第16話 素敵なお針箱
さて、こんなわけで、フレッド・クラスト辺境伯の屋敷に到着したマリーが最初に夫に求めたものは、ドレスでも宝石でも花でもなくお針箱であったのだが。
「奥方さま、こちらが奥方さまのためにご用意いたしましたお針箱でございますが……いかがでしょうか?」
レベッカが自分で店に足を運んで、マリーのために選んだ裁縫道具の入った箱を、客間のテーブルに置いた。
ちなみになぜ客間なのかというと、マリーの部屋は絶賛大改造中なのである。
彼女のために用意されていた部屋は広くて日当たりが良いけれど、壁紙が所々剥げているし、調度品ときたら飾り気のない古い家具ばかりで、それも目立つ傷があって引き取り手のなかったため物置に死蔵されていた物だし、どう見ても新婚の令嬢……いや、新妻に似合うものではなかった。
たとえ名ばかりの妻だとしても、仮にも辺境伯夫人なのだから、本来ならばその地位にふさわしい物が用意されているはずなのだったのが……。
『自分たちの主人はとても立派な人物なので、王都で有名な悪女が輿入れしてくるのは心外だ』と考えた使用人たちが嫌がらせをしたのだ。
だが、屋敷に到着した早々に、メイド頭のレベッカは自分がとんでもない間違いをしていたことに気づいた。
マリーは外見が美しいだけではなく、中身も無邪気で素直で貧乏暮らしでも明るさを失わない愛らしい少女だったのだ。
「手際が悪くて大変申し訳ございません! 奥方さまにふさわしく整えるまでは、こちらの部屋をお使いいただけますか?」と、レベッカに頼まれて、マリーは古びた部屋から見栄えの良い宿泊客のための部屋に移って過ごしていた。
「まあ、これがわたし専用のお針箱なのね。見てもいいかしら?」
「もちろんでございます。ご確認いただき、足りないものを補充したいと思いますので」
マリーが蓋を開けると、そこには新しい道具が美しく並んでいた。針や小さな裁縫ばさみ、大きな裁ちばさみ、まち針が刺さった小さなクッションや指貫や布に印をつけるヘラなど、どれも使いやすそうな高級な品々だ。
「まあ、針がこんなにたくさん!」
「ちなみに糸とビーズなどの材料は、専用のこちらの箱に入っております」
色とりどりの刺繍糸や、美しく光を反射するビーズの数々を、マリーはうっとりと見た。
「どの糸も艶のあるとても良い色だし、このガラスビーズの輝きは陽の光の中で踊る妖精のよう。なんて美しいのかしら。使うのがもったいない気持ちがするほどよ。これを使って素敵なものを作りたいわ」
「気に入っていただけて、ようございました。ごゆっくり確認してくださいませ」
レベッカはお辞儀をすると、部屋から下がった。
「どれも素敵なものばかり!」
マリーは刺繍糸やビーズを手にして、「素敵、素敵」と部屋の中でステップを踏んだ。
彼女にとっては、おなかいっぱいにごはんが食べられて、寒さに震えずに眠れる部屋があるというだけで素晴らしい環境だったから、用意された部屋で充分満足だったのに、今は「王女さまのお部屋みたい!」という豪華な客間に通されている。
その上欲しかった物、つまりお裁縫セット(キラキラのビーズと絹の刺繍糸付き)までもらえてしまい、有頂天になっているのだ。
「嬉しいな、嬉しいな、なにを作ろうかな、なににしようかな、キラキラの素敵なものをたくさん作るのよ、うふふ、うふふ」
本来ならば、その身をきらめく宝石で飾り、豪奢なドレスに身を包み、艶然と微笑んでいれば良いはずの美貌の辺境伯夫人なのだ。だが、今のマリーの笑顔はどんな宝石よりも美しく輝いていて、客間を王宮の舞踏会の会場よりも華やかな場所に変えていた。
そんなマリーの姿を、少し開いた扉の陰から見守る者がいた。
「ごく普通の針箱なのに、あんなに喜んで……控えめに言って、神々しいほどの愛らしさ……天使なの? 天使降臨なの? ああ、申し訳ございません奥方さま、家具職人と布団職人とその他諸々の職人にすべての他の仕事よりも優先するように手配致しましたが、なにぶん突然の依頼で完成までにお時間がかかるとのこと、もうしばらくこの客間でお待ちくださいませ。ああ、あんな薄いお布団をマリーさまに用意してしまったなんて……本当に、こんなことをするのではなかったわ……客間の布団でも不十分よ、なんなら旦那さまのお布団をはいでこちらに持ってきてしまおうかしら……」
