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虹色の彼岸、あなたへ〜四色の花嫁〜  作者: 有寄之蟻
第一部 「召喚、あるいは逃走」
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第二章 ハルノ王国へようこそ

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## 第二章 ハルノ王国へようこそ


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 最初に気づいたのは、光だった。


 まぶたの裏が白かった。まぶしい、と思って目を細めた。目を開けると、また光があった。でもまぶしすぎる光ではなかった。柔らかい光だった。


 草の匂いがした。


 土の匂いもした。


 あと、花の匂い。何の花かは分からない。甘すぎず、青臭すぎず、ただきれいな匂いだった。


 璃生は上を見た。


 空があった。


 青い空だった。でも、ただの青ではなかった。透き通っていた。絵の具を溶かしすぎないで塗ったような、奥行きのある青。雲が二つ、のんびりと流れていた。


 あ、と思った。


 空って、こんな色だっけ。


 東京でも空は青かったはずだ。でも、こんなふうに見たことは最近なかったかもしれない。見上げることが少なかった。外を歩くとき、璃生はいつも下を向いていた。


 体を起こした。


 石畳の上にいた。広い、広い石畳。灰色ではなく、ほんのり温かみのある砂岩のような色の石が規則正しく敷き詰められていた。


 まわりを見渡した。


 建物があった。大きな建物だった。白と淡い黄色の石造りで、いくつかの塔が空に向かって伸びている。窓が多い。アーチ型の窓。窓の端に、つる草か何かが絡んでいる。


 花が咲いていた。白い小さな花だった。


 城、だろうか。


 お城みたいな建物が目の前にあった。


 あと、木が多かった。城壁の向こうに、緑がもりもりとしていた。木の梢が城の屋根より高いところまで伸びている。


 人がいた。


 二人。


 こちらを見ていた。


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 一人は、背の高い男性だった。


 三十代か四十代か、あるいはもっと上か。年齢の見当がつかなかった。背筋が伸びていた。立ち姿が整っていた。淡い緑色のローブを纏っていて、頭には鹿の角のような突起物が、左右対称に生えていた。角だ、と気づいた。本物の、でも木の枝みたいに分かれた角。角の先のほうに、小さな白い花が咲いていた。


 目が合った。穏やかな目だった。


「目覚められましたか」


 男性は言った。


 日本語だった。


 日本語で話しかけてくれた、ということが、じわりと璃生の体の力を抜いた。知らない場所で知らない言語を聞かされる恐怖を、事前に回避してくれたことに、後から気づいた。


「……はい」


 璃生は言った。自分の声が、少しかすれていた。


「わたくしはスギ=ノキ、この国の神官長を務めております。ニジトセ様のお越しをお待ちしておりました」


 神官長。


 ニジトセ。


 ……女神が言っていた。別の世界での名前がある、と。


 虹歳、という名前だったはずだ。


「もう一人は、」


 璃生が目を向けると、もう一人が一歩前に出た。


 こちらは若い男性だった。二十代後半か。神官長と同じローブを着ているが、色は白に近い。角は、まだ小さかった。銀色がかった金髪。静かな顔をしていた。


「神官のソウと申します。以後お見知りおきを」


 丁寧なおじぎ。


 璃生も、反射的に頭を下げた。


「あの、」


 立ち上がろうとして、足がふらついた。


 神官長がすっと手を差し伸べた。


「お体が慣れるまで少々時間がかかるやもしれません。ゆっくりどうぞ」


 璃生はその手を借りて立ち上がった。


 ありがとうございます、と言った。


 立ってみると、分かることがあった。


 風が来ると、頭のてっぺんに当たる感覚がある。


 普通、風が頭に当たってもそれほど気にならない。でも今は、何かが気になった。頭のてっぺんに、風が当たる感触がある。何かが生えている感触が。


 璃生はそっと自分の頭に触れた。


 指先に、何かが触れた。


 小さくて、滑らかで、少しだけ体温がある何かが、おでこのやや上から二本、小さく突き出していた。


 角だ。


 と、気づいた。


 自分に角が生えていた。


「……あ」


 声が出た。


 声に感情がなかった。


 璃生は頭の角を人差し指でそっと突いた。硬い。本当にそこにある。夢ではない。


「お体の変化については、女神様よりご説明があると聞いております。まずはお部屋へご案内しましょうか」


 神官長が言った。


 璃生はしばらく自分の角を突いていた。


「……はい」


 小さく答えた。


 角は二本。おでこの上から左右に一本ずつ。小さかった。子犬の耳みたいな位置に、すっと伸びていた。触ると、ちょっとくすぐったい感じがした。


 くすぐったいのか、これ。


 不思議だった。恐怖より先に、不思議という感情が来た。自分でも驚いた。


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 神官長に案内されて、城の中に入った。


 廊下が広かった。天井が高かった。窓から外の緑が見えた。床は石だったが、色のついた絨毯が敷かれていて、歩くと少しふかふかした。


 すれ違う人たちが、こちらを見た。


 いろんな人がいた。


 角のある人。耳が少し違う人。目の色が人間ではありえない色の人。でも、誰も特別に奇異なものを見る顔をしていなかった。ただ少し物珍しそうに、あるいは礼儀正しく会釈して、通り過ぎていった。


