すら覚えて、縫い物が楽しくて仕方がなかった。
「やっぱり、曲がってない針は縫いやすいわね」
……まず、そこであった。
というわけで、マリーの手元には、花びらの形になり、朝露のようにビーズを散りばめた美しいパーツがたくさんできた。
「奥方さま、お食事でございます」
メイドが呼びにくると、マリーはダイニングルームに向かう。そして、フレッドが在宅の時は一緒に大きなテーブルにつく。
ワクワクしながら待つマリーの前に、スープや前菜から始まって、美味しいものが次々と運ばれてくるという至福のひと時が始まるのだ。
「まあ美味しい! フレッド、これはとても美味しいわね」
好き嫌いのないマリーは、なんでも美味しがってよく食べる。
淑女のマナーとしてはまったくなっていないのだが、リスの餌袋のように口に食べ物を詰め込んで、大喜びでもきもきと食事をするマリーの姿は料理人たちを喜ばせた。
フレッドは彼女のことを柄にもなく微笑ましい気持ちになって見ていたが、はっとして「そうだな、お前にはマナー教育が必要だった」と約束を思い出した。
「ごめんなさい、わたしったらお食事のマナーもできていないわよね」
「仕方がないのだから、気にするな。すでに手配は済んでいるから待て」
「ありがとう。フレッドの食べ方は、とても上品ね。そうだわ、あなたの真似をすればいいのね」
「……好きなようにしろ」
少し赤くなったフレッドは、ぶっきらぼうに言ったが、そんなことなどまったく気にしないマリーはにこにこしながら彼の真似をしようとがんばった。
マリーはフレッドが食事をする様子を見て、食べ物を小さく切って少なめに口に入れようと努力する。フレッドに「リスにそっくりな顔になるな」とアドバイスをもらったからだ。
しかし。
「何これ、すごく美味しいいいいい!」
熱々のチェリーパイに冷たいミルクアイスが添えられたデザートの前では、元のリス顔になってしまうマリーであった。
そして、料理人たちは『いかにマリーをリスにするか』に全力を注ぎ、彼女のツボを押さえる美味しい料理を次々と投下して、フレッドを苦笑させるのであった。
チクチクを続けてパーツがたくさん出来上がると、マリーはレベッカに頼んでコテを借り、花びらの形がふんわり立体的になるように整える。
レベッカは、マリーの技術がかなり専門的であることに気づき、コテなどの道具をさらに充実するべきだと決意した。
できあがった花びらにビーズを縫いつけて華やかにすると、糸でくくり縫いをして、可愛らしい花の飾りを作り上げた。それをいくつかをまとめて、用意してもらった飾りのない櫛に縫い付けると、淡い水色の小花が集まった可愛らしい花飾りが出来上がった。
「レベッカ、レベッカ」
マリーが呼ぶと、待ち構えていたようにメイド頭が部屋に現れた。
「レベッカにございます、奥方さま」
「見てちょうだい、髪に飾るアクセサリーが出来上がったのよ」
「左様でございますか。それはよろしゅうございました」
ポーカーフェイスのレベッカが、にこりともせずに言ったが、(あまりにもマリーに萌えすぎて、顔の表情を緩めると、そのまま床に崩れ落ちてしまいそうになるためである)マリーは気にしない。
「わたしの髪を、レベッカみたいにまとめてもらえない? 自分だとうまくできないのよ」
「……承知いたしました」
新たに部屋に置かれた、今度こそ辺境伯夫人にふさわしい豪奢なドレッサーの前にマリーが座ると、レベッカはブラシで女主人の金髪を解き、サイドを素早く編み込みにする。それを後ろに持ってきてひとつにまとめてからさらに細かい三つ編みを作り、ふんわりとしたお団子に絡めた複雑な髪型に結い上げた。
「まあ、とても素敵な髪型だわ! レベッカは器用で、なんでも上手にできるのね、すごいわ」
「これがわたしのお役目にございますので」
クールに応えるレベッカであるが、その内心は『むふんむふんむふんむふん! マリーさまにお褒めいただいたわ! ああ、太陽のかけらのような尊い御髪おぐしを結わせていただけただけでこの上なく幸せなのに、マリーさまのために考案したこの、髪型を素敵と! 素敵とおっしゃっていただけて!』と、大変な鼻息であった。ポーカーフェイスが使えなかったら、間違いなく不審者だ。
「この櫛を、お使いすればよろしいのですね」
仕上げに、マリーの手作りの髪飾りを刺すと、散りばめられたビーズがキラキラと光った。
「わあ、可愛くできたわ。レベッカ、どう?」
合わせ鏡に映して確認したマリーは、無邪気に喜びながら言った。
「素晴らしいできに存じます。お針箱をこのように有効利用されて、旦那さまもお喜びになると思われます」
(大変大変お可愛らしいですうううううーっ、マリーさまの可愛いおててで縫われた水色の小花が金の髪にくっついて、もうもう可愛いの無限大が止まりません!)