マリーが喜べば喜ぶほど、メイド頭のレベッカの心はきりきりと痛む。彼女は胸をぐぐっと掴みながら苦悶の表情になり、足早に使用人の控え室に移動してテーブルに伏せた。
「わたしたちはなんてことをしてしまったのかしら。噂を鵜呑みにして、遠くから遥々輿入れしてくださった奥方さまに、低レベルの意地悪をしてしまうなんて。バカバカ、わたしの大バカ! なにがメイド頭よ、調子に乗ってやることがこれ?」
「ほんとにお馬鹿さんよ。だから言ったでしょ、残念メイド頭のレベッカ」
背後から声をかけられて、レベッカは「ひっ」と小さく叫んで振り返った。
「いやだわ、メラニー、脅かさないでよ!」
「レベッカちゃん、自分を罵ってもなんの解決にもなりません。あと、旦那さまのお布団をはいじゃ駄目よ。寒くなった旦那さまが奥方さまの部屋にやってきて、奥方さまを襲ったら大変でしょ」
「おっ、襲うですって!? そんなことをしたら、このわたしが絶対に許しません! 地獄を見せて差し上げます!」
メラニーはレベッカの両肩をつかんで言った。
「それよりもあなた、いつまで奥方さまの周りをうろついているつもり? 早くメイド頭としての仕事をなさいね。反省するのはやることをやってからよ。リーダーが不在でみんな困っているじゃない。っていうか、マリーさまを見たがって仕事をサボろうとするメイドが続出なのよ。メイド頭のあなたのせいよ、まったくもう」
どうやらしっかり者のメラニーが尻拭いをしているらしい。
「お待ちなさい、メラニー。さらっと流そうとしたけれど、襲ったらってどういうことなの? 襲うも襲わないも、奥方さまは、旦那さまの奥さまでしょうに」
メラニーは、声をひそめて言った。
「あなたが仕入れてきた噂話によると、マリーさまは借金のかたにこちらに嫁いで来られた、お飾りの奥方さまなのよね」
「そうだわね」
レベッカは頷く。
「とすると、きちんと納得して嫁いで来られたかどうか、マリーさまのお気持ちを確かめないといけないわ。考えてごらんなさい、あんな、綺麗なガラスビーズを貰って喜んで、くるくる回るような女の子なのよ? 噂とは全然違うお嬢さまだったじゃないの。あんな子を売るような真似をする親って絶対におかしいわ。訳もわからずに辺境に嫁がされて、覚悟も無しに男性に迫られたら……いくらなんでもお気の毒だと思うわ」
どうやらメラニーも、こっそりとマリーの様子を観察していたようである。
「……それは由々しき事態ね……じゃあ……切っておこうかしら」
「何を切るのよ! あなたは時々、本当におバカになるからわたしは怖いんだけど!」
メラニーが顔を引き攣らせて叫んだ。
「切っちゃ駄目よ。いいわね? それにね……レベッカは意外に人がいいからすぐに絆されちゃうけど、わたしたちはマリーさまについてまだまだ知らないことが多すぎるわ。先走らずに、しばし現状維持を務めながら観察をして、マリーさまのお人柄をしっかりと見極めましょうよ。あの奥方さまが見た通りの方ならば、その時にどうしたら一番お力になれるかを考えましょう」
「まあ……そう言われてみればそうかしら……もっとマリーさまのことを知らなくてはね。では、わたしは戻ってマリーさまのお部屋の観察を」
「およしなさいってば! それはもはや、犯罪に近いわよ!」
メラニーは、一見冷たいけれど実は愛情深い、一言で言うとツンデレなメイド頭にデコピンを食らわして「めっ!」と叱った。
「しっかりなさいな、メイド頭のレベッカ!」
「……ねえメラニー、なんであなたがメイド頭をやらないの?」
「めんどくさいもの。もちろん、お手伝いは惜しまないから、わたしの分までがんばってね、メイド頭のレベッカちゃん」
ふふっと笑うと「さあさあ、やることをやっちゃいましょうよ」と言うメラニーは「なんだかずっるーい!」というレベッカと共に業務に戻った。




