第3話 底辺お嬢様配信、開始
初配信の日、お嬢様はダンジョンの入口前で十五分ほど同じ場所を行ったり来たりしていた。
装備の確認なら俺が家を出る前に二度やっているし、配信機材についても昨日の夜に一通り動作確認を済ませている。今さら確認するものなど残っていないはずだが、お嬢様は腰の剣へ触れたり、髪を整えたり、俺が構えているカメラの画面を覗き込んだりと落ち着かない。
「征司、映りはどう?」
俺はカメラから目を離さず、右手の親指を立てた。
「本当に? 髪は変じゃない?」
今度は首を横に振る。
「顔が近すぎたりしない?」
手のひらを下に向けて軽く下げると、お嬢様は半歩だけ後ろへ下がった。
「これくらい?」
親指を立てる。
さっきからこの繰り返しだった。
配信中ではないので普通に答えても構わないのだが、俺がカメラを持った状態で喋る癖をつけると、本番でも余計な口を挟みかねない。主役はあくまでお嬢様で、俺は撮影と護衛のためについてきているだけだ。
十六夜家を再興するために名前を売るのであれば、視聴者が覚えるべきなのも俺ではなく十六夜紅羽という名前だった。
「なんだか私だけ緊張しているみたいで腹が立つわね」
俺は肩をすくめた。
「征司は映らないから気楽でいいわよね」
それについては否定しない。
今日の俺はカメラ担当に徹するつもりなので、装備も目立たないものを選んでいる。腰に短めの片刃剣を一本差し、リターンシールドを装着している以外は、探索用の黒い服と軽装の防具だけだ。
お嬢様の装備も、最初に買っていた細剣は結局返品させた。
代わりに選んだのは、片手で扱える少し幅広の剣だ。お嬢様は見た目が地味だと不満を言っていたものの、初めて実戦で使う武器に格好よさを求められても困る。
「よし。始めるわ」
ようやく覚悟を決めたらしく、お嬢様が配信用端末を操作する。
俺の手元にある撮影機材と同期しているのを確認すると、画面の隅に配信開始を示す表示が出た。
同時接続者数は三人。
そのうち一人は、昨日お嬢様自身が動作確認のために登録した別アカウントである。
「ごきげんよう。十六夜紅羽よ。本日からダンジョン配信を始めることにしたわ」
さっきまで落ち着きなく歩き回っていた人間とは思えないほど、お嬢様は堂々とカメラへ向かって言い切った。
こういう切り替えの早さは昔から得意だ。
本人が自信を持っている場面では、本当に何でもできそうな顔をする。
『新人?』
『高校生かな』
画面にコメントが二つ流れる。
お嬢様も自分の端末で確認したらしく、少しだけ口元を上げた。
「ええ、今日が初配信よ。探索者としてもまだFランクだけれど、いずれ私の名前を知らない探索者はいなくなる予定だから、今のうちに覚えておくといいわ」
『強気で草』
『お嬢様キャラ?』
お嬢様キャラではなく、本当にお嬢様なのだが、説明すると十六夜家の事情まで話すことになる。
俺が余計なことを言う必要はない。
「キャラではないわ。私は十六夜紅羽。十六夜家の次期当主よ」
そこまで言ってから、お嬢様はこちらへちらりと視線を寄越した。
俺はカメラの外で人差し指を立てる。
話しすぎるな、という合図だ。
昨日決めておいたものなので、お嬢様にも意味は伝わったらしい。
「詳しい話はいずれするとして、今日は初探索ね。まずは浅層を進みながら、どこまでやれるか確かめるわ」
『カメラマンいる?』
『今なんか横見た?』
俺は反応しない。
お嬢様もコメントを一度見たが、すぐに入口へ向き直った。
東京第三ダンジョンは、駅から徒歩十分ほどの場所にある公共管理型のダンジョンだ。入口には探索者カードを確認するゲートが並んでおり、俺たちも一人ずつ通過する。
内部へ入った瞬間、腰のリターンシールドが短く振動した。
正常作動の合図だ。
