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虹色の彼岸、あなたへ〜四色の花嫁〜  作者: ふらう
第六部 「契りと愛」
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19/24

第十八章 王子との初夜リベンジ

---


## 第十八章 王子との初夜(二回目・成功)


---


 チョウチョウとの契りから、二週間が経った。


 その間も、璃生は毎日王子のもとへ通った。


 王子は毎日、修練を続けていた。


 バクシンが相手をしていた。


 璃生が本を読んでいる間、廊下の奥から、静かな音が聞こえることがあった。


 璃生は何も聞かなかった。


 王子も何も言わなかった。


 ただ、毎日、本を読んで、一緒にいた。


---


 その間にも、少しずつ変化があった。


 王子が人間の姿でいる時間が、さらに増えた。


 今では、璃生が来るときは、人間の姿で待っていることが多かった。


 刈り上げた黒髪。金色の瞳。


 璃生はその顔に、少しずつ慣れてきていた。


 慣れてきた、というより。


 好きになってきていた。


---


 ある朝のこと。


 バクシンが璃生のもとに来た。


「王子が話したいと言っています」


「はい」


「……緊張していますので、あまり笑わないでください」


「何がですか」


「王子が緊張しているのを見て、笑わないでください」


「笑いません」


「本当に」


「本当に笑いません」


 バクシンは少し複雑な顔をした。


「……おれが笑いそうなんですよね、実は」


 璃生は少し目を細めた。


「バクシンさんが笑わないようにしてください」


「努力します」


---


 王子の部屋に入った。


 王子が、人間の姿で立っていた。


 いつもより背筋が伸びていた。


 緊張している背中だった。


 バクシンの言っていた意味が分かった。


「こんにちは」


「……こんにちは」


 王子が振り向いた。


 金色の目が、璃生を見た。


 まっすぐだった。


 でも、耳が少し赤かった。


「……話がある」


「はい」


「……座ってくれ」


 璃生は座った。


 王子も座った。


 向かい合った。


 王子は少し間を置いた。


「……修練を、続けていた」


「はい」


「……毎日やっていた。バクシンに付き合ってもらって」


「知っています」


「……先週、バクシンに確認してもらった。力加減が、前より安定していると言われた」


「そうですか」


「……百パーセントではない。でも、前よりは」


「はい」


 王子が璃生を見た。


 金色の瞳が、真剣だった。


「……もう一度、させてほしい」


 璃生は聞いた。


「縁を、ちゃんと結びたい。今度こそ」


「はい」


「……傷つけるかもしれない。それが怖い」


「はい」


「……でも、したい。ちゃんとしたい」


 璃生は王子を見た。


 真剣な目だった。


 怖がっている目だった。


 でも、まっすぐな目だった。


「わたしも、したいです」


「……怖くないか」


「少し怖いです」


「……それでも」


「王子様と、ちゃんとしたいです」


 王子は少し目を細めた。


「……前回、傷つけた。それを、忘れていないか」


「忘れていないです」


「……怖くないのか、本当に」


「少し怖いです。でも、王子様が修練してくれたことも、知っています」


「……百パーセントではない」


「はい」


「……それでも」


「それでも、一緒にいたいです」


 王子は、しばらく璃生を見た。


 長い間、見た。


「……ありがとう」


「こちらこそ」


「……何がだ」


「修練してくれたことに。毎日続けてくれたことに」


 王子は、耳が赤くなった。


「……それは、当然のことだ」


「当然ではないです。大変だったと思います」


「……うるさい」


「ありがとうございます」


「……うるさい」


---


 その夜のことだった。


 部屋が、静かだった。


 夜の空気が、窓から少し入っていた。


 王子が来た。


 人間の姿だった。


 璃生の部屋に入ってきた。


 扉を閉めた。


 璃生を見た。


---


 緊張していた。


 王子が、ひどく緊張していた。


 分かった。


 体の緊張が、見えた。


「……緊張していますね」


「……うるさい」


「わたしも緊張しています」


「……そうか」


「同じですね」


「……同じじゃない」


「どちらが緊張していますか」


「……おれのほうが、もっと」


「なぜですか」


「……また、傷つけるかもしれないから」


 璃生は王子を見た。


「王子様」


「なんだ」


「傷つけることを、一番怖がっているのは、王子様ですよね」


「……そうだ」


「わたしが傷つくことより、わたしを傷つけることのほうが、怖いんですよね」


 王子は、少し間を置いた。


「……ああ」


「それが分かるから、大丈夫だと思えます」


