第八話 推しの力になれるか
「また神崎さんの家にお呼ばれしてしまった」
彼女の自宅のマンションの前まで歩いていき、緊張した面持ちでエレベーターに乗り込む。
神崎さんの力になれる事なら何でもするとは言ったが、俺の事を信頼してくれているのかな……聖菜ちゃんに頼られていると思うと、ドキドキしてしまうが、彼女もまだ仕事を引退して婚約を破棄されたばかりなので、色々と大変なのかもしれないし、誰かの支えが必要なのかもしれない。
それにあの婚約が破棄されたってリークは誰が書き込んだのか……あんなの信じる奴いるのかと思ったが、少なくともあれを見た第三者が真偽を確認する術はないので、
「こんにちは」
「あ、いらっしゃい。入って」
何て考えながら神崎さんの部屋に到着してしまい、彼女に招かれて部屋に入る。
「ゴメンね、わざわざ呼び出しちゃって」
「いえ。それで手伝ってほしい事って何ですか?」
「その……大した事じゃないんだけどさ。平沢君って料理とか出来るの?」
「え? いや、得意って程じゃないんですけど」
「そう。私さ、Vをやっていた時代は配信ばかりで、家事が殆ど出来なくて。ほら、昨日カレーを作ろうとしたら、こんな事に……」
「あー、これチャーハンですか?」
「何か分量を間違えたみたいで~~……ネットのレシピ通りにやったつもりだったんだけど」
キッチンに行ってフライパンの蓋を神崎さんが開けると、こんがり焼けてしまった炒飯っぽいのが出てきた。
しかもスパイスの匂いが強烈なので、香辛料をかなり入れたな。
「ちょっと味見してみますね。うーん、別に食べられなくはないですけど、辛すぎるし、油をあまり引いてなかったのでは?」
「でしょう。簡単だって聞いたから、やってみたらさ、こんな事にー」
「料理は慣れですよ。俺だって最初は失敗ばかりでしたから。そういえば、料理配信とかたまにやっていませんでしたっけ?」
「料理ってか、クッキーを作った事はあるかな。だいぶ前だけど。てか、良く知っているね」
「配信、よく見てましたから。聖菜ちゃんのクッキーならいくら出してでも欲しいんですけどね、はは」
「もう、調子の良いこと言っちゃって」
調子の良い事も何も聖菜ちゃんの手作りクッキーなら、何十万円出しても欲しいのは山ほどいるだろう。
てか、その場合、神崎さんが作る事になるのか? でないと詐欺になるしな。
「炒飯とか作れる?」
「え? ああ、何度か作ってますので。やってみても良いですか?」
「本当? じゃあ、お願いして良い? お礼はするから」
「わかりました」
他ならぬ聖菜ちゃん……ではなくて、神崎さんの頼みなら、やらないわけにはいくまい。
材料は……よしあるな。
「出来ました」
「うわあ、美味しそう。平沢君、本当に料理出来るんだね」
どうにか炒飯が完成し、テーブルに二人分の炒飯を盛りつける。
あとはワカメのスープでもあれば良いんだけど、これはインスタントのがあったので間に合わせた。
「いただきます。あー、美味しい。何か久しぶりにまともな手作り料理を食べた気分」
「そ、そうですか? 普段はウーバーなんですよね?」
「うん。Vをやっていた頃は、殆どね。自炊は一人暮らしを始めた最初の頃はやっていたんだけど、もう作り方も忘れちゃって……」
何て話しながら、俺が作った炒飯を神崎さんは美味しそうに食べていく。
それだけでも嬉しいのだが、聖菜ちゃんの中の人の神崎さんが相手って事は、聖菜ちゃんに食べてもらっているのと同じだよね?
