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虹色の彼岸、あなたへ〜四色の花嫁〜  作者: ふらう
第六部 「契りと愛」
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18/24

第十七章 チョウチョウとの契り

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## 第十七章 チョウチョウとの契り


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 王子との初夜から、十日が経った。


 肩の傷は、もうほとんど治っていた。


 セイネが最後の確認をして、包帯が取れた。


 薄い傷跡が残っていた。


 璃生はそれを見て、しばらく触れた。


 痛くなかった。


 ただ、そこにある。


---


 包帯が取れた日の夕方。


 チョウチョウが、部屋に来た。


 ヤコがお茶を用意して、出ていった。


 二人になった。


 チョウチョウは椅子に座って、璃生を見た。


「肩は治ったか」


「はい。今日、包帯が取れました」


「そうか」


「傷跡は少し残っています」


「……見ていいか」


 璃生は少し考えて、袖をずらした。


 肩のあたりに、薄い傷跡があった。


 チョウチョウはそれを見た。


 何も言わなかった。


 でも、顔が、少し固くなった。


「大丈夫です」


「……分かってる」


「王子様は、毎日修練を続けています」


「知ってる。バクシンから聞いた」


「そうですか」


 チョウチョウは視線を外した。


 窓の外を見た。


「……王子のことが、好きか」


 璃生は少し考えた。


「好きです」


「怖くないか」


「怖い部分は、あります。でも好きです」


「両方あるのか」


「両方あります」


 チョウチョウは窓の外を見たまま言った。


「……おれも、ニジトセ様のことが好きだ」


 璃生は聞いた。


「……最初は、情報として見ていた。でも、今は違う。本当に、好きだ」


「はい」


「……それは、分かるか」


「分かります」


「分かるのか」


「チョウチョウさんが、本当のことを言っているのは分かります」


 チョウチョウが璃生を向いた。


 琥珀色の目が、まっすぐだった。


「……縁を結びたい」


 静かだった。


 璃生は、チョウチョウを見た。


「俺とも、縁を結んでほしい」


「はい」


「……即答するな」


「考えなくても分かります」


「なんで」


「チョウチョウさんだから、大丈夫だと思えます」


 チョウチョウは少し目を細めた。


「……王子の件があったばかりだ。怖くないか、本当に」


「怖い部分は、あります」


「それでも」


「それでも、します」


 チョウチョウは少し間を置いた。


「……なんで、そんなに真っ直ぐ言えるんだ」


「チョウチョウさんが、最初から本当のことを言ってくれるから」


「最初から、ではないぞ」


「途中から、本当のことを言ってくれるから」


「……それも、怪しい」


「でも今は言ってくれています」


「……今は言っている」


「だから、信頼しています」


 チョウチョウは、璃生を見た。


 しばらく見た。


「……本当に、変な奴だ」


「よく言われます」


「誰に」


「チョウチョウさんに」


「そうだな、おれが一番よく言う」


「はい」


 チョウチョウが、少し笑った。


 それから、真剣な顔になった。


「……いつがいいか」


「チョウチョウさんが決めてください」


「おれが」


「はい」


「……今夜でもいいか」


「はい」


---


 夜になった。


 ヤコが、部屋を整えてくれた。


 何も言わなかったが、準備をしてくれた。


 出ていくとき、璃生に頭を下げた。


「……よろしくお願いします」


 小さな声だった。


 璃生は頷いた。


---


 チョウチョウが来た。


 侍従の服から着替えていた。


 普通の、少し柔らかい服を着ていた。


 璃生の部屋に入って、扉を閉めた。


 璃生を見た。


 緊張している顔だった。


「……緊張しているんですね」


「うるさい」


「わたしも緊張しています」


「そうか」


「同じですね」


「……おれのほうが緊張してる」


「なぜですか」


「……ニジトセ様が怖くないかどうか、心配だからだ」


 璃生は少し考えた。


「わたしの心配をしているんですか」


「当たり前だろう」


「ありがとうございます」


「礼を言うな」


「言います」


 チョウチョウが、璃生の前に来た。


 距離が縮まった。


 璃生の心臓が、速くなった。


 怖い、という感覚が、少し来た。


 でも。


 チョウチョウの顔を見た。


 まっすぐな目だった。


 心配している目だった。


 怖い、という感覚より、この人は大丈夫だという感覚のほうが、少し大きかった。


---


「一個だけ、確認してもいいか」


 チョウチョウが言った。


