第15話 悪女な奥方さまが、かなり天使な件
「わたしの大事な金のベル〜 夜明けの光と鳴り響く〜 愛するあなたに届く音〜」
窓を全開にして、入ってくる気持ちのいい風を浴びながら、マリーは王都で流行っていた歌を口ずさむ。レベッカはその声を聞いて『天使のベルみたいな素敵な歌声だわ』と思った。
「今日はいいお天気ね。まだ明るいうちに着いてよかったわ。旅の最後をお日さまが見ていてくれたなんて、素敵だと思わない?」
「あ、はあ、そうでございますね」
親しげに話しかけられたレベッカが、ぎこちなく答える。
「あの……」
ドレスをしまっていたメイドが、ニ枚だけ、使い古してかなりくたびれたものがあるのを不審に思い、マリーに近寄った。
「こちらのドレスは、いかがいたしましょうか?」
「え? それがどうかしたの?」
王都から持って来た着慣れたドレスなので、マリーは「普段着だから、衣装ダンスに一緒に下げておいてちょうだい」と答えた。
「はい……あの……」
ドレスに穴を見つけてしまったメイドが、視線で『ほら、ここ、穴が空いているんですけれどよろしいのですか?』レベッカに尋ねる。
「奥方さま、こちらを拝見しますね」
「どうぞ」
レベッカはメイドから二着のドレスを受け取ると、念入りに状態を調べた。
(これは……控えめに言ってもかなりのボロだわ。辺境伯夫人が着用していいドレスではないのに……なぜ、こんなものが?)
レベッカはふと『もしかすると、フレッドさまがお仕置きとして着せているとか?』と思いついたが『いくらなんでも、フレッドさまがそんなに底意地の悪いことをするはずがないわ!』とすぐに否定した。
レベッカはマリーに単刀直入に話すことにした。
「奥方さま。このドレスはだいぶすり切れていますので、もう処分なさってもよろしいかと。ほら、こちらに穴が空いておりますし」
辺境伯夫人が着るのにふさわしくないドレスでございます、と続けようとしたが。
「おや……これは、穴の空いたところを飾り刺繍で補強されているのですね。こっちもだわ。しかも、かなり見事な腕前ですね」
すでに数カ所が繕われているドレスだが、ただ穴を塞ぐのではなく美しい花と蝶々の刺繍が施されていたのだ。
「そうなのよ」
ベッドの端にちょこんと座ったマリーが笑った。
「穴を塞いだだけだと可愛くないから、刺繍で誤魔化したの。ちょっぴり贅沢な気分になって、素敵でしょ? うちは穴の空いてない服の方が少なかったから……わたしと、弟と妹の服は、ね。だから、わたしが繕って着ていたの」
「……」
(男爵家の方が、服を自分で繕いながら着ていたというの? そんな話ってあるかしら?)
多数の貴族男性からプレゼントを巻き上げて、面白おかしく暮らしていた悪女……そんな評判のマリー・ヤウェン男爵令嬢なのに、実際に会ってみたらまったく違っていた。
確かにとても美しい容姿で愛らしい女の子なのだが、話すと気のいい若いお嬢さまにしか思えない。
レベッカは口をぽかんと開けて、閉じ、また開けてから、ようやく声を出した。
「これを奥方さまがお縫いになったとしたら、刺繍の技術はかなりの腕前にございますわね。このレベッカ、感服いたしました。とはいえ、このドレスは裾の方がかなりすり切れていて、今にも穴が空きそうな箇所が多々ございます。ここはひとつ、これからは旦那さまがプレゼントなさったドレスを着ることになさって、こちらは処分することにされてはいかがでしょうか?」
マリーは「それはもったいなくない?」と渋った。
「このドレスはいい生地でできているのよ。ほら、この辺りはまだまだ綺麗だわ。捨ててしまうなんて……」
その返事に、レベッカもメイドの娘も驚愕する。
こんなにものを大切にする女性が、悪女?
