第14話 到着
馬車の旅が終わりに近づいた。クラスト領に入ったマリーは窓からの景色に夢中だ。
「自然がいっぱいなのね。向こうに森が見えるわ。あのね、知ってるのよ……ああいう森には……」
「森がなんだ? 王都暮らしのおまえになにがわかる?」
フレッド・クラスト辺境伯は、目を細めて「華やかな王都で暮らしていたおまえには、こんな風景はどうしようもなくつまらん田舎のものだろう」と言った。
アランは『この人は、なんで言い方に険があるんだろうねー。でも、このお嬢さまには嫌味も通じないけど。本当、素晴らしく図太くていらっしゃるもん』とマリーを見る。
「ああいう森には……食べられる木の実とか、草とか、あとは仕留めてお肉になる生き物がいるのよ!」
「……はあ?」
「ただで食べ物が手に入るなんて、まるで天国だわねえ」
「どこがだ。もしや、狩りでもしたいのか? おまえのような都会の娘に生き物を殺すことができるかどうかわからんが、肉を手に入れるとはそういうことだ」
すると、マリーはきょとんとした顔をしながら「食べるってそういうことでしょ? 池の魚を獲って食べようとしたら叱られたけど、森の生き物なら獲ってもいいのよね? フレッド、わたしにやらせてくれない? いざという時のために覚えておきたいの」と言った。
「ちなみにマリーお嬢さま、どこの池の魚を獲ろうとしたのですか?」
アランが好奇心から尋ねた。
「王宮の池よ。学園に王子が通っていて、学生の何人かを招待してくれたの。女の子ばかりだったわね」
「王子、なにやってんだ」
「でもね、びしょ濡れになっていたら、池に落ちてしまったのだと思われて、新しいドレスをもらったからよかったわ。クラスメイトにいじめられたと勘違いされたみたいなのよ。そのドレスは綺麗なうちに売り払ったら、いいお金になったの。結果的に食べ物が手に入ったから、わたしの狩りは成功ってことになるかしらね」
「ならんわ……」
絶句するフレッドに、アランは「しっかり者の奥さんが見つかってよかったですねー」と棒読みの口調で言った。
やがて馬車はクラスト家の屋敷に到着した。
「長旅で疲れていないか?」
新妻を労るという、フレッドらしくない言葉を聞いたアランは『いいですね、フレッドさま。その調子で距離を縮めていきましょう!』と心の中で応援してから、馬車から降りて屋敷の者たちに到着を告げに行く。
さて、猛禽紳士に心配されているマリーはというと。
「あら、わたしは全然疲れてなんかないわよ。あなたが気持ち良く寄りかかれるクッションを買ってくれたし、馬車に乗っている以外なにもやることがなかったじゃない。疲れっこないわよ」
サテンのクッションをぎゅっと抱きしめて「フレッドって本当に親切ね」と笑う、ふんわりした金髪に青い目のマリーは、控えめに言って天使だった。
「そ、そうか。それならいいが」
どうやら、この新妻に心から『とても親切な夫』だと思われてしまったフレッドは、誉められ慣れていないために戸惑った。
「ねえ、このクッションは、お部屋に持っていってもいいのよね?」
「好きに使うがいい」
唸るように言うフレッドは、とても不機嫌そうでお世辞にも優しそうに見えないのだが、マリーは「ありがとう、フレッド。これはとても綺麗なピンク色だし、すべすべしてお姫さまが使うようなクッションだから、とても素敵だと思うの。お部屋に置いて抱いて寝たいわ」とお礼を言った。
抱いて寝たい、のくだりで何故か顔を赤らめたフレッドは「好きにしろ」と吐き捨てるように言った。そして、不機嫌そうな顔で馬車から降りる。そこには家令とメイド頭をはじめとする使用人たちが、フレッドとその妻を迎えるために並んで待っていた。
「そら」
旅の間に、アランによって女性の扱いの基本を叩き込まれたフレッドは、先に降りるとマリーをエスコートすべく手を差し伸べたのだが。
「じゃあ、これはお願いね」
大きなハート型のピンク色のクッションを渡された。
「おい、違うだろうが」
そのクッションはふたつでひと組だったので、もうひとつのハートを抱えたマリーは身軽に馬車から飛び降りた。彼女は買い物も水汲みもしていたので、足腰が丈夫なお嬢さまなのだ。
「奥方さまのお荷物は、わたしどもが運びますので」
馭者が言って、マリーの粗末な鞄をおろして屋敷に運ぶ。
ということで、使用人たちの前には、ペアのハートのクッションを持つ猛禽紳士と天使がいた。
「……お帰りなさいませ、旦那さ……ま?」
なんとも言えない絵面に戸惑う使用人たちであった。
結局、怒ったような顔になったフレッドは、ピンクのハートをメイド頭のレベッカに預けて、さっさと自室に引っ込んでしまった。
愛想のない主人に慣れている使用人たちは、華麗にスルーしてマリーと向き合った。
「いらっしゃいませ、奥方さま。わたくしは家令のロバートでございます」