「はい」


「怖くなったら、言ってくれ。止める」


「分かりました」


「本当に止める。言ってくれ」


「はい」


「……あと」


「はい」


「急がない。ゆっくりやる」


「はい」


「……大丈夫か」


「大丈夫です」


 チョウチョウが、璃生の頭に手を乗せた。


 頭を撫でた。


 子どもをあやすように。


「……へんな感じだな」


「何がですか」


「こんなに丁寧にしようとしているのが、自分でも変な感じだ」


「いつもと違いますか」


「……全然違う」


「どう違うんですか」


「……大事にしたいから、丁寧にしたい。そう思ったことが、あまりなかったから」


 璃生は、チョウチョウを見た。


「チョウチョウさん」


「なんだ」


「わたしのことを、大事にしてくれているんですね」


「……うるさい」


「本当のことを言いました」


「……言うな、恥ずかしい」


 チョウチョウが少し顔を赤くした。


 璃生は口元が動くのをこらえた。


---


 チョウチョウが、雑談を始めた。


「今日の図書館、コールが珍しく入口のほうまで来ていた」


「見ていたんですか」


「棚の配置を確認しに来たとか言ってたが、明らかにおれが何を読んでいるか見に来ていた」


「コールさん、気にしているんですね」


「全然気にしていないという顔で気にしていた」


「コールさんらしいです」


「……あいつ、少し面白い」


「そうですね」


「最初は怖い人間だと思っていたが、慣れたら普通だ」


「コールさんも、チョウチョウさんのことを、悪くないと思っていると思います」


「どうして分かる」


「日記に書いていました」


「……おれの話が出てくるのか、コールの日記に」


「少し」


「……なんと書いてあった」


「気にしていないと書いてありました」


「それは気にしているということだろう」


「そうだと思います」


 チョウチョウが、少し笑った。


 璃生も笑った。


 笑いながら、気づいた。


 体の力が、少し抜けていた。


 雑談をしている間に、緊張が和らいでいた。


 チョウチョウが意図してやっていたのか、自然にそうなったのか、分からなかった。


 でも、気づいたら、体が少し楽になっていた。


---


 チョウチョウが、また璃生を見た。


 目が、今度は少し違った。


 まっすぐだったが、柔らかかった。


「……いいか」


「はい」


「怖くなったら言え」


「言います」


「本当に」


「本当に」


---


 チョウチョウは、ゆっくりだった。


 ひどくゆっくりだった。


 どこかに触れるとき、必ず確認した。


「大丈夫か」


「大丈夫です」


「ここは」


「大丈夫です」


 璃生の答えを、毎回確認した。


 答えが来てから、動いた。


 答えが来るまで、待った。


---


 璃生は、ちゃんとそこにいようとした。


 感覚を遠ざけないで、ちゃんとそこにいようとした。


 怖い、という感覚が来た。


 来たとき、チョウチョウが止まった。


「怖いか」


「……少し」


「やめるか」


「……やめないです。少し待って」


「待つ」


 チョウチョウが待った。


 璃生は深呼吸した。


 チョウチョウの顔を見た。


 まっすぐな目だった。


 心配している目だった。


 待っていてくれる目だった。


「……大丈夫です」


「本当か」


「本当です」


---


 ゆっくりと、時間が流れた。


 チョウチョウは急がなかった。


 璃生が答えるたびに、少しずつ進んだ。


 璃生は、感覚が遠ざからないように、意識していた。


 怖い、という感覚があった。


 でも、温かい、という感覚もあった。


 チョウチョウの手が温かかった。


 あの握手のときと同じ温かさだった。


 温かい人だ、と思った。


 怖いより、温かいのほうが、少しずつ大きくなっていった。


---


 夜が深まった。


 璃生は、ちゃんとそこにいた。


 感覚を遠ざけなかった。


 全部、感じた。


 怖いも、温かいも、両方感じた。


 どちらも本物だった。


---


 終わったあと、チョウチョウが璃生の隣に横になった。


 天井を見ていた。


 璃生も天井を見ていた。


 静かだった。


「……大丈夫か」


「大丈夫です」


「怖かったか」


「少し、ありました」


「……すまない」


「謝らなくていいです」


「でも、怖かったんだろう」


「少しありましたけど、温かいのほうが大きかったです」


 チョウチョウは少し間を置いた。


「温かい」


「チョウチョウさんの手が、温かかったです」


「……手が温かいのは、体質だ」


「知っています。握手したときから分かっていました」


「……あのとき、怖くなかったか」


「あのときも、少し怖かったです。でも温かかったです」


「両方あったのか、あのときから」


「はい」


 チョウチョウは天井を見たまま言った。


「……おれは、昔から、人を情報として見てきた」


「はい」


