第6話 有名になった後のこと
教室へ入って最初に感じたのは、昨日までより明らかに視線が多いことだった。
普段から男というだけで多少は見られるので、俺自身はそれほど珍しいことだと思わなかったが、今日は視線の向かう先が少し違う。俺を見たあと、そのまま後ろから入ってきたお嬢様へ目を移す女子が多く、何人かはスマートフォンの画面と見比べている。
昨日の配信が広まった影響らしい。
「ずいぶん見られていますね」
俺が小声で言うと、お嬢様は鞄を机へ置きながら満足そうに髪を払った。
「当然でしょう。昨日まで知らなかった十六夜紅羽という名前を、一晩で一万人以上が覚えたんだもの」
「学校中が登録者というわけではないと思いますが」
「細かいことを気にしないの」
細かい話ではない気もするが、本人が機嫌よくしているならわざわざ否定する必要もない。
実際、席へ向かう途中で何人かの女子から声を掛けられたのはお嬢様の方だった。
「十六夜さん、昨日の配信見たよ」
「ホーンハウンド出てきたとこ怖かった」
「次も配信するの?」
お嬢様はそういう声にも慣れた様子で応じている。
相手が同級生でも必要以上にへりくだらず、かといって露骨に偉そうにもならない。その辺りの距離感は昔からうまい。
「もちろん続けるわよ。昨日はまだ十六夜紅羽の一部しか見せていないもの」
本人は本気で言っている。
周囲の女子たちは面白がって笑いながら、それでも好意的な反応を返していた。
やはりお嬢様はこういう場に向いている。
俺が少し離れた席から様子を見ていると、向こうもこちらに気づいたらしく、何人かの視線が俺へ移った。
「九条君も出るの?」
「昨日の最後の人って九条君でしょ?」
「ほんとにカメラやってたんだ」
質問されても、答える内容はあまりない。
「基本は撮影です」
「戦わないの?」
「お嬢様の護衛が必要なら戦います」
そう答えると、なぜか妙に静かになった。
何か変なことを言ったつもりはない。
俺が席へ座ると、お嬢様がこちらへ歩いてきて、そのまま机の横へ立った。
「征司」
「何です?」
「今日は妙に喋るじゃない」
「聞かれたので答えただけです」
お嬢様は一度周囲を見回し、それから俺の肩へ手を置いた。
ここ数日、他の女に見られるたびに触ってくる頻度が上がっている気がする。
「まあいいわ。余計なことだけは言わないでちょうだい」
「十六夜家の内情なら話しませんよ」
「そういう意味じゃないんだけど」
何の意味なのか説明しないまま、お嬢様は自分の席へ戻っていった。
授業が始まるまでまだ少し時間がある。
俺は昨日から考えていたことを思い出し、お嬢様の机まで向かった。
「そういえば、お嬢様」
「何?」
「有名になったことですし、これからどうするんですか」
お嬢様の動きが止まった。
開きかけていた教科書を机の上へ置き、ゆっくりこちらを見る。
「どうする、というのは?」
「十六夜家を再興するために有名になると言っていたでしょう。昨日で最初の目標はある程度達成しました。その次です」
俺としては普通に聞いたつもりだった。
一万人で家の再興するには十分とは思わないが、何も知られていなかった状態から考えれば大きな変化だ。多少でも予定があるなら、今のうちに聞いておいた方が従者としても動きやすい。
お嬢様は少しの間、俺の顔を見ていた。
「征司」
「はい」
「世の中というものは、そう簡単に一度の成功で決まるものではないのよ」
妙にもっともらしいことを言い始めた。
「そうなんですか」
「そうよ。一回バズったからといって、それで人気配信者になれるなら誰も苦労しないわ」
言いながらスマートフォンを取り出し、何かを検索し始める。
その手つきに若干の焦りを感じたが、俺の気のせいかもしれない。
「これを見なさい」
差し出された画面には、ダンジョン内を走りながら大声で笑っている女が映っていた。
短い切り抜き動画らしい。
黒髪を短めにまとめた女が、モンスターに追われながら他の探索者へ指示を飛ばし、それでもカメラに向かって喋り続けている。
『いや無理無理無理! これ絶対聞いてた数と違うって! 右! 右行って! ボク左引きつけるから!』
かなり騒がしい。
ただ、状況を見れば本人がふざけているだけではないことは分かった。