そう考えるとテンションが上がってしまうな……ヤバイ、推しに手料理を食べてもらうって、とんでもない事じゃんか。
「あはは、そんな物ですよね」
「うん。結婚するって話だったのに、料理も出来ないなんてさ。笑い話よね、はは……まあ、終わった事だけど」
と自嘲気味に言ったところで、一瞬、炒飯を食べる手が止まる。
結婚に関しては本気だったんだよな……破棄されたとは言え、やっぱりそう訊くと複雑な気分になってしまう。
「あの、昨日言ったことですけど……婚約破棄がリークされたって、大丈夫なんですか?」
「大丈夫って言われてもね。まあ、匿名掲示板でのことだし、どうにもならないよ。仮に削除要請したら、逆に本当だって思われちゃうし、放置するしかないじゃない」
ああ、削除したら逆に事実だと思われるから出来ないって事か。というか、今更削除したところで、誰かがスクショで書き込み保存しているだろうから、もう遅いか。
「彼氏持ちってのもリークされていたんですよね。ぶいロイドのメンバーが彼氏持ちとか結婚しているとか書かれていたって言いましたけど、あれも全部本当なんですか?」
「え? あー、うんっとね……ゴメン。それはちょっと言えないかな。私、引退した後も、守秘義務があってさ。ぶいロイドのメンバーの個人情報に関する事は言っちゃいけない事になっていて。気になると思うけど、ゴメンね」
「あ、そうですよね」
そっか、引退した後も守秘義務ってのがあるのか。まあ、当然だろうが、そうなるとあの書き込みって、やっぱり本当なのか?
「本当は私が神楽咲聖菜って事も、しゃべっちゃ駄目なんだけどね。だ、誰にも話していないよね?」
「大丈夫ですって。てか、話しても信じてもらえるかどうか」
「あ、そうだよね。私が聖菜だって証拠、声真似くらいしか出来ないからね。配信に使った聖菜のアバターとか機材は事務所に返しちゃったし。あはは、今、本当に何もないニート状態だわ」
そうウーロン茶を飲みながら話す神崎さんであったが、ニート状態でもしばらくは暮らせるだけの金はあるんだよな?
「私さ。正直、何をしたら良いのかわからないんだよね……大学を中退してから、何年もVtuberとしての活動しかしていなかったし、結婚したら生活なんてどうにでもなると考えていたから、これからどうしたら良いのかもわからないし、何もする気が起きないんだ」
「そうですか……でも、ゆっくり考えれば良いんじゃないんですか?」
聖菜ちゃんは殆ど毎日のように配信をしていたし、婚約を破棄されたショックで何も手が付かないのは当然だろう。
お金の問題がないなら、別に無理に外に出て働くこともないだろうし、何より本当にVtuberへの復帰とか無理なのか?
「だから、家事もする気が無くて……掃除も洗濯も手が付かないといいますか……」
「あ、ははは。掃除なら、俺がやっておきますよ。もう神崎さんの為なら、何でもするって言ったじゃないですか」
「本当? 食事まで作ってもらっただけでも申し訳ない気分なのに」
「聖菜ちゃん……ああ、すみません。神崎さんですよね。いやー、聖菜ちゃんとついダブっちゃいます」
神崎頼子と神楽咲聖菜って別人……という事なんだろうか?
Vtuberとしての人格と神崎さん本人は別って見方も出来るけど、彼女が結婚するって聞いた時は滅茶苦茶ショックだったし、聖菜ちゃんもプライベートな事を配信でバンバン喋っていたから、境界がよくわからないな。
「どっちでも良いよ。あ、食事を作ってくれたお礼に聖菜の物まねしてあげようか」
「いや、それは……」
「ん? 嫌なの?」
嫌ではないし、むしろしてほしいか、既に引退済みの聖菜ちゃんが俺だけに笑顔を振りまくってのが何か悪い気がしてしまう。
特別扱いされるのは悪い事じゃないと思うんだが……何か躊躇しちゃうんだよな。
「真面目だなー。別に声真似くらいなら、いつでもしてあげるよ。あ、二人きりの時にね。『ご馳走様♪ 今日は美味しいチャーハンをありがとう、平沢君。また作ってくれると嬉しいな♪』」
「――!」
不意に神崎さんが笑顔で聖菜ちゃんの声でお礼を言ってくれ、その声を聞いて、ドキっとしてしまう。
ヤバイ、この破壊力は何度聞いても慣れないな……。