「大事にする、という感覚が、よく分からなかった。ヤコのことは大事だと思っていたが、それは妹だから当然で、そういう感覚だと思っていた」


「はい」


「でも、今夜」


 止まった。


「今夜、ニジトセ様を大事にしたいと思った。それが、ヤコのときと同じ感覚だった」


「そうですか」


「……家族みたいな、という意味じゃない」


「分かっています」


「大事にしたい、という感覚が、こういう形でも来るんだと思った」


「はい」


「……それが分かって、少し驚いている」


 璃生は少し口元が動いた。


「チョウチョウさんは、自分の感情に驚いているんですね」


「……うるさい」


「正直ですね」


「うるさいと言っている」


「ありがとうございます」


「礼を言うな」


「言います」


チョウチョウが、深く息を吐いた。


---


 しばらくして、チョウチョウが言った。


「……好きだ」


 天井を見たまま言った。


「はい」


「ニジトセ様のことが、好きだ」


「はい」


「……答えなくていい。ただ言いたかっただけだ」


 璃生は少し間を置いた。


「わたしも」


「……言わなくていい」


「言います」


「なんで」


「言いたいから」


 チョウチョウが、璃生を向いた。


 琥珀色の目が、璃生を見た。


「……言え」


「チョウチョウさんのことが、好きです」


 チョウチョウは少し固まった。


「……なんで、そんなに真っ直ぐ言えるんだ」


「本当のことを言っているので」


「……おれより真っ直ぐだ」


「チョウチョウさんも真っ直ぐですよ。さっき、好きだと言いました」


「……天井に向かって言った」


「聞こえていました」


「……知ってる」


 チョウチョウが、また天井を向いた。


 耳が赤かった。


 璃生はそれを横目で見た。


かわいいな、と思った。


 素直にそう思えた。


---


 翌朝。


 目が覚めたとき、チョウチョウがまだいた。


 横で眠っていた。


 璃生は起き上がらないで、しばらくチョウチョウを見た。


 眠っている顔は、起きているときよりずっと子どもみたいだった。


 くせっ毛が、枕の上で広がっていた。


 璃生は少し笑った。


 声は出さなかった。


 でも、笑えた。


---


 しばらくして、チョウチョウが目を開けた。


 璃生を見た。


「……起きていたのか」


「はい」


「……何を見ていた」


「チョウチョウさんの寝顔」


「……見るな」


「かわいかったです」


「……絶対に言うな」


「本当のことを言いました」


「……本当のことでも言うな」


 チョウチョウが起き上がった。


 髪が、ひどく乱れていた。


「……くせっ毛が、寝るとひどくなります」


「……今すぐ出ていかせてくれ」


「どうぞ」


「なんで笑ってるんだ」


「笑っていないです」


「笑っている」


「気のせいです」


---


 チョウチョウが立ち上がった。


 服を整えた。


 扉に向かった。


 扉の前で止まった。


「……ニジトセ様」


「はい」


「愛している」


 振り向かないで言った。


 璃生は少し驚いた。


 でも、すぐに言葉が来た。


「わたしも」


「……聞こえなかった」


「聞こえていましたよね」


「……聞こえなかった」


「チョウチョウさんのことを、愛しています」


 チョウチョウは扉を開けた。


 出ていく前に、一瞬だけ振り向いた。


 耳が真っ赤だった。


「……よろしく」


「よろしくお願いします」


扉が閉まった。


---


 璃生は、閉まった扉をしばらく見た。


 それから、自分の胸の文様に触れた。


 服の合わせをそっと開いた。


 金木犀の輪郭が、そこにあった。


---


 白くなかった。


 白ではなかった。


 黄金色だった。


 鮮やかな、黄金色だった。


 琥珀色が混じった、深みのある黄金色。


 白い輪郭だったものが、鮮やかに色づいていた。


 金木犀が、完成していた。


---


 璃生はしばらく、それを見た。


 金木犀の文様が、胸の上で輝いていた。


 朱色の彼岸花のそばに、鮮やかな黄金色の金木犀。


 生きているみたいに、温かく輝いていた。


 璃生は服を戻した。


 窓の外を見た。


 朝の光が入ってきていた。


 今日も空が青かった。


きれいだ、と思った。


 素直に、きれいだと思えた。


---


 昼前に、チョウチョウが侍従として廊下に現れた。


 いつもの服を着ていた。


 くせっ毛が、きちんと整えられていた。


 璃生を見て、少し顔が赤くなった。


「図書館へ行くか」


「はい」


「……先に行け」


「一緒に行きましょう」


「……一緒は、今日は少し」


「どうしてですか」


「……顔を見ると、さっきのことを思い出すから」


「そうですか」


「……うるさいな」


「何も言っていないです」


「顔が言っている」


「何を言っていましたか」


「かわいいとか何とか」


「言っていないです」


「顔が言ってた」


 璃生は口を閉じた。


