第七部 第二十章 結婚式の準備
---
##第七部 「四色の祝福」
---
## 第二十章 結婚式の準備
---
四つの花が色づいてから、一週間が経った。
その間に、いくつかのことがあった。
女神が来た。
また真夜中に、璃生のベッドの横に現れた。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「四つ揃いました」
「はい」
「煌虹透空まで、あと一歩です」
「正式な誓いが必要なんですか」
「そうです。四人で女神の前に立って、誓いを交わしてください。そのときに、煌虹透空が完成します」
璃生は少し考えた。
「それが、結婚式ということですか」
「そういうことになります」
「準備が必要ですね」
「国をあげての一大事です。準備期間が必要です」
「どのくらいかかりますか」
「一年ほど、見てください」
「一年」
「この国では、重要な誓いの儀式は時間をかけて準備します。焦らなくていいです」
璃生は頷いた。
「分かりました」
「ゆっくりやってください」
女神は手帳を閉じた。
「あと一つ、伝えることがあります」
「はい」
「よく頑張りました」
璃生は少し驚いた。
女神がそういうことを言うとは、思っていなかった。
「……ありがとうございます」
「来た当初と、今とでは、だいぶ違います」
「そうですか」
「あなたが変わったから、縁が育ちました。それを忘れないでください」
「はい」
「では、また」
女神が消えた。
---
翌朝、神官長が来た。
いつもの穏やかな顔だったが、今日は少し違う気配があった。
「ニジトセ様、四つの文様が揃ったと伺いました」
「はい、昨日確認しました」
神官長は、深く頭を下げた。
「……おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「女神様から、正式な誓いの儀式について、お話はありましたか」
「昨夜来てくださいました。準備に一年ほどかかると」
「はい。この国の儀式のしきたりとして、正式な婚儀は相応の準備期間が必要でございます。ただ、準備そのものは楽しいものでもあります」
「そうですね」
「まず、王族への報告が必要でございます。それから、各方面への連絡、式の日程の調整、衣装の準備、会場の設えと、やることは山ほどございますが」
神官長は、珍しく少し顔が緩んでいた。
「……楽しみです。正直に申し上げますと、楽しみです」
「神官長様も、楽しんでください」
「ありがとうございます。それと、コールについても、ご連絡がありました」
「コールさんに何か」
「今朝、コールがわたくしの執務室に来ました」
璃生は少し驚いた。
コールが自分から神官長を訪ねたのは、珍しいことのはずだった。
「何を話したんですか」
「……報告に来たそうです」
「報告」
「現在の縁結びの進捗をご報告します、と言いまして」
璃生は少し口元が動いた。
「コールさんらしいですね」
「はい。あと、式の準備に協力したい、と言っておりました」
「コールさんが協力を」
「はい。図書館の書物を使って、式典の作法を調べると言っていました」
「コールさんらしいです」
「……そなたが、ついに」
神官長の声が、少し揺れた。
「本当に、そなたが」
神官長は目を押さえた。
「……失礼しました。少し、感激してしまいまして」
「泣いてください、神官長様」
「男泣きはいたしません」
「バクシンさんも同じことを言いました」
「男というものは、そういうものでございます」
璃生は少し笑った。
---
王族への報告は、その日の午後に行われた。
謁見の間に、国王と王妃と兄王子たちと王女が揃っていた。
璃生が四つの文様が揃ったことを報告すると、王妃がすぐに泣いた。
「よかった……っ、本当によかった……っ」
「お母様、落ち着いてください」
「落ち着けるわけがありませんっ」
王妃が璃生の手を取った。
「ニジトセ様、本当に、本当にありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ」
「こんなに早く……半年ちょっとで……っ」
「早いですか」
「早いですっ、普通の縁結びでも年単位かかるのに……っ」
王女のメイが、璃生に耳打ちした。
「お母様はすぐ泣くのよ。ほっておいて大丈夫」
「はい」
国王が、穏やかに言った。
「ニジトセ様、改めて。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「この国として、最大限の祝福を贈りたいと思っております」
「ありがとうございます」
「式の準備については、王城全体で取り組みます。一年、楽しみにしていてください」