「そうでございますね……それでは、綺麗な生地部分を切り取っておいて、リメイクして小物などになさるというのはいかがでしょうか?」
マリーは両手のひらを合わせて、ぱっと顔を輝かせた。
「それはいい考えだわ! ありがとう、レベッカ。それでは、さっそくフレッドに、裁縫道具をおねだりしてくるわね」
「あ……裁縫道具もお持ちでないのですね」
「そうなの。針とハサミは弟と妹のために置いて来ちゃったのよ。あの子たちにも繕い物を教えてあるの。フレッドはとても親切だから、きっと裁縫道具も買ってくれると思うけれど、もしも駄目だったらメイドの使うものを貸してくれる?」
「はい、それはもちろんでございますが……」
貴族の令嬢は、嗜みとして刺繍をすることが多いので、皆、美しく装飾された刺繍道具を持っている。
「曲がっていない針だと助かるわ」
しかし、マリーはあまり余裕がなかったので、針箱も持っていなかったし、市場でちょっと曲がった針を安く手に入れて使っていたのである。
「じゃ、行ってくるわ」
「いってらっしゃいませ?」
部屋に残されたレベッカとメイドの女性は「今までは、曲がった針を使っていたのかしら」「なんの罰ゲームでしょうか。でも、曲がった針でこの仕上がりですよ、奥方さまはとんでもない刺繍の腕を持っていらっしゃるのでは?」「刺繍というより、繕い物だけどね」と、狐につままれたような表情をした。
「それで……この部屋は」
「まずい気がするわ」
メイド頭のレベッカは「部屋の場所は旦那さまからの指示だから変えられないけれど、調度は奥方さまにふさわしいものをご用意するべきですね」と言った。
「レベッカさん、奥方さま……マリーさまって、とても可愛らしいお方でしたね」
「そうね」
「どうして悪い評判が立ったのでしょうか?」
「わからないわ。わからないけれど……噂に踊らされて、奥方さまにこんな部屋を用意したことが、今、とても恥ずかしいわ!」
「はい、わたしもです!」
部屋から飛び出したマリーは、ロバートを捕まえて「フレッドはどこにいるの?」と尋ねて、家令に連れられてフレッドの執務室を訪れ、ドアをノックした。
「フレッド、わたしよ、マリーよ」
「奥方さまをお連れいたしました。奥方さま、このような場合には、ノックはわたしがすることになっておりますので……」
「貴族のマナーってやつね! ごめんなさい、よく知らなくて。フレッド、やり直してもいいかしら?」
「騒がしいな。やり直さんでもかまわない、入れ」
帰宅したばかりのフレッド・クラスト辺境伯は、難しい顔で机の前に座ってアランと一緒に急ぎの書類に目を通していた。
部屋に飛び込んだマリーは、夫に言った。
「素敵な部屋をありがとう、フレッド。とても気に入ったわ」
「そうか。それは良かった」
彼は自分がどんな部屋をマリーに用意したのか、すっかり忘れていた。
「それでね、お願いがあるの」
「なんだ?」
(もしやこの女、とうとう本性をあらわして高価な宝石でもねだり始めるのか?)
内心でそんなことを考えるフレッドだったが。
「古いドレスの生地を使って小物を作りたいから、裁縫道具と、刺繍糸と、できればビーズが欲しいのよ。お願いできるかしら?」
「……は?」
「わたし専用のお針箱が欲しいの」
「針箱?」
フレッドがアランに「それはなんだ?」と尋ねたが、アランもよくわかっていない。家令のロバートが「淑女なら、ほとんどの方がお持ちのものでございますよ。輿入れの際に新調することもあります」と言葉を添えてくれた。
「そういえば、おまえの仕度金は親に使い込まれていたんだっけな」
フレッドは顔を顰めてしばし考えてから「高価なものでないならかまわん。レベッカに用意させるから、しばし待て」と言った。
「ありがとう! あなたって本当に親切な夫だわ」
ぱちんとウインクをして、大喜びの天使が去っていった。
フレッドは「針箱とは……そんなに高価なものなのか? 宝石よりも?」と奇妙な表情でロバートを見た。
「実用品でございますから、多少の飾りは付いていても高価なものにはならないと思います」
「うむ、俺もそうではないかと思ったんだが」
フレッドは「あの女は、やっぱり変だな」と呟いた。
と、そこへ、今度はメイド頭のレベッカが飛び込んできた。
「失礼いたします!」
「どうした、レベッカ?」
「旦那さまに申し上げます! 奥方さまの部屋を改装して、辺境伯夫人にふさわしい家具や内装を新たに作るべきです。今すぐ手配をしてもよろしいですか?」
その勢いに、フレッドは不覚なことに気圧されてしまった。
「お、おう、お前が必要だと判断するならば、別にかまわ……」
「はい、必要でございますありがとうございますそれでは失礼いたします!」
「……」
メイド頭が去った後、フレッドは『なんだか屋敷内が騒がしくなった気がするが、皆あの女につられたのだろうか?』と不思議に思うのであった。
そして、貴族の令嬢が持つ針箱というものがいくらするのかレベッカに聞くのを忘れたが、あの変わった令嬢が欲しがるのだから、ひとつくらい好きなものを与えてもいいだろう、上質なものを選ばせようか、などとらしくないことを考えた。




