第8話 今度は私の配信よ
放課後、俺たちは昨日と同じ東京第三ダンジョンの入口に立っていた。
違うのは、お嬢様が配信開始ボタンを押す前から、待機画面に表示されている人数が三千人を超えていることだった。
昨日は配信を始めても数人しかいなかったことを考えると、ずいぶんな変化だ。
「三千二百……三千四百……まだ始めてないのに増えてるわね」
お嬢様はスマートフォンの画面を確認しながら、いかにも平静そうな声を出している。
ただし、その口元はかなり緩んでいた。
「よかったですね」
「当然でしょう。昨日の配信を見た人たちが、十六夜紅羽をもう一度見たいと思ったのよ」
昨日のコメント欄に俺のことを書いている人間がかなりいた気もするが、それを今わざわざ言う必要はない。
そもそも俺の役目は変わっていない。
今日もカメラを持ち、お嬢様が安全に探索できるよう周囲を確認するだけだ。
昨日の失敗を踏まえて、装備の点検はいつも以上に念入りに行った。お嬢様のシールドは満充電、剣にも異常はなく、予備の装備も揃っている。
探索経路についても、今日は浅層の中でも出現する魔物の種類が安定している区域を選んでいた。
水城さんに言われたから、というだけではない。俺も昨日の判断が甘かったと思っている。
「征司」
お嬢様がこちらを見る。
俺が親指を立てると、ようやく配信を開始した。
「ごきげんよう。昨日に引き続き、十六夜紅羽よ。今日もダンジョンへ来たわ」
開始と同時にコメント欄が動き始めた。
『きた』
『お嬢様待ってた』
『昨日の新人だ』
『生きてたかw』
『カメラマンいる?』
『護衛くんは?』
『男の従者出して』
最初の数行だけで、俺についてのコメントがかなり混ざっている。
お嬢様も当然見えているはずだ。
笑顔のまま眉だけが微妙に動いた。
「昨日は少し予定外のこともあったけれど、今日はその反省も踏まえて安全に進めるわ。それと先に言っておくけれど、今日は私の配信だから撮影係を映す予定はないわよ」
『牽制早くて草』
『撮影係って言い方』
『声だけでも』
『昨日の戦闘もう一回見たい』
『お嬢様も見に来てるから安心しろ』
最後のコメントを見つけたのか、お嬢様の機嫌が少し戻った。
「分かっている人もいるじゃない。それじゃあ始めましょうか」
俺はお嬢様の後ろについてゲートを通った。
ダンジョンへ入ると、昨日と同じようにリターンシールドが作動する。俺は自分の表示を確認し、そのままお嬢様の残量も見る。
百。
問題ない。
今日は最初から俺が指示を出さなくても、お嬢様の動きは昨日より慎重だった。
角を曲がる前には足を止めて先を確認し、魔物を見つけてもすぐには近づかない。相手の数と周囲の広さを確認してから剣を抜いている。
昼休みに水城さんから散々言われたことを、本人なりに気にしているらしい。
「昨日と同じ種類ね。あれなら問題ないわ」
前方には犬ほどの大きさの四足型魔物が一体いる。
俺も周囲へ視線を走らせる。
別個体の気配はない。
お嬢様が一人で戦っても問題ないと判断し、俺はカメラの位置を少し下げた。
画面の中央にお嬢様と魔物の両方が入る。
「昨日は最初の一体に攻撃をもらったけれど、今日はそうはいかないわよ」
『ちゃんと復習してる』
『昨日より慎重だな』
『お嬢様がんばれ』
魔物が先に動いた。
低い姿勢から飛びかかってくる。
昨日のお嬢様なら、相手が動いてから慌てて避けていた。
今日は違った。
飛びかかる直前に重心が前へ移ったのを見て、すでに横へ動き始めている。
爪が空を切った。
お嬢様はすれ違う勢いを利用するように剣を振り、魔物の背中へ刃を当てた。
一撃では倒れない。
それでも無理に追わず、一歩下がって構え直す。
俺はカメラ越しにその動きを見ながら、少し感心していた。
昨日の戦闘後に俺が指摘した部分を、ちゃんと直している。
お嬢様は昔から覚えが悪い方ではない。
勉強に関しては興味のあるなしで成績にかなり差が出るが、自分でやると決めたことについては飲み込みが早かった。
魔物が二度目の突進を仕掛ける。
今度もかわし、そのまま首元へ剣を入れた。
魔物が床に倒れる。
お嬢様のシールド残量は百のままだ。
「どう?」
『ノーダメじゃん』
『昨日より普通に上手い』