---
その夜、チョウチョウが廊下で待っていた。
璃生が部屋に戻ろうとすると、チョウチョウが横に並んだ。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
「四つ揃ったんだな」
「はい」
「……コールのが揃ったとき、どんな感じだったんだ」
「真珠色でした。とてもきれいでした」
「そうか」
「コールさんも、四つ揃ったことで、式の準備に協力すると言ってくれたそうです」
「コールが?」
「神官長様に言いに行ったそうです」
チョウチョウは少し間を置いた。
「……コール、変わったな」
「そうですね」
「最初から思えば」
「最初のコールさんを知っていますか」
「おれが来たときには、もう少し話すようになっていたが、それでも最初の頃は図書館から出てこなかっただろう」
「出てこなかったです」
「今は、神官長のところに自分から行く」
「はい」
「……ニジトセ様のおかげだな」
「わたしだけじゃないです。チョウチョウさんが図書館に来てくれたことも、コールさんには良かったと思います」
「おれが?」
「はい。鉱石の話を聞きに来てくれて、コールさんは教えることを楽しんでいたと思います」
チョウチョウは少し間を置いた。
「……コールに教えてもらえることが、おれには良かったんだが」
「お互い様ですね」
「……そうか」
廊下を歩きながら、チョウチョウが言った。
「結婚式、楽しみか」
「楽しみです」
「三人別々にあるんだろう、式が」
「そう聞きました。一人一日ずつ、個別の式がある、と」
「最後に四人で誓う式がある」
「はい」
「……順番はどうなるんだ」
「まだ決まっていないです」
「……おれが最初でも最後でもいい」
「チョウチョウさんはどちらがいいですか」
「……最初がいい」
「なぜですか」
「……早く、ちゃんとしたい」
璃生は少し間を置いた。
「分かりました。相談してみます」
「……無理に最初でなくてもいい」
「チョウチョウさんが最初でも、わたしは嬉しいです」
「……そうか」
チョウチョウの耳が、少し赤くなった。
「ありがとうございます、と言っておきます」
「礼を言うな」
「言います」
「……本当に勝手だな」
「はい」
チョウチョウが、少し笑った。
---
翌朝、図書館に行った。
コールは、いつもの場所にいた。
璃生が来ると、立ち上がった。
「……おはよう」
「おはようございます」
「……文様を、見せてもらえるか」
「はい」
璃生は服の合わせをそっと開いた。
四つの花が、そこにあった。
朱色の彼岸花。黄金色の金木犀。夜空色の黒椿。真珠色の水仙。
コールが、それを見た。
眼鏡越しに、じっと見た。
「……きれいだ」
「コールさんの水仙が、一番最後に色づきました」
「……知っている。日記に書いてあった」
「真珠色です」
「……見えている」
「コールさんの目の色と似ていますね」
「……そうか」
「はい」
コールは文様をしばらく見て、璃生の目を見た。
「……よかった」
「はい」
「……本当に、よかった」
「はい」
「……式の準備を、手伝いたい」
「神官長様から聞きました。ありがとうございます」
「礼は要らない」
「言います」
「……また言う」
「言い続けます」
コールは少し目を細めた。
「……図書館の書物の中に、婚儀の作法に関する書が何冊かある。調べておく」
「ありがとうございます」
「……もう礼を言ったか」
「また言います」
「……勝手にしろ」
---
式の準備が始まった。
王城が、少しずつ変わっていった。
準備のための会議が開かれた。
神官長が取り仕切った。
王族が参加した。
バクシンが走り回った。
コールが書物を調べた。
チョウチョウが実務的な段取りを確認した。
ヤコは商会の仕事をしながら、時々様子を見に来た。
---
璃生も、準備に加わった。
式の内容を決める会議に出た。
「個別の式は、一人一日ずつ、三日間に渡って行います」
神官長が説明した。
「順番はどうしますか」
「チョウチョウさんが最初を希望しています」
「では、第一日がチョウチョウ様、第二日がユー王子殿下、第三日がコール様、という順番はいかがでしょう」
「王子様は二日目でいいですか」
バクシンが横で頷いた。
「王子からも、順番はニジトセ様に任せると聞いております」
「コールさんは」
「コール様も同様に」
「では、その順番で」
「承知いたしました。最終日は、四人で女神様の前に立って誓いを交わす式になります」
「はい」
「衣装については、それぞれの式に合わせてご用意いたします。ニジトセ様の衣装は、全部で四着必要になります」