「……なぜ」


「わたしのことを、一番怖がってくれているから」


 王子は、璃生を見た。


 金色の瞳が、揺れた。


「……変な理屈だ」


「そうですか」


「……でも、分かった」


---


 王子が近づいた。


 ゆっくりだった。


 前回よりも、もっとゆっくりだった。


 璃生の前に来て、止まった。


「……いいか」


「はい」


「……怖くなったら言ってくれ」


「言います」


「……すぐに止める」


「はい」


「……傷つけたら、今度こそ、二度とこういうことはしない」


「傷つけないと思います」


「……なぜ」


「修練してきたから。わたしのことを怖がってくれているから」


「……保証はない」


「でも、信頼しています」


 王子は、璃生を見た。


 長い間、見た。


 それから、そっと手を伸ばした。


 璃生の頬に、触れた。


---


 壊れ物を扱うような手だった。


 前回も丁寧だったが、今回はもっと丁寧だった。


 一ミリずつ確かめるような、触れ方だった。


「……大丈夫か」


「大丈夫です」


 王子の手が、少し動いた。


「……今は」


「大丈夫です」


 もう少し動いた。


「……今も」


「大丈夫です」


 璃生は、ちゃんとそこにいようとした。


 感覚を遠ざけないで、ちゃんといようとした。


 怖い、という感覚が来た。


 でも、王子の手が温かかった。


 大きくて、丁寧で、温かい手だった。


 怖さと温かさが、並んでいた。


---


 少しずつ、進んだ。


 王子は毎回確認した。


「……大丈夫か」


「大丈夫です」


「……無理していないか」


「していないです」


「……本当に」


「本当に」


 璃生の答えを、全部聞いた。


 答えが来るまで、待った。


 答えが来てから、動いた。


---


 途中で、璃生が感じた。


 王子の感情が、高ぶってきた。


 前回と同じように。


 璃生は少し構えた。


 でも、今回は違った。


 王子が止まった。


 自分で止まった。


 深呼吸した。


 一回。


 二回。


 それから、また続けた。


 爪は変わらなかった。


 人間の爪のままだった。


 壊れ物を扱うような手のままだった。


---


 璃生は、それを感じた。


 止まれた。


 自分で止まれた。


 修練の成果だと思った。


 毎日続けてくれていた修練の、成果だと思った。


 胸の中で、何かが温かくなった。


---


 夜が深まった。


 王子は丁寧だった。


 ひどく丁寧だった。


 璃生はちゃんとそこにいた。


 全部、感じた。


 怖い、という感覚もあった。


 温かい、という感覚もあった。


 大きい手だな、という感覚もあった。


 静かだな、という感覚もあった。


 全部、本物だった。


---


 終わったとき、王子が璃生を見た。


 金色の目が、璃生を見た。


「……大丈夫か」


「大丈夫です」


「……傷は」


「ないです」


「……本当に」


「確認しますか」


「……する」


 確認した。


 傷はなかった。


 王子が、深く息を吐いた。


「……よかった」


 声が、少しかすれていた。


「王子様」


「なんだ」


「ありがとうございます」


「……何がだ」


「丁寧にしてくれたことに。止まってくれたことに」


「……当然のことだ」


「当然ではないです。大変だったと思います」


「……うるさい」


「ありがとうございます」


 王子は黙った。


 璃生の横に、横になった。


 天井を見た。


---


 しばらく、二人とも黙っていた。


 静かだった。


 夜の静けさだった。


 窓から、星の光が少し入っていた。


「……怖かったか」


「少し」


「……すまない」


「謝らなくていいです」


「……でも、怖かったんだろう」


「少しありましたけど、温かいのほうが大きかったです」


「……温かい」


「王子様の手が、温かかったです」


 王子は少し間を置いた。


「……狼のときも、温かいと言っていたな」


「はい。毛が温かかったです」


「……人間の姿のほうが、温かいか、狼のほうが温かいか」


「どちらも温かいです」


「……同じか」


「はい、同じです。王子様だから、どちらも温かいです」


 王子は天井を見たまま、少し動いた。


「……変なことを言う」


「本当のことを言いました」


「……変な人間だ、おまえは」


「よく言われます」


「誰に」


「チョウチョウさんに。たまにコールさんに」


「……そうか」


 王子は少し間を置いた。


「……おれも、同じことを思っていた」


「変な人間だということですか」


「……それもある。でも、それだけじゃない」


「何がですか」


「……面白い人間だと思っていた」


「面白い」


「……毎日来て、本を読んで、怒鳴られても次の日にまた来た。変だと思った。でも、面白かった」


「そうですか」


「……あと」


 止まった。