 璃生は廊下を歩きながら、自分の右手を見た。


 変わっていなかった。


 細い指。短く切った爪。


 でも、何となく気になって、手のひらを胸に当ててみた。


 服の上から、じんわりと温かかった。


 いや、自分の体温があるのだから温かいのは当たり前だ。でも、その温かさの中に、何か別のものが混じっているような気がした。何だろう。じんじん、というか、とくとく、というか。


 服の上から見ても、分からない。


 廊下の壁に、大きな鏡があった。


 璃生は立ち止まった。


 神官長が、少し後ろで待ってくれた。


 鏡の中の自分を見た。


 黒髪黒目。細い体。それは同じだった。でも、おでこの上に確かに朱色の小さな角が二本。あと、目が。


 目が、少し違った。


 瞳孔が、縦に細長かった。


 猫の目みたいな、でももっと細い。龍の目、という言葉が浮かんだ。黒目の中の瞳孔が、くっきりと縦長だった。色は、朱色がかっていた。


 「朱龍」と、女神が言っていた。


 龍の目をしている。


 璃生は鏡の中の自分の目を見た。自分の目なのに、知らない目を見ているみたいだった。


 怖いとか嫌だとか、そういう感情よりも先に、また不思議、という感覚が来た。


 なんかすごいな、と思った。


 語彙が貧困だと自分でも分かっていたが、なんかすごかった。


 服の合わせ目から、自分の胸元をのぞいてみた。


 鎖骨の下、心臓のあたりに、何かがあった。


 模様だった。


 皮膚に直接書かれたような、朱色の模様。細い線が入り組んで、花のような形を作っていた。


 彼岸花、だと分かった。


 朱色の彼岸花の文様が、心臓の位置に刻まれていた。


「……女神さまって、なかなか派手なことをしてくれますね」


 璃生は鏡に向かって言った。


「はは」


 神官長が、小さく笑った。


 その笑い声が、気取っていなくて、璃生は少しだけ安心した。


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 通された部屋は、広かった。


 璃生がそれまで住んでいた六畳の部屋の三倍はある。天蓋付きのベッドがあって、窓が大きくて、机と椅子がある。小さな棚に、花が飾ってあった。白い花だった。


「ご不便がありましたら何なりと。侍女を手配いたしますので、おっしゃってください」


 神官長が言った。


「あの、」


 璃生は言った。


「女神さまからのご説明は、いつ頃ありそうですか」


「本日中にはあるかと存じます」


「分かりました。ありがとうございます」


 神官長とソウが部屋を出た。


 扉が閉まった。


 璃生は一人になった。


 ベッドの端に腰を下ろした。


 しばらく、何も考えなかった。考えようとしたけれど、何から考えればいいか分からなかった。


 別の世界に来た。本当に来てしまった。


 女神の言ったことは本当だった。


 ということは、これから三人の男性と縁を結んで、子どもを産む、ということも。


 ……まじか。


 まじかよ。


 璃生は自分のおでこの角をそっと押さえた。


 ふにっとした感触はなく、硬かった。やっぱり本物だった。


 窓から外を見た。


 緑が見えた。木々の梢。鳥が一羽、飛んでいった。鳥の形をしていたが、羽の色が青すぎた。あんな色の鳥は日本にいなかった。


 そうか、ここは別の世界なのか、と今さら実感した。


---


 日が傾いてきた頃、部屋に変化があった。


 空気が変わった、という感じだった。


 ふわり、とした気配。


 璃生が振り向くと、部屋の中央あたりに、例の女性が立っていた。


 スーツ姿だった。相変わらず。


「お疲れさまです」


 女神ククリヒメは言った。


「……来るならもう少し派手に来てください。心臓が止まりそうでした」


「善処します」


 善処します、と言っているが、する気がなさそうな顔だった。


 女神は、璃生と向かい合って椅子に座った。正確には、椅子に座るようにして空中に腰かけていた。椅子の足が床についていない。ほんの数センチ、浮いていた。


 こだわり、とかではないのだろう、たぶん。


「まずは体の変化について説明します」


 女神は言った。手帳を取り出した。バリキャリの女神だった。


「朱色の角、縦長の龍目、胸の彼岸花文様。これが幸龍としてのあなたの印です。この世界の人々には見慣れたものですので、驚かれることはないでしょう。機能としては、文様が縁結びの進捗を表す指標になります」


「縁結びの指標」


「はい。縁結びが近づくと、胸の文様のそばに別の花の文様が白く浮かびます。縁が深まるにつれて色づき、契りが結ばれると鮮やかに完成します。四つ揃ったとき、煌虹透空が完成します」