「四着」
「個別の式それぞれに一着ずつと、最終日に一着です」
「分かりました」
---
衣装の話が進んだ。
王妃が積極的に関わってきた。
「ニジトセ様、チョウチョウ様との式の衣装は、金色を基調にしてはいかがでしょうか」
「きれいそうですね」
「ユー王子の式は、夜空色と朱色を合わせた衣装が素敵だと思います」
「はい」
「コール様の式は、真珠色と白を合わせて、清楚な感じにしては」
「ありがとうございます」
「最終日は、四色全てを取り入れた衣装にしましょう。虹のような衣装に」
「虹のような衣装」
「煌虹透空にちなんで。いかがでしょうか」
璃生は少し考えた。
「素敵だと思います」
「では、そのように仕立て師に依頼いたします」
王妃が嬉しそうだった。
璃生を見る目が、娘を見るような目だった。
---
王子の式の準備については、バクシンが中心になって動いた。
「王子は、式の前日から緊張すると思います」
「そうでしょうね」
「ニジトセ様に、一つお願いがあります」
「はい」
「当日まで、通常通りに接してください。特別扱いをしないでください」
「分かりました」
「緊張すると感情のコントロールが崩れやすくなります。でも、ニジトセ様がいつも通りでいてくれれば、落ち着けると思います」
「いつも通りにします」
「本を持ってきてください」
「はい」
「当日も、本を読んでください」
「式の日にも?」
「式の前に、少し読んでください。それが一番、王子を落ち着かせます」
璃生は頷いた。
「分かりました」
---
コールの式の準備については、神官長が中心になった。
「コールは、多くの人が集まる場所が苦手でございます」
「はい」
「できるだけ、参列者を絞った式にしたいと思っております」
「それがいいと思います」
「静かな式にします。図書館で行うことも検討しています」
「図書館で」
「コールが一番落ち着ける場所ですので。ニジトセ様はいかがでしょうか」
「素敵だと思います。図書館で式をするのは」
「コールも、そうできればと言っておりました」
「コールさんが言ったんですか」
「はい。珍しく、自分から言いました」
璃生は少し口元が動いた。
「図書館がいいです」
「では、そのように」
---
準備が進む中で、璃生の日常は変わらなかった。
毎日、図書館へ行った。
毎日、王子のもとへ行った。
コールとの交換日記も続いた。
チョウチョウとも、毎日話した。
---
ある夜、璃生は部屋で窓の外を見ていた。
秋が深まっていた。
木の葉が、風に舞っていた。
一年後に式がある。
一年後に、煌虹透空が完成する。
璃生はそれを思いながら、胸の文様に触れた。
四つの花が、温かかった。
全部、温かかった。
璃生は少し笑った。
一年前、コンビニのおにぎりを立ったまま食べていた自分が、今ここにいる。
別の世界で、三人と縁を結んで、結婚式の準備をしている。
あの頃の自分に言っても、信じなかっただろうと思った。
でも、今ここにいる。
ちゃんとここにいる。
---
コールへの日記を書いた。
---
コール様へ
今日、式の準備の会議がありました。
コールさんの式は、図書館で行うことになりそうです。
コールさんが希望してくれたと聞きました。
とても嬉しかったです。
図書館で式をするのが、なんというか、コールさんらしくて。
好きだと思いました。
一年後が楽しみです。
ニジトセ
---
翌朝届いたコールの日記には、こう書いてあった。
---
図書館で式をしたいと言った。
神官長が、泣きそうな顔をしていた。
泣かせてしまったかもしれない。
図書館は、静かで、本があって、落ち着ける場所だ。
そこで誓いを交わすのが、わたしには合っていると思った。
あなたが毎日来てくれた場所で、誓いを交わす。
それが、いいと思った。
コール
追記。
コールさんらしくて、好きだと書いてあった。
また、嬉しかった。
---
璃生はそれを読んで、また笑った。
追記が増えていくコールの日記が、好きだった。
---
冬になった。
コールが好きな季節だった。
城の庭が、霜で白くなった。
璃生とコールは毎朝、図書館の窓から冬の夜明けを見た。
空気が澄んでいて、夜明けの色が夏より鮮やかだった。
璃生はその色を見ながら、思った。
ここにいていいんだ、と今日も思えた。
毎日、そう思えた。
毎日、少しずつ、確信になっていった。
---
春が近づいた。
王城の庭に、花が咲き始めた。
白い花、ピンクの花、黄色い花が、少しずつ顔を出した。
璃生は庭を歩きながら、花を見た。
いろんな花が、それぞれの色で咲いていた。
璃生の胸の文様も、四つの花がそれぞれの色で輝いていた。