「あと?」


「……かわいいと思っていた」


 璃生は少し驚いた。


「わたしが、ですか」


「……うるさい、忘れてくれ」


「忘れません」


「……忘れてくれ」


「かわいいと思ってくれていたんですね」


「……言うな」


「ありがとうございます」


「……礼を言うな」


「言います」


 王子が、深く息を吐いた。


---


 しばらくして、璃生は笑いそうになった。


 こらえた。


 でも、笑いそうになった。


「……なぜ笑っている」


「笑っていないです」


「笑っている」


「気のせいです」


「笑っている。なぜだ」


「……かわいいと思っていた、と言ってくれた王子様が、かわいいと思いまして」


 王子が固まった。


「……おれが、かわいい」


「はい」


「……どういう意味だ」


「そのままの意味です」


「……おれは、かわいくない」


「かわいいです」


「……かわいくない」


「耳が赤いのが、かわいいです」


「……耳は赤くない」


「今、赤いです」


「……うるさい」


「本当のことを言いました」


 王子が璃生を向いた。


 金色の目が、璃生を見ていた。


「……変な人間だ」


「はい」


「……でも」


「でも?」


 王子が、少し困った顔をした。


 困った顔のまま、言った。


「……好きだ」


 璃生は、王子を見た。


 金色の目が、まっすぐだった。


「わたしも、好きです」


「……即答するな」


「考えなくても分かります」


「……なんで」


「王子様が、毎日待っていてくれたから。扉を開けて、待っていてくれたから」


 王子は少し間を置いた。


「……それだけで分かるのか」


「それだけで十分です」


 王子は天井を向いた。


 また、耳が赤かった。


「……変な人間だ」


「はい」


「……もう寝る」


「はい」


「……おやすみ」


「おやすみなさいです」


---


 王子が目を閉じた。


 璃生もしばらく天井を見ていた。


 それから、目を閉じた。


 隣に、温かい気配があった。


 大きな気配だった。


 でも、怖くなかった。


 温かかった。


---


 璃生は眠りに落ちる前に、思った。


 ここにいていいんだ、と今日も思えた。


 隣に誰かがいて、温かくて。


 それが、怖くなかった。


 笑いながら、いられた。


 それが、なんというか。


 奇跡みたいだと思った。


---


 翌朝。


 目が覚めたとき、王子がまだいた。


 眠っていた。


 璃生は起き上がらないで、しばらく王子を見た。


 人間の姿で眠っている顔は、狼のときとは違う顔だった。


 でも、どこかが似ていた。


 何が似ているのか、しばらく考えた。


 静かさが、似ていた。


 眠っているときの静けさが、狼のときも人間のときも、同じだった。


 璃生はそれを見ながら、ただいたな、と思った。


 特別なことではなかったが、特別な感覚だった。


---


 しばらくして、王子が目を開けた。


 璃生を見た。


「……起きていたのか」


「はい」


「……何を見ていた」


「王子様の顔」


「……見るな」


「静かな顔でしたよ」


「……うるさい」


 王子が起き上がった。


 黒髪が、少し乱れていた。


「……寝ぐせがついています」


「……見るな」


「かわいいです」


「……かわいくない」


「かわいいです」


「……うるさい」


 王子が手で髪を直した。


 璃生はそれを見て、笑った。


 今度は声に出して笑った。


 小さく、でもちゃんと笑った。


---


 王子が璃生を見た。


 怒っていなかった。


 困った顔をしていた。


 でも、口元が、少し動いていた。


「……笑うな」


「すみません」


「……謝るな」


「どちらですか」


「……うるさい」


 王子が立ち上がった。


 服を整えた。


 扉に向かった。


 扉の前で、止まった。


 昨夜のチョウチョウと同じように、扉の前で止まった。


 振り向いた。


「……また来る」


「はい」


「……明日も」


「わたしも行きます」


「……本を、持ってきてくれ」


「何がいいですか」


「……続き」


「旅の物語の続きですね」


「……ああ」


「分かりました」


 王子は、また少し間を置いた。


「……昨夜のことを、後悔していないか」


「していないです」


「……傷がなくて、よかったか」


「よかったです。王子様が止まってくれたおかげです」


「……修練した」


「はい」


「……おまえのために」


「知っています」


「……それで、十分か」


「十分です。ありがとうございます」


 王子は、少し間を置いた。


「……礼を言うな」


「言います」


「……勝手にしろ」


 扉が開いた。


 出ていく前に、一瞬だけ振り向いた。


 金色の目が、璃生を見た。


「……おやすみ」


「おはようございます」


「……朝だったか」


「朝です」