俺は自分の残量が百になっているのを確認したあと、お嬢様の背中にある表示灯も見る。こちらも問題ない。
歩き始めたお嬢様を少し後ろから撮影しながら、周囲へ目を配った。
浅層だけあって通路は広く、壁には協会が設置した案内灯もある。探索者もちらほら見かけるので、現時点で危険は感じない。
「見ての通り、最初の階層はかなり整備されているわ。初心者向けと言われているだけあって、普通の地下施設とそこまで変わらないわね」
『初配信なのに説明慣れてるな』
『声聞きやすい』
その評価には俺も少し納得した。
家では思いつきで突っ走ることが多いお嬢様だが、人前で話すことには昔から慣れている。十六夜家がまだ大きな行事を開いていた頃は、子供の頃から来客の前へ出されていたので、その経験が役に立っているのだろう。
問題があるとすれば、視聴者がまだ五人しかいないことくらいだった。
人気になると言っても、最初から誰かが見つけてくれるわけではない。むしろ思い付きで始めた初配信で五人いるなら多い方だろう。
俺がどうにかする部分でもないので、今はお嬢様が喋りやすいように撮ることを優先する。
正面からばかり映せば歩きづらい。少し斜めへ回り込み、背景の通路まで入るように位置を調整すると、お嬢様もこちらの動きに合わせて自然に顔を向けた。
「ここから先は魔物も出る区域になるそうよ。昨日、ちゃんと調べたわ」
お嬢様が得意そうに言う。
俺はカメラの横で二本指を立てた。
昨日ではなく一昨日だ。
「細かいことはいいのよ」
『今誰と喋った?』
『スタッフいるのか』
『指示出してる人いるっぽいな』
お嬢様がコメントを見て、少し楽しそうに目を細めた。
「撮影を手伝ってくれている人はいるわ。ただし、今日は私の配信だから紹介する予定はないわよ」
俺は親指を立てた。
『裏方いるなら安心か』
『友達?』
『マネージャー?』
答える必要はない。
俺はお嬢様の少し後ろへ戻り、カメラを構え直した。
前方の曲がり角から別の探索者が二人出てきたので、映り込まないよう画角を狭める。配信をしているからといって、関係のない人間の顔まで勝手に全国へ流していいわけではない。
すれ違った二人はお嬢様よりも、なぜか俺の方を長く見ていった。
男がダンジョン内にいるのが珍しいのだろう。
お嬢様もその視線に気づいたらしく、一度だけ後ろを振り返ったものの、配信中だからか昨日のように俺の腕へ抱きついてくることはなかった。
代わりに歩く速度を少し落とし、俺との距離を縮めてくる。
画面の中にはお嬢様しか映していないので、視聴者には分からないだろう。
「まず今日の目標は、浅層で一時間探索すること。それから魔物と何度か戦って、私がどの程度通用するのかを確認するわ」
『初回ならそれくらいがいいね』
『無理すんなよ』
『現在同接8人』
八人。
開始時点の倍以上にはなっていた。
数字として大きいとは言えないが、お嬢様はコメントを見て満足そうに笑う。
「心配はいらないわ。この十六夜紅羽が、初日でみっともなく逃げ帰るところなんて見せないもの」
俺はカメラの外から、お嬢様にだけ見えるよう手のひらを下へ向けた。
無理をするな、という意味だ。
お嬢様は一瞬だけ不満そうな顔をしたが、すぐにカメラへ向き直る。
「もちろん、安全第一で行くわよ。私一人の配信ではないものね」
最後の一言が何を指しているのかは分からなかったが、無茶をしないのであればそれでいい。
俺は前方の通路へ視線を移し、物陰や分岐を確認しながら、お嬢様が画面の中央から外れないようカメラを構え直した。
十六夜紅羽お嬢様の初配信は、今のところ同時接続八人。
家を再興するにはずいぶん小さな数字だが、少なくとも最初の一歩としては、きちんと始まっていた。
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