『学習早くね』
『お嬢様強い』
『護衛出番なしw』
お嬢様は最後のコメントまで確認して、満足そうに笑った。
「当然よ。毎回征司に助けてもらうと思ったら大間違いなんだから」
俺の名前を出す必要があったのだろうか。
案の定、コメント欄がまた動く。
『征司っていうの?』
『名前出たぞ』
『征司くん』
『従者くん名前判明』
お嬢様が固まった。
俺はカメラの外から自分を指差し、それから首を傾ける。
今、自分で言いましたよね、という意味だ。
「今のは忘れなさい」
『無理です』
『切り抜き確定』
『征司くん把握』
『お嬢様墓穴掘ってて草』
お嬢様は不満そうな顔をしたが、さすがにコメント欄を相手にどうにかできる話でもない。
俺としても名前くらいなら問題なかった。
住所や学校名まで特定されるのは困るが、配信に同行し続ける以上、いつまでも完全に匿名というわけにもいかないだろう。
探索を再開する。
二体目、三体目と遭遇した魔物も、お嬢様は危なげなく倒した。
特に三体目では、一度攻撃を避けたあと相手との距離を取り直し、無理に反撃しなかった。
昨日ならそのまま追っていたかもしれない。
「慎重すぎるくらいでいいって、今日散々言われたからね」
『誰に?』
『カメラマン?』
『学校の先生とか?』
お嬢様が一瞬こちらを見る。
俺は首を横に振った。
水城さんの名前を勝手に出す必要はない。
「知り合いよ。昨日の戦い方について説教されたの」
『正論言われてて草』
『昨日はマジで危なかった』
『シールド21で続けてたもんな』
お嬢様は反論しかけたようだが、途中で口を閉じた。
「まあ、昨日については私も悪かったわ。面白い配信にするのも大事だけれど、そのせいで次の配信ができなくなったら意味がないもの」
俺は少し意外に思ってお嬢様を見る。
昼休みに水城さんが言っていたことを、かなり素直に受け入れている。
人前なので格好をつけているだけかもしれないが、そうだとしても昨日よりはいい。
『ちゃんと反省できてえらい』
『お嬢様成長してる』
『昨日から見てると応援したくなるな』
コメント欄にも好意的な反応が増えている。
昨日は強敵との遭遇と俺が飛び出した場面ばかりが話題になっていたが、今日はお嬢様自身の戦闘について書く人間が多い。
俺としては、その方が正しいと思う。
今日はまだ俺は何もしていない。
カメラを持ち、周囲を確認しているだけだ。
それでも配信は成立しているし、視聴者数も開始時の三千人から五千人近くまで増えていた。
つまり昨日のバズだけではなく、お嬢様自身を見たい人間も残っているということだろう。
俺は画角を調整しながら、少し離れたところを歩くお嬢様を見る。
本人はコメントを読みながら、自信満々に次の目標を話している。
「今日のところはこの区域をもう少し進んで、一時間経ったら戻るわ。昨日みたいに予定外の魔物が出ても、今度はちゃんと逃げるから安心しなさい」
『成長した』
『フラグ立てるな』
『護衛くん暇そう』
『暇な方がいいんだよなあ』
最後のコメントには俺も同意だった。
護衛が暇なら、それが一番いい。
お嬢様が自分で戦い、自分の力で配信を成立させ、そのまま無事に帰る。
俺はそれを少し後ろから撮っていればいい。
今日の配信は、その形で最後まで進んだ。
一時間後、予定通り入口へ戻った時点で、お嬢様のシールド残量は九十二。
倒した魔物は七体。
強制帰還も、俺が戦う必要もなかった。
配信終了時の同時接続者数は六千八百人まで増えていた。
「どうよ、征司。今日は文句ないでしょう?」
配信を切った途端、お嬢様が胸を張ってこちらを振り返る。
「はい。昨日よりずっと良かったと思います」
「でしょう?」
俺が素直に認めると、お嬢様は満足そうに笑った。
少なくとも今日の数字に関しては、俺が珍しがられたから増えたとは言いにくい。
十六夜紅羽自身を見に来る人間が、ちゃんと増え始めている。
家を再興する方法はまだ何も決まっていないが、有名になるという最初の目的についてだけなら、お嬢様は俺が心配していたより上手くやれるのかもしれなかった。
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