「初めまして、ロバート。わたしはマリーよ。縁あって、フレッドと結婚することになったの……あら、結婚の手続きってどうなっているのかしら? でも、フレッドってしっかりさんだから、お任せしておいて大丈夫そうね。これからよろしくね。この辺りは自然が豊かで良いところね。森の中に入ったら、すぐに食べられる木の実とか野いちごとかが取れるのかしら? 美味しい鳥もいる?」
「しっかりさん? あ、いえその、こちらこそよろしくお願いいたします。森は大変豊かでございますから、美味しい木の実も採れると聞いておりますし、様々なベリー類も……」
「ただで食べ物が手に入るなんて、本当に素晴らしいわね!」
ハートのクッションを抱き締めながら、マリーはわくわくした口調で言った。
ロバートは首を傾げながら「野山で採れる恵みをお召し上がりになりたいのでしょうか? それならば、のちほど使用人に用意させましょう」と返事をした。しかし、マリーは眉をひそめた。
「もしや、森の食糧の場所は、クラスト家の秘密なのかしら?」
「……は?」
「でも、わたしはマリー・クラストとなるのだから、採る権利があると思うの」
「採る、権利?」
「そうよ。だから、わたしに食べられる実がなっている場所を……」
「奥方さま。まずはお部屋にご案内いたしますわ」
訳がわからなくなっているロバートを押しのけて、メイド頭のレベッカ(まだハートのクッションを持っている)が言った。
「こちらがお部屋になります」
曰く付きの妻のためにフレッドが選んだ部屋は、日当たりはいいものの壁紙が剥がれかけた殺風景な部屋であった。本来ならば、夫婦はドアで行き来のできる、隣合った部屋にするものだが、『悪女なんて奴を身近に置くつもりはないぞ』ということで、フレッドの部屋から思いきり離れている。
だだっ広い部屋に置かれているのは、物置に入っていた無骨な使われなくなった家具で、目立つ傷の付いているものもある。
さすがに女性に使わせるのだからと情けをかけて、疎ましい奥さまのために、メイドたちは部屋の掃除をして粗末な布団を洗って干し、家具の汚れだけは落としておいた。
しかし、そんな部屋でも、ヤウェン男爵家の貧乏暮らしに慣れたマリーにとっては、隙間風のない部屋でお日さまの匂いのする布団で眠れるという贅沢な環境だった。おまけに、素朴とはいえ衣装ダンスも書き物机も、割れていない鏡のはまった鏡台までもが用意されているのだ。
「素敵素敵! とても明るくて素敵なお部屋ね! 朝日が差し込むのかしら? 窓ガラスもとても綺麗だわ、磨いてくれてありがとう!」
歓声をあげたマリーは、ハートのクッションを抱えながら部屋の中を歩き回り、これはベッドに置こうかしら、それとも普段は書き物机の前の椅子に置いて、目立つように飾ろうかしら、などと嬉しそうに悩んでいる。
「ハートだから、ふたつ並べて置こうかと思うんだけど、あなたはどうお思いになる? ええと……メイドさん?」
「わたくしは、メイド頭のレベッカと申します」
「レベッカさんね、よろしく! 枕のところにふたつ並べると可愛いかしらね?」
マリーに促されて、レベッカはハートのクッションを枕元に置いた。
「悩むわー、どうしましょう?」
「……」
レベッカは混乱した。
『こんなみすぼらしい部屋を用意するなんて!』と激怒するはずの、王都からやってきた身持ちの悪い令嬢は、辺境伯に買ってもらったという安物のクッションを嬉しそうに抱えて、どうコーディネートしようかと目の前で悩んでいる。
(え、待ってよ。この女は、贅沢なプレゼントを貴族の男性に貢がせる、欲深な悪女ではないの?)
「うわあ、このお布団、お日さまのいい匂いがするわ」
ぽふんとベッドにうつ伏せになり、金髪に青い目の天使が嬉しそうに笑った。
「今夜はよく眠れそうよ。レベッカさん、素敵なお部屋をありがとう!」
(違う、話が違い過ぎる! なんなの、これじゃあ綺麗な顔をしたお子ちゃまじゃないの、こんなのおかしいわ……)
無言のレベッカの後ろでは、メイドがドレスをしまっていた。奥方様のドレスルームがないので、衣装ダンスに衣類を収納するのだ。
それを見たレベッカは『え? 荷物はあれしかないの? 派手に遊び回っていた悪女の輿入れなのに?』と目を疑った。
そういえば、馭者が運んでいたのは妙に古ぼけた鞄がひとつと、まだ箱に入ったままの数着のドレスであった。
「奥方さま、他の荷物は後から到着するのですか?」
「いいえ、荷物はこれだけよ。あんまり服を持っていなかったから、フレッドが新しいものを買ってくれたの。優しい人よね」
天使の笑顔を向けられたレベッカとメイドは、呆然とし、それから顔を見合わせた。
(この酷い部屋を見て、腹を立てるはずだったのに……)
(どういうことですか、レベッカさん! めちゃくちゃ喜ばれて、なんか、いじめをしているような、ものすごい嫌な気分なんですけど!)