 璃生は自分の胸元を見た。今は、朱色の彼岸花だけがある。


「あと、龍目には特殊な視覚補助があります。縁結びの相手に近づくと、光が見えます。シャラシャラという音もするかもしれません」


「光」


「白っぽい光です。相手の近くでふわふわしています。分かりやすいと思いますよ」


 便利なのかな、と璃生は思った。でも表情には出さなかった。


「あと、加護があります」


「加護」


「王族に心を読まれません」


 それはどういう、と璃生は首を傾けた。


「この世界の王族は心を読む能力を持っています。通常は。でも、あなたの心はその能力の対象外です」


「……それは、良かった」


 璃生は素直に思った。心を読まれたくないことが、璃生の中にはたくさんあった。


「では、本題です」


 女神は手帳にちらりと目を落とした。


「あなたにお願いする縁結びの相手は三人です」


「はい」


「第三王子のユー=オン・ハルノ。神官のシュクレスタ・クリストダール。商人のサイコー・チョウ=キンメンモー。この三人と、縁を深め、契りを結んでいただきます」


 璃生は聞いていた。


「期限は特に設けていませんが、焦らず着実に進めてください。この世界に来た目的を忘れないように」


「……子どもを産む、ということも本当ですか」


「本当です」


 女神は静かに答えた。


「無理強いはしません。でも、縁結びの完成のためには必要なことです」


 璃生は膝の上に置いた自分の手を見た。


 子どもを産む、ということが、まだ実感として来なかった。


 ただ、こわいとか嫌だとか、そういう感情も、今はそれほど湧いてこなかった。


 麻痺しているのかもしれない、とも思ったが。


「質問は」


「……三人は、どういう人たちですか」


 女神は少し黙った。


「それは、ご自身で確かめてください」


 それはそうか、と璃生は思った。


「怪我はしませんか」


「安全は最大限確保します。ただし、」


「ただし」


「心が揺れることはあるかもしれません」


 心が揺れる。


 璃生はその言葉を頭の中で繰り返した。


 心が揺れる。


 ……久しぶりに、揺れるのかもしれない。


「分かりました」


 璃生は言った。


「他に質問がなければ、今日は休んでください。明日から、神官長が案内してくれます」


 女神が立ち上がった。いや、立ち上がる、というか、ふわりと浮いた。


「あと一つだけ」


 璃生は言った。


「何でしょう」


「女神さまって、スーツ姿なんですね」


 女神は一瞬、無表情のまま固まった。


「動きやすいので」


「そうですか」


「何か問題がありますか」


「いいえ、全然。かっこいいと思います」


 女神は、何か言いたそうに口を開いて、でも何も言わずに閉じた。


「……では、また報告に来ます」


 ふわり、と消えた。


 さっきと同じように、気配がすっとなくなった。


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 夜になった。


 侍女が夕食を持ってきてくれた。見知らぬ食材で作られた、でも不思議と食べやすい料理だった。スープが温かかった。


 璃生は久しぶりに、料理を食べながら、おいしいかもしれない、と思った。


 おいしいかもしれない、程度の感覚だったが。それでも久しぶりだった。


 食後、窓の外を見た。


 夜空があった。


 星が、多かった。


 東京では、こんなに星は見えなかった。


 璃生は窓に額をつけて、しばらく夜空を見ていた。


 胸の文様のあたりが、じんわりと温かかった。


 視界の端に、何かが見えた。


 白い光だった。


 ほんのり、ふわふわした、小さな白い光。窓の外ではなく、部屋の中に。いや、正確には、廊下の方向から来ているような気がした。


 光は、すぐに薄れた。


 気のせいかな、と思った。


 でも、女神が言っていた。


 縁結びの相手に近づくと、光が見える、と。


 璃生はまた窓の外を見た。


 夜空の星が、きらきらしていた。


 きれいだ、と思った。


 きれいだ、という感覚が、ちゃんとあった。


 胸のあたりを手でそっと押さえた。


 朱色の彼岸花が、そこにある。見えないけれど、温かさがある。


 ここに来た理由のことを考えた。


 三人の男性。縁を結ぶ。子どもを産む。


 ……まじかよ、という気持ちはまだある。


 でも、窓の外に星がある。


 料理がおいしかった。


 さっき、笑いに近い何かを感じた。


 白い光を見た。


 何かが、変わるかもしれなかった。


 変わることが怖い、という感情は、今夜はそれほど大きくなかった。


 璃生はベッドに潜り込んだ。


 天蓋のある白いベッド。シーツが柔らかかった。


 目を閉じると、夜空の星の残像がまぶたの裏に浮かんだ。


 眠れるかな、と思ったら、思ったよりずっと早く眠りに落ちた。


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 明日から、始まるのだ、とぼんやり思いながら。


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*(第三章へ続く)*

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