「……おはよう、では」


「おはようございます」


 扉が閉まった。


---


 璃生は、閉まった扉をしばらく見た。


 それから、自分の胸の文様に触れた。


 服の合わせをそっと開いた。


---


 黒椿の輪郭が、そこにあった。


 白くなかった。


 白ではなかった。


 夜空の色だった。


 深い群青の中に、黒が滲んでいた。


 鮮やかだった。


 夜空そのものの色で、輝いていた。


 深群青に滲む黒。


 光の当たり方によって、深い紫が混じった。


 星のない夜空のような、でも深くて美しい色だった。


 黒椿が、完成していた。


---


 璃生は、しばらくそれを見た。


 金木犀と、黒椿。


 二つの花が、朱色の彼岸花のそばで、鮮やかに輝いていた。


 あと一つ。


 水仙が、まだ白かった。


 でも、白の中に、真珠色の気配が、確かにあった。


---


 璃生は服を戻した。


 窓の外を見た。


 朝の光が入っていた。


 青い空だった。


 きれいだ、と思った。


 ちゃんと、そう思えた。


---


 昼前に、廊下でバクシンに会った。


 バクシンが、璃生を見た。


 一瞬で、分かったらしかった。


「……よかったですか」


「よかったです」


「……傷は」


「ないです」


 バクシンが、深く息を吐いた。


「……よかった。本当に、よかった」


「バクシンさん」


「はい」


「王子様の修練に、毎日付き合ってくれていましたよね」


「……はい」


「ありがとうございます」


 バクシンは、璃生を見た。


「……おれに、礼を言うんですか」


「王子様のために動いてくれていたので」


「……それは、当然のことで」


「当然ではないです。ありがとうございます」


 バクシンは、しばらく璃生を見た。


 それから、顔を覆った。


「……泣きそうです」


「泣いていいですよ」


「……泣きません。男泣きはしません」


「してもいいです」


「……しません」


 バクシンが手を下ろした。


 目が、少し赤かった。


「……王子が、今朝、少し違う顔をしていました」


「そうですか」


「……照れていましたが、それより、すっきりした顔をしていました」


「そうですか」


「……よかったです。本当に」


「わたしも、よかったです」


 バクシンは、また目が赤くなりそうになった。


 壁を向いた。


「……少し、待ってください」


「はい」


「……こみ上げてくるので」


「どうぞ」


---


 その夜。


 璃生は日記を書いた。


---


 今日、黒椿の文様が色づきました。


 王子様の色です。


 夜空の色でした。


 深群青に黒が滲んでいて、とてもきれいでした。


 昨夜、笑いながら一緒にいられました。


 それが、なんというか、奇跡みたいだと思いました。


 怖いという感覚は、少しありました。


 でも、温かいのほうが、大きかったです。


 二つの花が色づきました。


 あと一つ。


---


 書いて、コールへの日記も書いた。


---


 コール様へ


 今日は少し、報告があります。


 黒椿の文様が色づきました。


 夜空の色です。


 とてもきれいでした。


 あと一つ、水仙の文様が色づけば、全部揃います。


 まだ時間がかかるかもしれないですが、焦っていないです。


 今日の夕方の図書館は、いつもより少し明るい気がしました。


 コールさんのお茶が、今日も美味しかったです。


 ニジトセ


---


 書いて、ノートを閉じた。


 窓の外を見た。


 夜空だった。


 星が出ていた。


 深群青の夜空に、星がきらきらしていた。


 黒椿の色と、同じ色だと思った。


 璃生は窓に手を当てた。


 胸の文様が、温かかった。


 二つの花が、輝いていた。


 あと一つ。


 水仙が、待っていた。


---


 翌朝届いたコールの日記には、こう書いてあった。


---


 黒椿が色づいた、と書いてあった。


 夜空の色だと。


 水仙は、まだ白いと書いてあった。


 焦っていないと書いてあった。


 わたしも、焦っていない。


 ただ。


 水仙が色づいたとき、どんな色になるのか。


 少し、気になっている。


 気になっているというのは、おかしな感覚だ。


 自分の文様が、どんな色になるのかを、気にしている。


 おかしいと思うが、気になっている。


 別に、急がなくていい。


 ただ、気になっている。


 コール


---


 璃生は日記を読んだ。


 読んで、少し口元が動いた。


 コールさんが、気になっていると書いてくれた。


 焦っていないけど、気になっている。


 それが、コールさんらしかった。


 璃生はノートを胸に当てた。


 温かかった。


 今日も、図書館へ行こう。


 そう思いながら、支度を始めた。


---


*(第十九章へ続く)*

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