朱色。黄金色。夜空色。真珠色。
四つの色が、揃っていた。
---
夏が来た。
式まで、あと半年になった。
準備が佳境に入った。
衣装の仮縫いがあった。
金色の衣装が、璃生の体に合わせて仕立てられた。
夜空色と朱色の衣装が、仕立てられた。
真珠色と白の衣装が、仕立てられた。
最後に、四色を取り入れた衣装が、少しずつ形になっていった。
---
王妃が仮縫いに立ち会って、何度も涙をこらえていた。
「似合っていらっしゃいます」
「ありがとうございます」
「本当に似合っていて、お義母さまとしては」
「お義母さま」
「いけませんでしたか」
「いいえ、嬉しいです」
王妃が、また泣きそうになった。
「ニジトセ様と呼べるのも、あと少しですね」
「何かほかの呼び方になりますか」
「正式な婚儀が終わったら、お名前でお呼びしてもよろしいですか」
璃生は少し考えた。
「璃生と呼んでください」
「璃生様」
「はい」
「……素敵なお名前ですね」
王妃が、今度こそ泣いた。
璃生は少し困ったが、そのまま王妃が泣くのを待った。
---
秋が来た。
式まで、あと三ヶ月になった。
城全体が、準備で賑やかになった。
いつもは静かな神殿も、今年は違った。
神官が行き来した。
コールは、その喧騒の中で、相変わらず図書館にいた。
でも、式の作法の書物を調べて、神官長に渡すことをしていた。
璃生が来ると、報告してくれた。
「……今日調べた作法の書に、新しいことが書いてあった」
「何ですか」
「……誓いの言葉は、各自が考えると、より深い誓いになると書いてあった」
「自分で考えるんですか」
「……そうだ。定型の言葉でもいいが、自分の言葉を使うほうが、神に届きやすいとされているらしい」
「そうですか」
「……あなたはどうするか」
「自分の言葉を考えます」
「……そうか」
「コールさんは」
「……考えている」
「楽しみです」
「……楽しみ」
「コールさんの言葉が、どんなものか、楽しみです」
コールは少し間を置いた。
「……プレッシャーだ」
「すみません」
「……でも、言いたいことはある」
「はい」
「……うまく言葉にできるかどうかは分からないが」
「大丈夫です」
「……なぜ大丈夫なのだ」
「コールさんの言葉だから、大丈夫です」
コールは、また目を細めた。
「……変な人間だ」
「はい」
「……でも、好きだ」
「わたしも好きです」
「……また即答した」
「考えなくても分かります」
「……慣れない」
「慣れなくていいです」
コールが、少し笑いそうになった。
笑いきる前に、本を開いた。
「……お茶を用意する」
「ありがとうございます」
「礼は要らない」
「言います」
「……勝手にしろ」
---
冬が来た。
式まで、あと一ヶ月になった。
城中が、祝福の準備で満ちていた。
璃生は毎日、三人と話した。
チョウチョウと廊下を歩いた。
コールとお茶を飲んだ。
王子と本を読んだ。
それは、六ヶ月前と変わらない日常だった。
でも、全部が少し違った。
怖い、という感覚より、温かい、という感覚のほうが、ずっと大きくなっていた。
毎日、ちゃんとそこにいられた。
毎日、ここにいていいんだと思えた。
---
式の一週間前。
璃生は部屋で誓いの言葉を考えていた。
何を言えばいいか、少し悩んだ。
でも、悩んでいるうちに、言葉が浮かんできた。
三人それぞれに、言いたいことがあった。
三人それぞれに、ありがとうと言いたかった。
待っていてくれたことに。
本を読んでくれたことに。
距離を守ってくれたことに。
正直でいてくれたことに。
毎日来てくれたことに。
全部に、ありがとうと言いたかった。
---
その夜、コールへの日記を書いた。
---
コール様へ
誓いの言葉を考えています。
コールさんへの言葉は、決まりました。
式のときまで秘密にしておきます。
楽しみにしていてください。
ニジトセ
---
翌朝届いたコールの日記には、こう書いてあった。
---
言葉が決まったと書いてあった。
楽しみにしていてください、と書いてあった。
楽しみだ。
式が、楽しみだ。
楽しみという感覚が、こんなに大きくなるとは、思っていなかった。
でも、楽しみだ。
あなたの言葉が、楽しみだ。
コール
---
璃生はそれを読んで、胸の文様に触れた。
四つの花が、温かかった。
朱色。黄金色。夜空色。真珠色。
四色が、輝いていた。
もうすぐだ。
もうすぐ、煌虹透空が完成する。
璃生は窓の外を見た。
冬の空が、澄んでいた。
星が多かった。
きれいだ、と思った。
ちゃんと、そう思えた。
ここにいていいんだ、と今夜も思えた。
---
*(第二十一章へ続く)*