レベッカがツンデレのポーカーフェイスに生まれついたのは、神の慈悲であったと言えよう。
「うふふ。あ、それからね」
合わせ鏡で髪につけたアクセサリーの確認をしていたマリーは、ドレッサーの引き出しを開けて、中からまた小花を取り出した。こちらには小さなピンがついていて、髪に刺さるようになっている。
「これはね、レベッカの分なのよ。お仕事中でも使えるように、小さなお花にしたの」
「わた、しの……」
ビーズがふんだんに使われた花は、小さくても輝いて、存在感に溢れている。
「使ってもらえる?」
「……奥方さまが、そうなさりたいのなら……もちろん、使わせていただきたくだ、存じますっ」
ポーカーフェイスが崩れないように全力で顔をキープしながら、レベッカは言った。
「じゃあ、後ろを向いて屈んでちょうだい」
マリーはレベッカのまとめ髪に花飾りを刺すと「あら、可愛いわ」と喜んだ。
「あの、奥方さま、ありがとうございます。他にご用事は……」
「もう大丈夫よ。忙しいところをありがとうね、レベッカ」
「それでは、失礼いたします」
メイド頭(まだマリー付きにしてもらっていない)は頭を下げると、マリーの部屋を辞した。
そして、いつものようにつんとすました顔で廊下を歩き、曲がった途端に。
「くんぬあああああああ! 尊い! 尊過ぎて困る!」と叫んだかと思うと、その場に倒れ伏した。
「あらやだ、レベッカったらなにやってるの?」
通りがかったメラニーに、呆れ顔で見下ろされたが、レベッカの萌えは止まらない。
「もう可愛いが凄い怖い神かなあれは天使降臨に神も一緒にこんにちわかな手作りのお花だけでもかわゆさヤバみなのに尊いお指でわたしの髪につけてにっこりとか死ぬのわたし殺されるの天罰なのかしらこれはかわゆ死なのねもうダメ」
「あなたって本当にダメね。まあ、ここまで我慢したのは偉かったわね。奥方さまの前でこの痴態を晒したら、一発で出入り禁止になるわよ」
「メラニーわたし死ぬこのお花ヤバみ神からの賜たまわり物いくら払えばいいの全部貢ぐからわたしの財産全部天使に捧げて祈るから」
「いやいや、向こうはお給金をくれる人ね。レベッカはもらう人ね。貢ぐ必要はないわね。貢ぐのはむしろ旦那さまのお仕事だから取っちゃダメね」
「……鼻血出そう」
「部屋に行こうか。メイド頭は体調不良で今日は休みますってみんなに言っておくわ。ほら、立って。わたしはレベッカを担げないから自力で部屋に戻って」
「腰砕けになってるの」
「そんなことでは、マリーさま付きにはなれ……」
「立てたから! 大丈夫だから!」
すっくと立ち上がったレベッカは「動揺してごめんなさいね、メラニー。もう大丈夫よ、仕事に戻るわ」と無表情に言うと、その場を立ち去った。その後ろ姿を見たメラニーは「あら、可愛い花飾りね。奥方さまは器用でいらっしゃるのね、いいなあ」と羨ましそうに呟いた。