 チョウチョウが先に歩き始めた。


 璃生はその後ろを歩いた。


 チョウチョウの背中が、今日は少し、柔らかかった。


 硬い決意の背中ではなく、少し肩の力が抜けた背中だった。


 良かったな、と璃生は思った。


 素直に、そう思えた。


---


 図書館に着いた。


 コールが、いつもより少し入口に近い場所にいた。


 璃生が入ってきたのを見て、また奥へ向かおうとした。


 チョウチョウが入ってきたのを見て、止まった。


「……おはよう」


「おはようございます」


 チョウチョウも「おはようございます」と言った。


 コールがチョウチョウを見た。


 チョウチョウがコールを見た。


「……昨日は来なかった」


「用事がありました」


「……そうか」


「今日は読みます」


「……第五巻まで読んだか」


「読みました。難しかったです」


「……どこが分からなかった」


「エルメキアの章が全部」


「……来い」


 コールが、チョウチョウを奥の本棚へ案内した。


 璃生はそれを見た。


 コールが自分から、チョウチョウを案内していた。


 璃生は椅子に座って、本を開いた。


 本棚の奥から、低い声が二つ、説明と質問を繰り返している音がした。


---


 お茶の時間になった。


 コールがお茶を用意した。


 カップが、三つあった。


 今日は三つ。


 璃生のカップと、コールのカップと。


 もう一つ。


 コールが、チョウチョウのほうへカップを持っていった。


「……飲むか」


 チョウチョウは少し驚いた顔をした。


「……いただきます」


「礼は要らない」


「でも言います」


「……勝手にしろ」


 コールが自分の場所へ戻った。


 チョウチョウが入口のほうへ戻って、カップを持ちながら本を読んだ。


 三人で、静かに、それぞれの時間を過ごした。


---


 夕方、図書館を出るとき、チョウチョウが璃生に小声で言った。


「コール、カップを三つ用意していたな」


「そうですね」


「……あいつ、おれのことを考えていたのか」


「合理的な判断だと思います」


 チョウチョウが少し笑った。


「……そうか」


「はい」


「……悪くないな」


「何がですか」


「ここに毎日来るのが」


 璃生は少し間を置いた。


「そうですね」


「最初は分からなかったが、毎日来ていたら分かってきた。おまえがなんで毎日来るのか」


「どうして来るのか、分かりましたか」


「……ここに、大事なものがあるからだろう」


「はい」


「……おれも、そう思えてきた」


 璃生はチョウチョウを見た。


 琥珀色の目が、図書館の扉を見ていた。


 柔らかい目だった。


「チョウチョウさん」


「なんだ」


「来てくれてありがとうございます。毎日」


「礼を言うな」


「言います」


「……本当に勝手だな」


「そうですね」


 チョウチョウが歩き始めた。


「行くぞ、夕食の時間だ」


「はい」


 廊下を並んで歩いた。


 夕方の光が、窓から差し込んでいた。


 橙色の光だった。


 チョウチョウの黄金色の巻き毛が、その光の中で輝いていた。


 璃生は横目でそれを見た。


 きれいだな、と思った。


 金木犀の色だな、と思った。


 素直に、そう思えた。


---


 その夜。


 璃生は日記を書いた。


---


 今日、金木犀の文様が色づきました。


 チョウチョウさんの色です。


 鮮やかな黄金色でした。


 見たとき、きれいだと思いました。


 怖かったことも、ありました。


 でも、温かかったことのほうが、大きかったです。


 チョウチョウさんが、大事にしてくれました。


 わたしも、大事にしたいと思いました。


 三つの花のうち、一つが色づきました。


 あと二つ。


---


 書いて、ノートを閉じた。


 コールへの日記も、今日は少し書いた。


---


 コール様へ


 今日、図書館で三人分のカップがありました。


 ありがとうございます。


 ニジトセ


---


 短く書いた。


 それで十分だと思った。


 明日届くコールの日記が、楽しみだった。


---


 翌朝、届いたコールの日記には、こう書いてあった。


---


 三人いるなら、三つあるほうが合理的だ。


 それだけだ。


 今日、ファーブ族がエルメキアの章を全部分からなかったと言った。


 説明した。


 思ったより、聞き方が素直だった。


 教えやすかった。


 別に、悪くなかった。


 コール


---


 璃生は日記を読んで、また笑った。


 今日も一人で、声に出さずに笑った。


 コールさんは、悪くなかったと言いながら、教えるのが楽しかったのだろう。


 それが分かることが、嬉しかった。


 璃生は日記を閉じて、支度を始めた。


 今日も、図書館へ行こう。


 今日も、王子のもとへ行こう。


 そう思いながら。


---


*(第十八章へ続く)*

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