逃げながら周囲を見て、他の探索者が安全な方向へ移動したのを確認してから、自分も後退している。配信者としてどうなのかは知らないが、戦闘に関わる者として見ても状況判断が早い。
「誰です?」
「知らないの?」
お嬢様が本気で驚いた顔をした。
「昨日からこの界隈に関わり始めたようなものなので」
「火神すずよ。登録者百八十万人のダンジョン配信者。この業界じゃ知らない人の方が少ないわ」
「そうですか」
数日前までその業界について素人だったのだ。知らないものは知らない。
俺がもう一度画面を見ると、動画の最後では火神という女性がモンスターから逃げ切り、コメント欄に向かって何か喚いていた。
「こういう人は、一度何かが当たっただけでここまで来たわけじゃないの。何年も配信して、何度も話題になって、それでも人気を維持している。つまり大事なのは一過性のバズじゃなく、長く見てもらえる理由を作ることよ」
言っていることは正しい。
少なくとも昨日まで「有名になってから考える」と言っていた人間の発言とは思えない程度には、もっともらしかった。
「なるほど」
「だから今は、次の一手を急いで決める段階ではないわ。まず十六夜紅羽という存在を定着させる。それから具体的な方法を考えるのよ」
「昨日までと順番があまり変わっていませんね」
お嬢様の眉がわずかに動いた。
「征司」
「はい」
「あなた、最近少し生意気になってない?」
「昔からこんなものだと思います」
俺としては本当にそう思う。
お嬢様は何か言い返そうとして、結局やめた。
たぶん本当に次の計画はまだないのだろう。
まさか一回目の配信でここまで数字が伸びるとは、お嬢様自身も考えていなかったらしい。
それでも完全な思いつきというわけではなく、人気配信者の研究くらいはしている。その辺りは以前より少し評価を改めてもいい。
「それにしても」
お嬢様が俺の肩越しへ視線を向ける。
「何です?」
「さっきから私より征司を見てる子、結構いるわよね」
言われて周囲を確認すると、確かに何人かと目が合った。
すぐに逸らされる。
「昨日の配信を見た人でしょう」
「顔はほとんど映ってないじゃない」
「だから確認しているんじゃないですか。声と戦っているところだけ知っていて、同じ学校にそれらしい男がいれば気にはなるでしょう」
昨日までこんな視線を向けられることはなかったのだから、配信の影響なのは間違いない。ただ、それは俺自身がどうこうというより、画面の向こうにいた人間が現実にいることへの好奇心に近いのだと思う。
「本当にそういう解釈するのね」
お嬢様がため息をついたところで、横から別の声が入った。
「そこ、朝からずいぶん楽しそうだけど、少しいい?」
振り向くと、一人の女子生徒が立っていた。
名前は水城奏。俺自身はほとんど話したことがないが、お嬢様とそれなりに親しい友人だということくらいは知っている。
もっと詳しく調べようと思えば、普段誰と付き合っているのかくらい把握することはできる。
ただ、お嬢様が自分から話してこない交友関係まで従者の俺が一つ一つ詮索するのは違うだろう。十六夜家に関わる相手なら別だが、学校で誰と仲良くしているかまで逐一確認するつもりはない。
必要なことであればお嬢様から話があるし、そうでないなら本人の領分だ。仕えることと、何もかも把握しようとすることは同じではない。
そのため水城さんについて俺が知っているのも、お嬢様の友人であることと、同じクラスで時々話しているところを見かける程度だった。
彼女は、きっちり整えられた制服に、肩へ掛からない程度の髪。片手にはタブレットを抱えていて、こちらを見る目にも周囲の女子のような好奇心より、何か確認したいことがある人間の色が強い。
「あら、奏」
「昨日の配信、見たわ」
気安く呼ばれた水城さんはそう言ってから、俺ではなくお嬢様へ真っ直ぐ視線を向けた。
「十六夜さん。あなた、あれを今日もやるつもり?」
「もちろん。そのために始めたんだもの」
「そう」
水城さんは一度だけ息を吐き、抱えていたタブレットを持ち直した。
「だったら昼休み、少し時間をもらえる? 昨日の配信、いくらなんでも危なすぎるから」
お嬢様の笑顔がわずかに固まった。
少なくとも、今までのように有名になったことを褒めに来たわけではなさそうだった。
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